ドイツ情報満載 - YOUNG GERMANY by ドイツ大使館

「デザイン」への熱い思い

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「デザイン」への熱い思い

- 私がデザインフリークになったわけ -

皆さんにまず私をより知ってもらうため、最初に私自身について詳しく書き、なぜ私がこのブログでドイツのデザインに関して書くのか、述べようと思います。

私は1983年5月にシュヴァーベン地方の主要都市であるシュトゥットガルトで生まれ、その近郊にある小さな村で育ちました。その村では、数件の農家がまだ農業を営んでおり、木組みの伝統建築の建物や比較的新しい戸建ての家などが混在し、全体的に牧歌的な雰囲気でした。住民250人の村はとても小さく、住民はお互いの顔だけでなく名前も分かっていました。何かニュースがあると、噂はすぐに村中に広がりました。農業が中心の地域で、見るからに自然がそのまま残っており、散歩や、サイクリング、ハイキングなどをしたくなる環境です。このような環境の中で、子供時代は思う存分遊びました。

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大学入学資格試験を終えたころに、すでに将来の道は決めていました。経営学を専攻してマーケティングとコントローリングを中心に学び、自分のキャリア形成の土台にしようと考えていたのです。友人や家族のいる故郷の村と強いつながりがあった私は、近くにあるのどかな小都市、テュービンゲンの大学に行こうと考えていました。

ところが、全く違った結果になりました。中央学籍配分制度が適用され、私はイエナ大学に行くことになったのです。ドイツ東部にあるイエナは、私にとってはそれまで全くなじみのない地域でした。ただ今からふり返ると、私にはそれが一番良かったと思います。私は、安心で気楽な地元から離れ、積極的に新しい友達を作り、自分で生活を築く必要に迫られたからです。そしてそれはイエナという町では難しいことではありませんでした。イエナは、チューリンゲン州で二番目に大きい町で、400年の歴史を持つフリードリッヒ・シラー大学があります。人口10万人のうち2万人が学生という、大学の街、刺激的で若さにあふれたところです。娯楽等いろいろな楽しみも多く、バーや居酒屋もたくさんあり、学生生活を実にエキサイティングにしてくれました。私は、この東部ドイツの都市で、新しい生活を満喫しました。イエナに移ったことで、住む町が単に大きくなっただけでなく、私自身も大きく成長したのです。



大学での勉強のほかに、繊維業界とコンサルタント業界でインターンも行い、インターン中にニューヨークとミュンヘンにそれぞれ半年間滞在しました。卒業後はクリエイティブな業界で仕事をしたいと考えていた私は、2011年秋から、ドイツの大手テキスタイル販売会社で幹部候補生として研修を受け、販売と仕入を担当しました。そして2012年4月にベルリンに移り、今年の2月末まで営業所で販売の責任者を務めていました。そしてついに、自分が夢中になっているものに全力投球しようと決心をしたのです。

「モノの美しさ」への熱い思い

「デザイン」はあらゆるところにあります。目にするものはすべて、何らかの意味でデザインされているといっても過言ではありません。世界的デザイナーをはじめに人間の手によるデザインもあれば、自然が作り上げた造形としてのデザインもあり、デザインとは多様で、至る所に存在するものなのです。それは言葉を見ただけでもわかります。メディアデザイン、プロダクトデザイン、ファッションデザイン、オブジェクトデザインなどデザインのつく用語が多いですし、また、「モチーフ・模様」や「建築」という言葉自体には「デザイン」という語こそ入っていませんが、デザインという美的感覚にかかわる記号を扱う分野なのは明らかです。ここでは、デザインというテーマの多層性に関して、詳しく考察したいきたいと思いますが、学術的に用語を駆使するようなアプローチではなくて、あくまで個人的な見方、私の経験や体験に基づき、自分の目で見て感じたことを述べようと思います。

私は少年時代から、良いデザインやモノの美しさにとても興味がありました。15歳の頃、父のキャビネットで古いカメラを見つけました。頼んで貸してもらい、初めての写真を撮りました。すぐに次々と写真を撮りだしましたが、このカメラは父にとって思い出の品だったので、誕生日に初めて自分のカメラを買ってもらいました。それから、自分が美しいものを見る目を持っていると気付きました。極めて変化にとんだ色々な風景、花の接写、夏の昆虫、歳月の経過を思わせる独特の形をした樹皮、冬には、足跡一つない純白の雪景色や、私の部屋の窓についた雪の結晶、老いた人、若い人、有名な人、シュトゥットガルトにあるヴァイセンホーフのバウハウス住宅群等々、撮影する対象は、周りにいくらでもありました。学校の写真クラブでは、自分の力を存分に発揮し、知識を深める機会を得ることができました。写真クラブでは自分で現像も行ったので、より自由に写真をつくることができました。同時に、色と形、接写と遠景撮影、被写界深度が深い写真、浅い写真など、意識して様々な効果を積極的に使っていきました。私は客観的な美しさや主観的な美しさを楽しむ力をつけるだけでなくそれらを自ら作り上げる腕を学び、同時にまた批判的に評価する目も養いました。



ほぼ同時期、私は雑誌という、自分の関心にもっと近づくことができるメディアを発見しました。まだインターネットはなかった頃です。新しいもの、美しいものを求めて、私は母の友人が読み終えた雑誌を貪欲にめくったものです。気に入ったものは切り取って壁にはりました。あるとき、自分の部屋に新しい家具が必要になったのですが、既成品では気にいるものがありませんでした。雑誌の写真にインスピレーションを得た私は新しい家具はどんなものがよいか具体的なイメージを持っていましたが、雑誌に載っている完璧な写真と、近隣の小都市で売っている物の間には相当の乖離がありました。あるいは欲しいものがあったとしても値段が高すぎたのです。そのため私はスケッチ画を描き、自分のイメージ通りの家具をデザインしはじめました。ベッドは、ごくシンプルなものにしたいと思っていました。天板のエッジ部分が、ミニマリスティックで明快なデザインの古いテーブルがあったので、このテーブルの脚を切り、天板部分をベッドのヘッドボードとして利用しました。サイドフレームは板を張り合せて作り、全て白く塗り、思い通りのミニマリスティックなデザインが出来上がりました。次は、新しいデスクでしたが、これも、私が求めるデザインは、店にはありませんでした。自分の求めるイメージに沿い、また自作するしかありませんでした。次第に作るものが友人や親せきの目にもとまるようになり、彼らはしきりに感心してくれるようになりました。

ちょうどそのころ、私はファッションにも興味を持つようになりました。ファッションに関しても、雑誌で新しい商品やいい広告写真を探し、切り抜いてコラージュし、フレームをつけて壁に掛けていました。この分野の関心もだんだん強くなっていき、色々と自分でやってみるようになりました。

このほか私を大きく変えたのは、ニューヨ-ク滞在だったと思います。ニューヨークでは私が常に望んでいたように、毎日デザインに触れることができました。デザインやアートがより身近にあり、それまで私が生活していた場所と違い、至るところでデザインやアートを実際に手に入れることができたのです。私は夢中になり、生活を心ゆくまで満喫しました。私が働いていたのは、古いレンガの建物の中にあるロフト風のオフィスでした。建物の正面には大きなガラス窓が並んでおり、そこからはエンパイア・ステートビルやクライスラービルなど建築史上重要な建物をいくつも見渡すことができました。そして、これまでは雑誌や家具店で見るだけで遠くから眺める存在だったデザイン作品が、私の日常の一部になりました。玄関ロビーにはミ―ス・ファン・デル・ローエのソファが輝きを放ち、仕事をするオフィス用チェアはチャールズ&レイ・イームズのもの、そしてUSMの家具がオフィスのパーティションとして使われていました。まさに理想の環境です。オフの時間も同様に楽しみ、新しいものを発見する無限の可能性を存分に活用しました。数世紀にわたる発展と「デザイン」を経てきたこの都市は、実際多くの輝きを秘めており、例えば建築史上重要な建物が無言で立ち並んでいますが、実はそれぞれが素晴らしい物語を語ってくれています。

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世界で初めてエレベーターを採用したフラティロンビルもそのひとつで、エレベーターは、当時としては想像を超える高さでビル建設を行っていくのに大変重要な発明で、高層階で快適に過ごすことを可能にしてくれました。



あるいは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のデザインコレクションです。考え抜かれ完成した美しさを持っていても、日常使う品々の場合、その美しさが日々の繰り返しの中で見落とされたり、忘れられたりしがちです。しかし、MoMAのデザインコレクションに入ることで、それらの品々はその「内的なスピリット」にふさわしい場を獲得します。たくさんの物が存在するなかで、ここではコレクションに入った物のオリジナリティ、あるいは少なくともその独自性が強調されているのです。私は、意外なものがMoMAのコレクションに入っているのに驚いたものです。照明器具、椅子など、20世紀デザインの定番は当然として、地下鉄の案内板、エンジンのピストン、ガラス製ティーポット、フジフィルムのレンズ付きフィルム、ふせんのポスト・イットや、ルービック・キューブも入っています。

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このようなものがMoMAのコレクションに入っているとは思いませんでした。しかしこれは、先ほど述べたデザインの多様性を示し、デザインという概念が、いかに幅広く定義されうるか、また定義されているかを示しています。同時にここには、デザインにおける主観的な部分も表われています。コレクションに加えられる物は、ある一人の人物、またはあるグループが、多くの物の中から選んでいるからです。選ばれることでこれらの物は、美術館の収蔵品となりましたが、選ぶ人が違えば、違うものを選んだかもしれません。つまり、デザインは常に見る人に左右されるものなのです。選ばれなかった物はデザインとされず、例えば単なる筆記用具のままなのです。しかし、よいデザインとは何でしょう?どのような基準で選ぶのでしょうか? 私にとって、美しいとはどういうことでしょう? ある物が定番デザインとして言わば殿堂入りを果たすには何が必要なのでしょうか? 物が持っているどんな点が、それについて書きたいと私に思わせるのでしょうか?長い間考えましたが、答えを出すことはできません。それは感覚的なものであり、言葉では言い表せない内面の感情の動きなのです。ただ、その感覚に従い選んだ結果は極めて具体的に示し、説明することができるのです。たとえば私がいまこの文章を書いているノートパソコンは戦後のドイツで最も重要な建築家である、エゴン・アイアーマンのデスクにのっています。もともと製図用にデザインされたこのデスクは、今では20世紀半ばの定番デザインとされています。デスクの上には、デッサウのバウハウスのルールに沿いデザインされたハサミが置かれています。メモを取るとき一番好んで使うのは、ハイデルベルクの筆記具メーカーが作った万年筆ですが、これがデザインされたのは1935年で、今も同じように作られています。私はベルリンの街を歩くのが好きで、19世紀後半の好景気時代に建てられた建築物や、ティアガルテンにあるハンザ地区を眺めながら町歩きをしています。このハンザ地区には、1957年に国際建築展が行われた際にアルヴァ・アールト、ヴァルター・グロピウス、アルネ・ヤコブセンなど、当時一線で活躍していた著名な建築家が建てたモデル住宅群があるのです。

ところでアップルのチーフデザイナーは、どこからインスピレーションを得ているか知っていますか? ここではこれ以上明かしませんが、あるドイツの著名デザイナーからです。

これらのデザインは、私に大きな喜びをもたらしてくれますし、その背後にあるストーリーにとても興味を引かれます。あるモノを選ぶのは、そのモノに喜びを感じるからであり、ブログではそうしたことについて書く予定です。

Felix Sandberg

シュトゥットガルト近郊の田舎町育ち。15歳のときヴィジュアル表現の形として写真に目覚める。その後すぐに家具を初めて手作りする。大学時代をイエナで過ごし、その間にミュンヘン・ニューヨークなどにも立ち寄る。ミュンヘンでは特に建築に、そしてニューヨークでは日々デザインに没頭し、物の美しさへの情熱と美的感覚を養う。 その定義づけに関わらず、物の見た目・形そのものに興味があり、建築でも家具でも家電でも、外見こそが重要。その姿かたちから良い感覚が自分の中に沸いたとき、初めてそれが私にとってデザインとなり得る。 経営学を学んだ後、繊維業界でインターンおよび勤務経験あり。繊維商社では仕入れ・および販売部にて従事。今年の初めからは自らの情熱にすべてをささげている。

Felix Sandberg