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ハーフと愛国心 Part 3

ハーフと愛国心 Part 3

© Melanie Rosenmueller

ハーフと愛国心 Part 3

引き続き「ハーフと愛国心」についてです。今回はちょっと深めのお話です。



ハーフと愛国心。これは興味深くも複雑なテーマです。というのは「ハーフと愛国心Part 1」や「ハーフと愛国心Part 2」にも書いた通り、日独ハーフは「ドイツと日本、どっちが好き ?」、「オリンピックはドイツと日本、どっちを応援するの ?」などと頻繁に聞かれますが、簡単に答えられる質問ではないからです。



ハーフはどちらの国に「愛国心」を持っているのか ? 日本なのか ? ドイツなのか ? いや、ハーフはそもそも愛国心自体を持っているのか ? なかなか微妙なテーマです。



…ハーフに愛国心はあるのでしょうか ?



色々な形の愛国心があると思いますが、私には「愛国心」という言葉はあまりにも「一直線」に聞こえます。なんだか、ある決まった方向に走り出したまま止まらない人のようなイメージ。ハーフの場合は、二つの国の血が入っているので、「一直線にバーッと走っていく」っていうのは難しいと思うのですね。「一直線にバーッと走っていく」というのは、たとえば「日本は全ての面において優れている」とし、外国人がその事について疑問を発すと「日本人以外は黙ってろ」となってしまうような形の愛国心。上記の「日本は全ての面において優れている」の中の「日本」を「ドイツ」に置き換えても同じです。なんかこう一直線に右も見ず左も見ずに、良い意味でとらえれば一途、悪い意味で解釈すれば暴走しちゃうような愛国心。こういう形の「愛国心」を持つことは複数のルーツを持つ人には難しいんじゃないかなあ (でも例外もありますので、後ほど書かせていただきます)。



一つ言えることは、小さい時から二つの国と接点を持ち、どちらの国の良いところも悪いところも見てきたハーフの場合「この国のみが絶対的存在 !」みたいな感情になるのは難しいんじゃないかと。



以前、「ハーフはナニジン ?」でハーフのアイデンティティーについて書きましたが、「愛国心」というものをその人のアイデンティティーとつなげて考えると「自分のアイデンティティーはドイツ人」という日独ハーフのほうがドイツの考え方・やり方に共感している場合が多いし、逆に「自分のアイデンティティーは日本人」だという日独ハーフは日本の社会・日本のやり方に共感している場合がやはり多いようです。でも沢山の日独バイリンガルのハーフと話をしてきた中で、その感情はあくまでも「共感」であって「愛国心」と言うほどの強い感情ではないように感じます。



日本とドイツ、両方の国の好きなところは沢山あるけれど、どこか冷めた目で見ていたりするんですよね。



でも私はこれが悪いことだとは思ってない。むしろ、ある程度の距離感を持って自分の国を眺めることができることが健全な状態だと思っていたりする。恋愛と一緒で「この国 (またはこの人) の全て良し !」なワケないですからね。冷静に「どの国にもプラスとマイナスはある」という結論にたどりついちゃうのです。



なんだ、自分はドイツ人と日本人の両方 ! なんて言っておきながら、結局は両方の国を第三者的な目でしか見れないのね、なんて声が聞こえてきそうですが、そもそもハーフは「この国のためなら死ねる」的な愛国心を持つことは難しいんじゃないかな。もっとも、ハーフでなくても、今どき「自分の国のために死ねる !」なんて思っている人はほとんどいないと思われますが。



では何故ハーフは一つの国に「アツく」なれないのか。一つの要因として、ハーフはそもそも最初から「部外者扱い」されちゃうことが多い、という事も一つの原因だと思います。ハッキリとは言われなくても、生粋日本人には「アナタはドイツと日本のハーフだから、あっち (ドイツ) の人」と勝手に枠組みを決められたりしますし、またドイツにもやたら「日本」を強調し日独ハーフに対して "Du bist ja Japanerin." (訳:「アナタは日本人」) と連発する生粋ドイツ人がいたりします。



ハーフが「部外者扱い」されやすいことについては、言語学者で日独ハーフの木村護郎クリストフさんも話されています。木村さんは小中高と日本の学校に通い日本で育ち、ドイツへは夏休みに遊びに行く程度だったのですが、よく周りの人に「夏休みはドイツへ帰るんだね。」と言われたそうです。木村さんはこの『帰る』という言葉が引っかかったと言います。自分の生まれ故郷は日本なのに、「ドイツへ『行く』」ではなく、「ドイツへ『帰る』」。そう言われたことで「周りの人は自分を日本に根ざした人」とは見てくれていないんだな、と感じたそうです。



このことについて木村護郎クリストフさんは以下のように書かれていますので、ご覧ください。



「『ドイツに帰る』面白い経験として、私が名古屋生まれの名古屋育ちであることをよく知っている人が、私がドイツへ行くことを『ドイツへ帰る』と表現したことがこれまで何回かありました。『今度の夏休みドイツに帰るんだって?』とか。ちょっとぎくっとします。本当に『容姿』と関係するかはわからないのですが、邪推するに、どことなく日本人じゃない顔をしている人は『故国』(それは日本ではない)に『帰る』はず/べきだという前提がどこかに無意識のうちにあるのかな、と思ったりしました。ときどき、こうやって『隠された前提』が表面にあらわれるのかもしれませんね。」(木村護郎クリストフさん)



逆のバージョンでドイツの元首都Bonnで生まれ育った日独ハーフの女性も、長年一緒に学校に通ってきたドイツ人の同級生に卒業の際に「卒業後はやっぱり日本に戻るの?」と聞かれ悲しくなったそうです。もしかしたら同級生が「卒業後は日本に行くの?」と聞いていたらだいぶ違ったかもしれません。同じ質問のようですが、「戻る」と「行く」ではだいぶ質問の意味が違ってくるように思います。



上記のエピソードの背景には、悪気はないものの、多くの日本人がハーフに対して「ハーフはそのうち自分の国(ドイツ)に帰るもの」と思っていること、そして多くのドイツ人がハーフに対して「日本とのハーフはそのうち日本に帰るはず」と思っている現実があります。でも日本で育ち「自分の国は日本」と思っているハーフは「国に帰るんでしょ?」と聞かれると悲しい気持ちにさせられるし、逆にドイツで育ちドイツが母国の日独ハーフは生粋ドイツ人に「いずれは日本に戻るんでしょ?」と当たり前のように言われるとやっぱり悲しくなるのです。



仲間に入りたいけれど、簡単に入れない。

すんなりと「こっち側の人間」として認めてくれない。

いつだって「あっち側の人間」だと言われてしまう。



ハーフはそんな経験を多かれ少なかれ幼い時からしているので、どこか「そんなものか」と良い意味でも悪い意味でも割り切っているというか諦めているところがあり、イマイチ一つの国にアツくはなれなかったりします。



でも「例外」もいるんですね。日独ハーフなのに、一つの国にアツい気持ちを持ちながら、もう一方の国が嫌いなハーフもいるんです。「ドイツが一番 ! 自分はドイツ人だし、日本は変な国 !」と思っている日独ハーフや、逆に「日本が一番! 自分は日本人だし、ドイツを含む外国はなんだか怖い」なんて思っているハーフも数は少ないけれど、存在します。



そういう考え方をするハーフには「長い間にわたり執拗にいじめられた過去」があったりします。「ドイツが一番だし自分はドイツ人。日本は嫌い」と思っている日独ハーフは、長年ドイツ人に「日本人だから目が細ーい !」(ドイツ語:“Japaner haben so Schlitzaugen!” ※Schlitzaugeは目が細いこと。Schlitzaugeはドイツ人が日本人を含む東洋人をバカにする時に使う蔑視的な言葉)、「日本ってどうせ極東の端っこにあるんでしょ。」「日本人って、なんでいつもあんなにペコペコするの ?」などの嫌味を言われたり、いじめを受け続けた結果、心に傷を負い、自分がバカにされる主な原因である「日本」を自分の中で全面否定する事で自分を守る。そしてその過程で、日独ハーフは「ドイツ人よりもドイツ人らしく」なろうとがんばってしまう、という悲しい現実があります。



逆に「日本が一番 ! 私は日本人だし、外国はなんだか怪しいし怖い。日本人が一番勤勉だし、外国人はルーズで信用できない。」と考えているハーフも一部にいますが、話をよくよく聞いてみると日本の公立小学校や公立中学校で長年にわたり執拗ないじめを受けてきた過去があったりします。日本の小学校で長年、外国人であるお母さんの事を周囲の同級生にバカにされ (「日本語できないオマエのお母さんはバーカ」など、子供の言う事は時に実に残酷です)、ことあるごとに「外国人だからアナタはダメ」というメッセージを周りから送られ続けた結果、ハーフ自身が「日本人より日本人らしく」なろうと努力をしたはよいけれど、気が付いたらハーフ本人が「外国嫌い」になってしまっているケースです。



私はこれを「いじめがもたらすハーフ右翼化現象」と呼んでいます。イジメがもたらす悲劇です。



上記のような右翼的な考え方が大人になってからハーフの人格の一部になってしまっているケースも確かにありますが、だいたいは子供の頃や思春期に右翼化しても、大人になるにつれ色んな事が見えてきて考え方が変わるようです。よって大人になってからも右翼ハーフであり続けるケースはむしろ稀といえます。



なにを隠そう私自身が思春期の一時期、日本を毛嫌いする右翼ハーフだったのです。



「右翼化した」理由は… 笑わないでくださいね。当時ミュンヘンに住んでいたのですが、思春期だったし、私は「クールでありたい」(Ich wollte "cool" sein....)という願望が強かったのです (17歳でした…)。そんな時に周りの生粋ドイツ人のクラスメイトに「日本人っていつもカメラをぶら下げて写真をパシャパシャ撮っていて変だよね。いつも団体だし。」とバカにされました。続いて「サンドラのお母さんも日本人だから、ミュンヘンの市庁舎の前で、いつもパシャパシャ写真撮ってるわけ ? あははー」なんて言われちゃったのです ! クールが一番の17歳にとって、これは大問題です。



少し説明しますと、当時ミュンヘン市庁舎の前で写真を撮っている日本人団体観光客が多かったんですね。他人をバカにしたいドイツ人の若者にとっては日本人観光客は格好の対象だったのでしょうね。日本という国はドイツから遠く、ミュンヘン地元のドイツ人の多くは日本人や日本との接点がない。個人的に日本人と知り合いだというドイツ人はあまりいないのです。そして彼らにとって「日本人」のイメージは「市庁舎の前で写真を撮っている日本人観光客」だったのです。よって日本人とかかわりのないドイツ人、そして「他人をバカにしたい症候群」の一部のドイツ人の中では当時「日本人=団体でカメラをパシャパシャやる人達」になってしまい、日本人をバカにするような雰囲気がミュンヘン地元にあったのも事実です。今考えると、外国人観光客をバカにすること自体がとんでもない話なのですが、ことあるごとに「日本人だからカメラでパシャパシャやるんでしょ。」とか「日本人だからいつも団体なんでしょ。」と日本についてバカにされているうちに、自分も日本と距離を置きたい、なんて思ったのでしょうね、17歳の私。



自分が「ドイツ人よりドイツ人らしくなる」ために、そして周りの生粋ドイツ人に仲間として認めてもらうためには一緒になって日本を否定するしかなかった、というのがおそらく17歳の私の言い分だったのでしょう…。怖いですね。そして同時に悲しくなります。



このカメラの話、実は私かなり根に持っているようでして、今でもドイツ人観光客が日本でお寺の写真を撮っていたりすると、「あんなにカメラを持ってる日本人をバカにしたクセに自分もカメラで写真バンバン撮ってるじゃない !」なんて一瞬怒りの感情がこみ上げてきたりします(苦笑)。すぐに我にかえって「まずいまずい、関係ない人に怒っちゃいけないよね」なんて心の中で自分にツッコミを入れてます(笑)。



話を元に戻しますと、思春期の一時期とはいえ、いじめられた結果、右翼化してしまい、外国 & 外国人大嫌いのハーフになってしまうとは皮肉ですね。



なので「日本とドイツのどっちが好き ?」の質問に対して「日本のほうがドイツより好き ! ドイツは大嫌い !」的な事を言うハーフがいたら、「まあ ! 日本が好きなのね^^」と喜んでいる場合ではありません。心に傷を負っている可能性があります。



ハーフの愛国心が一つの国に偏っていたら、心に傷を負っているというサインかもしれません。



仲間に入れてもらいたくて一つの国への愛国心まっしぐらになった結果、もう一方の国を見下すことになるよりも、大人になった今、私は両方の国に対して親しみを持ちながらも適度な距離感を持って接することができるぐらいのほうが「ハーフの愛国心」としては健全な形かな、なんて思うのです。




サンドラ・ヘフェリン



ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴13年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社) など5冊。自らが日独ハーフである事から、「ハーフ」について詳しい。ちなみにハーフに関する連載は月刊誌に続き今回が2回目である。趣味は執筆と散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。

サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴19年、著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) 、「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: ヒラマツオ/KADOKAWA)、「『小顔』ってニホンではホメ言葉なんだ!?~ドイツ人が驚く日本の「日常」~」(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: 流水りんこ/KKベストセラーズ)」など計11冊。自身が日独ハーフであることから、≪ハーフはナニジン?≫、≪ハーフとバイリンガル教育≫、≪ハーフと日本のいじめ問題≫など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。

サンドラ・ヘフェリン