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映画「レオニー」をハーフの視点で見て

映画「レオニー」をハーフの視点で見て

写真提供:レオニーパートナーズ合同会社

映画「レオニー」をハーフの視点で見て

映画「レオニー」を観た。

彫刻家のイサム・ノグチの母親であるLeonieの生涯を描いた映画なので、主人公はアメリカ人であるLeonieなのだけれど、この映画、「ハーフ」の視点から見ても面白い。Leonieの息子のイサムと娘のアイリスは2人ともハーフで、映画にもハーフの苦悩が自然に描かれていると感じた。



ばらし過ぎない程度にあらすじを書くと---



19世紀末、作家で教師のレオニー・ギルモア(アメリカ人)はアメリカで詩人の野口米次郎(日本人)と出会い恋に落ちる。後にイサムを身ごもるが、日露戦争の影響でアメリカで米次郎が日本人として冷遇されたこともあり、米次郎はレオニーとお腹の中の子供をアメリカに残し、1人日本に帰国してしまう。しかし数年後、レオニーの元に米次郎から手紙が届く。「息子と一緒に日本に来てほしい」と。息子との日本行きを決心したレオニーは初めて日本の土を踏む。しかし米次郎は既に日本人女性と家庭を築いていた---。そんな困難な状況の中、明治時代の日本を外国人女性として強く生きていくレオニーの姿が描かれている。



レオニーの生き方を見て、あの時代(明治時代だから約100年前)に外国人として日本で生きるということ、あの時代に女性として生きるということついて考えさせられた。そして息子のイサム・ノグチを通して「あの時代にハーフとして日本で生きること」についても深く考えさせられる映画だった。



ハーフがあまりいなかった時代にハーフとして日本で育つということ。いくら子供だったとはいえ、それは辛いことが多かったに違いない。映画を観ていると、色んな場面でその辛さが垣間見える。日本だけでなくイサムは子供の頃からアメリカでも大変な思いをしている。



イサムが幼い頃、日露戦争の影響でアメリカで日本人が蔑視されていたが、その関係で周りのアメリカ人の子供たちに「日本人日本人!」といじめられている場面。



日本に来てからも、いじめがあったことが想像できる。映画には日本人の子供たちにいじめられるシーンはなかったと記憶しているけれど、でもこんなシーンがある。家を建てている木工職人を10歳ぐらいのイサムがジーッと観察していて、この木工職人に「君は一日中ここにいて観察して…。学校には行かないのか?」と言われるのだが、イサムは「学校になんか行くもんか!」と答えるシーン。ハーフだということで、学校でかなりいじめられたんだろうな…。

それとその木工職人に向かってイサムが「僕は日本人だ!」と叫んでいるシーンもなんだか泣けてくるのだ。



もっとも日本人のお手伝いさんらしき女性がレオニーに「お坊ちゃん(イサムのこと)が不憫でなりません。どうして貴女はお国へお帰りにならないんですか?」と言っているシーンも考えさせられた。考えてみると、今の時代もあまり変わっていないようにも思う。ハーフが問題に直面すると、とくに悪気はなくても周りの人は気軽に「お国に帰ったほうがよいのでは?」と言うけれど、その「お国」(アメリカだったりドイツだったり)に帰ったからといって、アメリカ人なりドイツ人なりがハーフを「あなたは我々の仲間だ」と認めてくれるとは限らないのだ。ヘタをするとアメリカやドイツに行っても、ハーフは現地の人に「君は日本人」と言われる。そのあたりの事情を知らない人が今も多いように思う。だから簡単に「国に帰ったら、あの人は幸せ」という単純な発想をするのだと思う。



さて、映画に話を戻すと、イサムは母親(レオニー)も父親(米次郎)も日本にいるのに、14歳で「アメリカに行きたい」と言い出す。よほどハーフとして自分の居場所がなかったのだろうと想像すると泣けてくる。実際はその後アメリカに行ってもっと大変だったのだが…。



日本でも大変。アメリカでも大変。あの時代は戦争などでみんな大変だったのだろうけど、イサム・ノグチは後に芸術家となってからも、ハーフとしてつねに時代に翻弄され続けた。



イサム・ノグチは第2次世界大戦が始まると、アリゾナ州の「日系強制収容所」に志願拘留された。でもイサムはアメリカ人との混血なので、収容所の日本人に「日本人」だとは認めてもらえなかった。アメリカ側のスパイなのではないかという噂がたち、現地の日本人社会から冷遇された。そのためイサムは自分から収容所からの出所を希望するのだが、今度はアメリカ側が出所を認めなかった。アメリカからしたらイサム・ノグチは「日本人」だったのだ。



またイサム・ノグチは日本でも次のような体験をしている。広島平和記念公園の慰霊碑にノグチのデザインが選ばれたのだが、イサム・ノグチは原爆を落としたアメリカの人間であるとの理由から選考に外れた。また後に、アメリカ大統領の慰霊碑を設計したこともあるが、こちらも今度は日系であるとの理由で却下された。



そう考えると、戦争を乗り越え「平和」が訪れても、ハーフが「架け橋」になることはそう簡単ではないということがわかる。日本やアメリカ、そして世界中で沢山の作品を残し活躍したイサム・ノグチにもそんな背景があったのだ。



ハーフは、背負いたくなくてもその国の看板を背負わざるを得ない----イサム・ノグチを見ているとそれがよくわかる。



そして、映画の中心にはなっていないけれど、私は個人的にはイサムの妹のアイリスの立場にハーフとして興味を持っている。イサムの場合は、両親が結婚していなかったとはいえ、イサムには「著名人である父親(野口米次郎)」がいた。でも妹・アイリスに関しては、「父親が日本人」というだけで、最後まで彼女は父親が誰かを知ることはなかった。レオニーは最後までアイリスの父親の名を明かさなかったと言われる。あの時代に、日本とアメリカの混血であり、しかも両親は結婚しておらず、父親が誰だかわからないアイリスはどんなに辛かっただろう。実際、映画にもアイリスが母親を責めて泣くシーンがある。「お兄さん(イサム)には有名な父親がいるけれど、私にはいない。私の父親は誰なの?」と。



父親が誰だかわからない、というのは、どの子供にとっても辛いことだと思うが、ハーフの場合は通常より更に好奇の目にさらされるため余計に辛い。アイリスまたはアイリスのような女性の苦悩を描いた映画もいつか観てみたいなあ…。



でもこの「レオニー」という映画はなんていうのかな、女性として見ていて、そしてハーフや外国人というマイノリティーから見ても優しい気持ちにさせてくれる映画だった。視点が優しくて、映画を見ていると監督さんが女性だというのがすぐわかる。



切ないけれど見ていて優しい気持ちになれる映画。

みなさんも「レオニー」にぜひ足を運んでください。そして…ティシュをたくさん持って行ってください。私はティッシュを忘れてしまい悲惨でした(笑)




YG_JA_1151[1]サンドラ・ヘフェリン


ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴13年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社) など5冊。自らが日独ハーフである事から、「ハーフ」について詳しい。ちなみにハーフに関する連載は月刊誌に続き今回が2回目である。趣味は執筆と散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。

サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴19年、著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) 、「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: ヒラマツオ/KADOKAWA)、「『小顔』ってニホンではホメ言葉なんだ!?~ドイツ人が驚く日本の「日常」~」(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: 流水りんこ/KKベストセラーズ)」など計11冊。自身が日独ハーフであることから、≪ハーフはナニジン?≫、≪ハーフとバイリンガル教育≫、≪ハーフと日本のいじめ問題≫など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。

サンドラ・ヘフェリン