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意外と知らない?ドイツの発明品(1)

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意外と知らない?ドイツの発明品(1)

今では日常生活に欠かせない、当たり前になった多くのものが、実はその昔ドイツで発明されていたんです。

ドイツと日本、距離は随分と遠く離れているため、中々イメージしづらいかもしれませんが、代表的なドイツ発の発明品を紹介します。

 

活版印刷

発明者 :ヨハネス・グーテンベルク(Johannes Gutenberg)
時期:15世紀
場所:マインツ(Mainz)

活版印刷機(レプリカ)©dpa

活版印刷機(レプリカ)©dpa

過去1000年の発明のうち、おそらく最も重要なもののひとつは活版印刷でしょう。

ヨハネス・グーテンベルクが 1450年に活版印刷を発明するまで、ヨーロッパでは本は品不足であり入手困難でした。

手書きで複製する以外に方法がなかったため、本は非常に貴重で、ごくわずかしか出回らなかったのです。

グーテンベルクの功績は、当時既に知られていた木版技術をさらに発展させ、文書の印刷にも利用できるようにしたことです。

液状の金属をアルファベットの鋳型で鋳造し、そのアルファベットを任意の順番で印刷版に組み、また換えることもできました。

グーテンベルクが印刷した最初の書物はラテン語の聖書で、約180冊を刷りました。

この発明の話は瞬く間に広まり、ヨーロッパ中に印刷所がつくられ、次第に宗教関連の書物以外でも政治や哲学関連の書物や物語がそれぞれの国の言葉で著されるようになりました。

文字で書かれた文書が広がったことで、多くの人が文字の読み方を学ぶようになりました。

 

ビール(ビール純粋令)

発明者:バイエルン公ヴィルヘルム4世、バイエルン公ルードヴィヒ10世 ( Herzog Wilhelm IV. / Herzog Ludwig X.)
時期:1516年
場所:インゴールシュタット(Ingolstadt)

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なぜドイツのビールはこれほど美味しいのでしょうか?答えは簡単です。醸造釜の中に入れるのは大麦麦芽新鮮な湧き水だけだからです。

この厳格な規定は二人のバイエルン公、ヴィルヘルム4世とルードヴィヒ10世によるもので、2016年に500周年という記念の年を迎えました。

この時代を起源とする醸造規則は、当時の質の悪いビールに対する多くの批判に対応したものです。

当時ビール価格は役所が決めていました。原料費の高騰を受けてビール醸造者の利益が次第に減少したため、彼らはビールの品質を落として安い原料を混ぜていたのです。

そして、純粋令が制定されたもうひとつの理由は、食料の安定供給のためでした。

中世の戦いの時代、小麦やライ麦はパン製造のために取りおかれていました。これらの穀物は不足することが多く、民衆の食料確保が優先されたからです。

今ではすべて過去の話となり、法的拘束力はなくなりましたが、500年を経た今でもドイツの多くの醸造業者はビール純粋令に従い、ビールの最高の品質と最高の味わいを守っています。

 

電話

発明者:フィリップ・ライス(Philip Reis)
時期:1859年
場所:ヘッセン州フリードリッヒスホーフ(Friedrichshof, Hessen)

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1834年にヘッセン州ゲルンハウゼンでパン屋の息子として生まれたヨハン・フィリップ・ライスは今日では電話の祖とされています。

彼は1859年に、電気的な長距離通信の構築に世界で初めて成功しました。

この開発の過程で接触型マイクロフォンも発明し、自身が発明した長距離通話装置にテレフォン(電話)という名前をつけました。

1858年から1863年の間に合計3つの異なるプロトタイプを開発。1861年10月26日、「馬はキュウリのサラダは食べません」というアナウンスをして、初めて公の場で発表しました。

この発明は英国を経由して米国に伝わり、アレクサンダー・グラハム・ベルという人の目にとまりました。

今日ライスの存在はベルの影に隠れてしまっていますが、ベルはアシスタントのトーマス・A・ワトソンとともにライスのプロトタイプをさらに開発し、米国で特許を取り、初めて商業利用した人物です。

 

細菌学

発明者:ロベルト・コッホ、ルイ・パスツール(Robert Koch und Louis Pasteur)
時期:1857年〜1876年
場所:ベルリン、パリ(Berlin, Paris)

ロベルト・コッホ ©dpa

ロベルト・コッホ ©dpa

現代の細菌学の基盤は独仏の共同作業によって築かれたもので、ルイ・パスツールが始め、ロベルト・コッホが進めたものです。フランスの化学者パスツール教授が細菌の性質を解明するまで、この分野には誰も手をつけていませんでした。それまでは、細菌は生物のいない自然の中からいわゆる「自然発生」するというのが世間一般の考えでした。

パスツールは、細菌は空気によって運ばれてくるのであって、「自然発生」はしないことを証明しました。

同じ頃、ロベルト・コッホは羊の血液から炭疽の病原体を分離することに成功。

1880年にコッホは帝国保険局の局長になり、そこで結核の研究に打ち込みます。

1882年に病原体を発見。アフリカ派遣の期間を延長して、ペスト、コレラ、眠り病、マラリアを徹底的に究明しました。

結核に効くワクチンをつくろうと試みましたが、成功しませんでした。

1905年にコッホは細菌研究の業績によりノーベル賞を受賞しましたが、その研究がなければ、一連の有効なワクチンが開発されることはなかったでしょう。

路面電車

発明者:ヴェルナー・フォン・ジーメンス(Werner von Siemens)
時期:1881年
場所:ベルリン(Berlin)

1879年 ベルリンにて ©dpa

1879年 ベルリンにて ©dpa

1881年5月12日に「リヒターフェルデ小型電気鉄道」の引き渡しと初運転が行われた時、鉄道の発明者であるヴェルナー・フォン・ジーメンスは喜びもひとしおでした。英国やロシアにいる兄弟に宛て、誇らしげにプロジェクトの大成功を伝えています。とはいえ、初めての路面電車の実現までの道はとてもスムーズとは言えないものでした。

確かに、ジーメンスは1879年には初めての電気機関車を公の場で既に紹介し、ある程度の成功を収めています。

鉄道にかかる投資コストや経営コストに関する問い合わせが世界中の至る所から彼のもとに殺到しました。

その後、ベルリンで電気式高架鉄道の認可を得ようと奮闘しましたが、市行政側の懸念にあって幾度も失敗し、最終的にはこのプロジェクトをベルリン郊外のリヒターフェルデで実現せざるを得ませんでした。

1881年8月にパリで開催された第一回国際電気博覧会では、コンコルド広場からパレ・ランデュストリ(産業宮殿)の展示会場まで電化路線を敷設。

この時のお披露目がジーメンスの名を世に知らしめることになりました。

ヴェルナー・フォン・ジーメンスはその発明によって、今日私たちにとって身近な鉄道交通の基盤をつくりました。

 

大使館スタッフ

ドイツ大使館 広報部の職員による投稿です。

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