日本のミジメ、ドイツのミジメ
<日独ハーフの視点> では日本とドイツの様々な違いについて書いています。
さて「考え方の違い」や「感じ方の違い」はまさに文化の違いに基くものが多いわけですが、実は「なにをもって(その国の)人がミジメと感じるか」にスポットを当ててみると、その国の特色というか特徴のようなものがハッキリ見えてきます。
もちろん「個人的な感じ方」もモノをいうので、「人それぞれ」である部分も多いのですが…そうはいってもやはりその国の「傾向」というものはあるので書いてみます。
では、まず「日本」から。日本ではどういう時に「ミジメ」だという感覚が持たれやすいのでしょうか。いくつかのキーワードを挙げたいと思います。
●「お弁当」
お弁当の中身が質素だったり、見た目がみすぼらしかったりするとミジメだと感じる人が多いようです。日本では「お弁当」がお母さんから子供への愛情をあらわすものであり、夫婦の場合は奥さんから旦那さんへの愛を表すものだったりするのですね。そんな背景もあってか、お弁当の中身が微妙だと、「あ、この人、愛されてないんだな」「手間暇をかけて(もらって)いないんだな」と周りの人に察知されてしまうことについてミジメさを感じるようです。ちなみにドイツには日本のような「お弁当文化」は無いので、「持参した食べ物」というと、全員がバナナやリンゴ、サンドイッチだったりします。なので、あまり「格差」が出ることはありません(笑)
●「結婚指輪」
結婚指輪の値段があまりに低かったりすると、「・・・」と思う女性がやっぱり多いようです。バブルの頃(古くてすみません)などは男性のお給料三か月分などと言われていました。ドイツの場合、そこはあまりこだわらない感じです。というかドイツの場合、日本人が聞いたら「びっくりぽん」の値段であることも少なくないです。
●美容室に半年間、行っていない!
日本人女子の場合、「半年間美容室に行かない」というのはけっこう長い期間だと思われているよう。日本には美容室の数が多いですし、平均して皆さん美意識も高いです。よって、(ドイツと比べると)多くの女子がマメに美容室に通い、髪の手入れを念入りにしています。そういった雰囲気の中で、身だしなみについてあまりに"ざっくばらん"だったりすると肩身が狭いというか「私って女として終わってる・・・」と感じさせられます。まあ「ミジメ」というのは言い過ぎかもしれませんけど、日本では「女子力」にまつわるアレコレを怠ると厳しいものがあります。(下のほうで後述します。)
では「ドイツ人」はどんなことにミジメさを感じるのでしょうか。
●休暇明けなのに白い肌!
夏休みなのに南の島に行けず、休暇明けなのに白い肌(blass)のまま同級生や同僚、友達と会わなきゃいけない時。ドイツ人にとって休暇(Urlaub)イコール南の島!という構図になっていますので、休暇が何週間もあったのにもかかわらず南の島に行け(か)ず日焼けもできないなんて、人にあわせる顔がないというか。しつこいようですが、休暇明けなのに肌が真っ白というのはドイツ人にとって屈辱でしかありません。
●家具など住宅状況
家具が少なかったり、部屋の家具のテイストがチグハグで色合いが合っていなかったりするとミジメだと感じる人が多いため、ドイツ人は基本的に家具にこだわります。⇒若い人はともかく、少し年齢が上になってくると、人間のいわば基本としてイコールそれなりの家具!という考え方があります。そして人を家に招く習慣があるため、自分の好みやセンスを家具を通して表現している部分も大きいのです。よって家具が少なかったり、安っぽい家具だったりすると、ミジメさを感じるようです。余談ですが、「家や部屋が狭い」ということに関しても日本人よりもドイツ人のほうが「ミジメさ」を感じる傾向があるようです。ドイツの雑誌DER SPIEGEL(Nr. 15/9.4.2016)の表紙にもそのあたりのことがよく現れていると思います。ちなみにこの号のSPIEGELには色んなバージョンの表紙があるのですが、こんなのもありました。↓写真をご覧ください。↓
・・・と色々書いてしまいましたが、「ドイツ人が感じるミジメ」と「日本人が感じるミジメ」いかがでしたでしょうか。
まとめると、日本人は食事に関連することで「ミジメさ」を感じたり、女性の場合「女子力」がらみで「ミジメさ」を感じることが多いようです。「女子力」という言葉がある日本ならではの現象なのかもしれません。
対してドイツ人の感じる「ミジメ」には住宅環境に関するものや休暇(Urlaub)に関するものが目立ちます。確かに休暇を休暇らしく南の島で過ごせなかった!!というのは多くのドイツ人にとっては「一大事」です。
・・・そう考えると「何をミジメに感じるか」というところに最も「国民性」というものがあらわれているのかもしれません(笑)「ミジメ」も断定的なものではなく、その国の文化による相対的なものだといったところでしょうか。