「Kraftwerk」が新ナショナル・ギャラリーでコンサート
ミース・ファン・デル・ローエが設計し1968年にオープンした、ベルリンの新ナショナル・ギャラリーは、近代建築の代表作のひとつと言っていいでしょう。ミース・ファン・デル・ローエの建築の形態言語は、1950年代後わりごろから先鋭的になっていきました。彼が目標とする、伸びやかでオープンな空間に可能な限り近づくため、建築デザインは極限までシンプルになりました。
新ナショナル・ギャラリーは、ミース・ファン・デル・ローエの晩年の建築の特徴を、他では見られない形で反映しています。大きく張り出した黒っぽい鉄製屋根は、遠くからも目立ちます。屋根はたった8本の柱で支えられ、4つの面にそれぞれ2本の柱があります。柱のすぐ後ろの建物本体はガラス張りです。地上階を構成する要素はこれだけで、ここは堂々たるエントランスホールとして、あるいは様々な企画展に使用されます。下には地下階があり、ここでは常設展示が行われます。このほか地下には、クロークと手洗いなどがあります。
新ナショナル・ギャラリーは、独立した建築としては、ミース・ファン・デル・ローエの最後の作品でもあります。彼は、建物のオープン直後に亡くなりました。
美術館として40年以上使われたこの建物は、大がかりな改修工事が必要になり、イギリスの建築家デイヴィッド・チッパーフィールドが、改修を依頼されました。このため美術館は、数年間休館します。
ただ、ナショナル・ギャラリーは、ひっそりとアートシーンから姿を消したわけではありません。それどころか、デュッセルドルフの伝説的な電子音楽バンドKraftwerkが、8夜連続でコンサートを行ったのです。Kraftwerkの主要なアルバムから毎晩一つをフォーカスし、それに有名なヒット曲を加えて演奏しました。
Kraftwerkは最も影響力のあるバンドのひとつとされ、エレクトロニック・ミュージックの創始者と見られています。初期のころは楽器などを自作していた彼らの音楽は、70年代にアメリカのヒップ・ポップ・シーンに素早く広がりました。世界的に知られるようになったきっかけは、デヴィッド・ボウイが、Kraftwerkはお気に入りのバンドだ、と発言したことでした。
彼らのコンサートには、カルト的なステータスがあります。Kraftwerkは2011年から、3Dショーのプロジェクトで世界ツアーを行っていて、ニューヨークの近代美術館や、ロサンジェルスのウォルト・ディズニー・センター、パリのルイ・ヴィトン財団美術館、そして今回のベルリンの新ナショナル・ギャラリーなど、世界中の素晴らしい建築で、コンサートを行ってきました。
木曜日の夕方(2015年1月8日)、私は彼らのライブを体験することができました。もう、信じられないと言うほかありませんでした。コンサートは、新ナショナル・ギャラリーの堂々たるエントランスホールで行われました。バンドのメンバーは、ラルフ・ヒュッターをはさんで、巨大スクリーンの前にいつものように一列に並び、スクリーンには3Dプロジェクションが投影されました。ドイツ史で知られたアイコンが3Dアニメーションで映し出され、新しいテーマも加わっていました。これに合わせて、電子音楽が演奏されます。言葉では言い表しようのない、感覚の体験です。
特に、会場が新ナショナル・ギャラリーだったことが、このコンサートを特別なものにしていました。正面のファサードはカバーされていましたが、側面はオープンのままで、ミース・ファン・デル・ローエのオープン建築のコンセプトそのままに、コンサート会場からは周辺の建物が見えていました。隣にある1845年ごろ建てられた教会は、控えめな照明に照らし出されて、音楽と建築が素晴らしいコントラストを作っていました。ギャラリーの屋根の一部は、アニメーション映像の色に合わせてライトアップされ、コンサート会場も視覚的にコンサートの中に取り込まれていました。