ドイツミステリの躍進を決定づけたこの一冊 !!
ネレ・ノイハウスの『白雪姫には死んでもらう』は、昨今のドイツミステリの社会的ブレイクを決定づけたエポックメイキング的傑作です。
ノイハウスの何がどう凄いのか、という基本情報は前作『深い疵』のレビューで書きましたが、実質、この『白雪姫』によって彼女は「ドイツミステリの女王」の座を獲得したと見てよいでしょう。出版から3年たった今もなお、ドイツの書店店頭で平積みの地位を維持し続けている作品です。
実は、そもそも私は2010年に本作を読んで、「あ、ドイツミステリはついに世界に通じるクオリティを確保した!! これはご近所の皆様に知らせなければ!!」と思い立ったのです。そういう意味でも印象深いのですよ~^^
さて、『白雪姫には死んでもらう』の中身について。
田舎の村の閉鎖的コミュニティが箱根細工のようにがっちりと隠蔽する「罪業」をいかに暴くか、というのがメインテーマです。そして、ベルリン育ちで村に引っ越してきたばかりの女の子…しかもおもいっきしゴス系サブカル女子の好奇心が「村」の共同体意識と化学反応を起こしはじめ、次第にパンドラの匣を開けてゆく導入部の展開が素晴らしい。
これぞまさに教科書が教えないリアルドイツの実相です。私も体感的に知っている「田舎」と「都会」の日常的ギャップが的確に活写されており、しかも、それが物語の心理サスペンス性をいっそう巧緻で強固なものに深めてゆく構成が良い。実に良いのです。ドイツを知っている人が読んでも、知らない人が読んでも惹かれずにいられない。試合開始後およそ50ページで、私はすでにノイハウス先生の圧勝を確信しました。
文章の「匂い」でわかるんですよね…。
本作は、謎解きの因果関係が複雑な技巧的作品です。ただしミステリ通の読者ならば、中途である程度のオチ予測は可能かもしれません。かくいう私もそれなりに読みが当たっちゃいましたし(汗)。
…しかし、それで退屈や失望に陥ることは決してありません。なぜならば、謎解き云々を抜きにして普通小説としても存分に面白い。どうということのない場面でも、読者をぐいぐい引っ張ってしまう力があるからです。このへんがノイハウス先生の凄いんですポイントその2ですね。特に彼女の作品の場合、
ちょい役の人物の平凡な内面を、非凡な切り口で描写する
文章表現の冴えが絶品です。村八分をする加害者側の、本当はビビりまくっている心の揺れ具合とか!!
そのあたり、ミステリというカテゴリから求められる要件を、無理なく軽々と凌駕してしまっていて大変素敵です。本当はかなり教養人的なツボに満ちている小説なのですよ。
そして、本作が傑作たる最大のポイントは…ある意味、日本語版389ページのピア・キルヒホフ警部のモノローグ、この一文にひそかに集約されているといえるかもしれません。
無数の疑問が脳裏をよぎるが、情報が増えるばかりで、どうしてもひとつの像を結ばない。
少なからぬ識者がすでに指摘しているとおり、ノイハウス作品は大量の登場人物を擁し、作中、ちゃんと収拾可能かどうか不安になるくらい、ネタ展開が多角的に拡散する傾向があります。
その特徴は、プロット構成とストーリーテリングの巧みさという文芸テクニック的観点から高く評価されています。が、よく考えると、これこそまさに、ITを前提とした「大量情報あふれ社会」の中を生きるわれわれ読者の生活実感に溶け込み、シンクロするポイントだと思うのです。こちらの都合おかまいなしに流れ込んでくる情報を常に取捨選択し、捌いていくことで成立する日常生活感覚。それを洒落にならない形で凝縮させた図式が、「情報と時間に追いまくられて、骨の髄までヨレヨレになる」ノイハウス作品の中核にあるような気がします。
ノイハウス先生自身がそこまで意図してこの作風をつくりあげたのかどうかは不明ですが、結果的にそうなっているのは確かです。
とはいえ、彼女の作品内で「怒涛の情報ストリーム」に立ち向かうのは、『ミレニアム』に登場するリスベット・サランデルのようなイカす電脳カウボーイではありません。他人よりちょっと頭が切れるだけの「おじさん、おばさん」たちです。彼らが、天才ではなく根性と執念で情報処理を行いながら事件の核心に迫ってゆくのです。家庭の不和やらお役所からの理不尽な通告やらといったアレコレに耐え、高カロリー甘味の誘惑に負けたりしつつ。
この高度にして圧倒的な「ダサかっこよさ」、これこそが、処女作から練り上げられてきて『白雪姫』でついに確立された、ノイハウス作風の最大の秘訣ではないかと私は考えています。
ドイツ人はイケてない、という周辺諸国の定説(「偏見」と言いたい気もするが、実際そういうところはある)に敢えて逆らわず、その上で実直な知的・精神的魅力を放つキャラクターを活躍させるノイハウスの小説は、まさに、「もう英米、北欧の諸作品を横目で気にする必要のない」ドイツミステリのひとつの到達点と言えるでしょう。
正直、従来型のドイツミステリを読むとき、私は、「他国のマスターピース作品を100点とすると、この小説は…」という評価を無意識的に行っていました。しかしノイハウス作品、特にこの『白雪姫』以降の作品の場合、そういう作業を「無意識的に」忘れながら読んでいました。極私的な感触で恐縮ですが、だから「これはホンモノだ!」と断言できるのです。
この作家は本当に凄いので、今後ともどうぞよろしくお願い致します!
これが今回の記事の絶対的結論です。
シーラッハのような、いわゆる「天才型の天才」でなくとも、また、ジャンルミステリの枠内でも、人間、やればここまで突き抜けられるんです。素晴らしいことです。
それではまた、Tschüss!
(2013.06.02)
マライ・メントライン
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。
まあ、それもなかなかオツなものですが。