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シーラッハはデュレンマットの夢を見るか?

シーラッハはデュレンマットの夢を見るか?

シーラッハはデュレンマットの夢を見るか?

2012年は、シーラッハ『犯罪』の本屋大賞受賞を筆頭に、翻訳ドイツミステリをめぐっていろいろな動きがありました。決定的なブレイクと伸張の年だったといって過言ではないでしょう。嬉しい限りです。翻訳者、編集者、読者の皆様、感謝しています!



そんな翻訳ドイツミステリの2012年の締めくくりにあたり、年末ランキング『このミステリーがすごい!』 の海外編第5位に、古典復活ともいえる形でスイスのドイツ語作家、フリードリヒ・デュレンマット(北ドイツ人発音では「デュッレンマット」に近いんだけど、スイスではどう発音しているのかしら?)の短編集、『失脚/巫女の死 デュレンマット傑作選』 が入ったのはやはり特筆すべきでしょう。



デュレンマット(1990年没)は、ドイツ語圏で超有名な文筆家です…が、私自身は劇作家という印象が強く、まさか現代日本にて「ミステリ作家」というカテゴリーで脚光を浴びるとは思ってもいませんでした。

そこで、世の中のことはだいたい何でも知っている系のキャラである私の父親に「デュレンマットってミステリ作家として認識されているの?」とさらっと聞いてみたところ、



「デュレンマットは、初めて哲学的テーマをミステリという形式で表現できたドイツ語作家だよ。何故ミステリなのかといえば、それならみんな読んでくれるからだ…そう、30年前、ドイツの読書人たちに一番読まれていたのはデュレンマットだったねぇ」



という、じつに端的で決定的なお答えが。

ってか、自分の娘が日本で「文学とエンタメの境界」という観点からドイツミステリ紹介をやっているのを知っているのだから、そういう話はもっと前に教えてくれてもよさそうなのに! と思わぬでもないですが、マジメ系の大学教授とはそういうものです。そう、聞けば応えてくれる…聞かなかったのが不覚(笑)



『このミス』で、デュレンマット作品の雰囲気がシーラッハに通じるという見解が示されていました。それは上記の父の言葉からも裏付けられる感じですね。シーラッハの場合、どこまで意図的にそう演出しているのかはわかりませんけど。



さて、この日本版のデュレンマット短編集、私の周辺のミステリ業界関係の皆様の反応をうかがうと、収録作の中でも『トンネル』『失脚』といったあたりの評判がよろしいようです。ホラー、サスペンス、パズル的な文脈とのシンクロ性が高いという意味からも、それはわかる気がします。また私的には、必然と偶然、男性性と女性性、知と智、それぞれの相克を一気に徹底的に掘り下げた哲学的作品『巫女の死』がとても印象深い…
そして、ドイツ人・ドイツ社会的な観点からみると、私は敢えて『故障』という一篇をオススメしたいです。これは基本的に「精緻・巧妙な曲解が正解を上回り、現実解釈をゆがめる可能性」を表現した作品です。が、多くの優れた作品がそうであるように、(ひょっとして作者の意図を超えながら)それ以外の「認識のツボ」をも突いた作品です。

あの裁判ごっこが招く心理的な悲喜劇は、まさにドイツ系の社会が今なお抱える階層の相克、インテリと非インテリの相克、世界観の断絶といった問題を、「こんなやり方があるのか!」と意表をつく形で、しかも驚くほど的確に深く深く深く描ききっていて大変興味深い。比較文化的な趣味人にとっては大傑作としかいいようがありません。



…下手な書き方をするとつまらないネタバレになりかねないから、あまり詳細には書けない。でも書きたいんです。ああ、もどかしい!(笑)
強いて言うならば、『故障』で語られることの根本的本質は、一見ジャンルは全然違うのだけど、フィリップ・K・ディック『暗闇のスキャナー(スキャナー・ダークリー)』 で描かれる精神崩壊の問題に近いテーマ性を持っています。何かのはずみで、魂的に自分本来のキャパを超えた上位レベルの視座を知ってしまうと、そこから離れることは出来なくなる。しかし、自らの物理的なスペックはその刺激に耐えられない…



そう、凄い。凄いんですよ、時代を超えてデュレンマット!!

そういえば、父の表現を借りれば、「ディックは、初めて哲学的なテーマをSFという形式で表現できた作家」といえるでしょう。そしてその作品は、ジャンルや時代性を超えた普遍的な知的価値を持つ(可能性が高い)ものとして評価されています。なので、デュレンマットがそこにシンクロする作品を生み出したことは、論理的に見て何の不思議もありません。これぞ醍醐味。読書って素敵です。



ただひとつ、わたしの心にひっかかるのは。

この素晴らしい「デュレンマット文明」が30年前に繁栄をきわめ、ドイツ読書界を席巻したのに、当時これといったフォロワーも残さずシルクロード古代都市のように滅亡し、ジャンル文芸としてのドイツミステリの文脈からは一旦、完全に忘れ去られたらしいことです。時代背景的に「早すぎた作家」だったのか?

進化系図的にはたとえば天才シーラッハ先生が彼のフォロワーということになるのかもしれませんが、しかし30年の空白は大きい。大きすぎる。このミッシングリンクはいったい何を意味しているのか?



どうにも気になるので、そのへんを継続して考えてみたいと思います。何か思いつくことがあったら、当方までご一報いただけるとありがたいです。



それではまた、Tschüss!



(2013.01.18)




YG_JA_1937[1]マライ・メントライン




シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。

まあ、それもなかなかオツなものですが。

マライ・メントライン

翻訳(日→独、独→日)・通訳・よろず物書き業 ドイツ最北部、Uボート基地の町キール出身。実家から半日で北欧ミステリの傑作『ヴァランダー警部』シリーズの舞台、イースタに行けるのに気づいたことをきっかけにミステリ業界に入る。ドイツミステリ案内人として紹介される場合が多いが、自国の身贔屓はしない主義。好きなもの:猫&犬。コーヒー。カメラ。昭和のあれこれ。牛。

Twitter : https://twitter.com/marei_de_pon

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