「がんばります」「お疲れ様です」はドイツ語に訳せない!?そして“Mahlzeit“は日本語に訳せない・・・
ニッポンとドイツを比べながらあれこれ言うのが生業のようになっているワタクシですが、やっぱり文化だけではなく「言葉」も気になったりします。
というのも日本とドイツでは文化が違うので、「ドイツ語に訳すのがむずかしい日本語」があったりするのですね。
たとえば「みんなで一緒に頑張りましょう」という言い回しはドイツ語に訳すことはできても、意図は伝わらないと思います。
和独辞書に日本語で「頑張る」と入れてみたら、ドイツ語訳として“bis zum Ende durchhalten; nicht aufgeben“と出ました。この訳に従い、もしも「みんなで一緒に頑張りましょう」をドイツ語で“Lasst uns alle bis zum Ende durchhalten!“なんて言ってしまうと、なんだか「物凄い不幸な状況の中で皆に声をかけている」ニュアンスになってしまいます。または戦争中に兵隊さんに声掛けしているような雰囲気です。
日本で使われているような「みんなで力を合わせて良い仕事をしましょうね」といったポジティブで明るい雰囲気は全く伝わりません。。
そして“Mahlzeit“は日本語に訳せない・・・
ニッポンのオフィスで使われる「お疲れ様です」とか「お疲れ様でございます」は「日本のオフィスの『挨拶』ですよ」とあくまでも挨拶であることを強調してドイツ人に説明したほうがよいかもしれません。
「お疲れ様です」のドイツ語訳を知りたい人には教えてあげてもよいとは思いますが、ドイツ語の直訳は„Vielen Dank für Ihre Mühen! “なので、「オフィスで頻繁にする挨拶」とはちょっと違ってきちゃいます。
「お疲れ様です」は主に仕事関連で使われている言葉なので、「ニッポンではオフィス専用の言葉があるなんて不思議♪」・・・と言いたいところですが、実はドイツにも「オフィスだけで頻繁に使われている挨拶」があるのでした!それは・・・・Mahlzeit!です。
主にバイエルンなど南ドイツで使われる挨拶ですが、オフィスや廊下など会社のいたるところで同僚に合うと„Mahlzeit! “と声をかけます。
Mahlとはご飯の意味です。よってこのMahlzeitという挨拶は本来は食事をする前に一緒に食事をする相手に対して言うもの(※)なのですが、今は食事の前ではなくても【午前11時から午後3時ぐらいまで】はずっとMahlzeit!と言っていいことになっています(笑)
※Guten Appetit!と言ってもいいし、Mahlzeit!と声をかけるのも可。
エレベーターで同僚と居合わせればMahlzeitと挨拶し、廊下ですれ違う際もMahlzeit、ヘタすると会社の近くで会ってもMahlzeitなんて挨拶したり。オフィスでの勤務時間が9時から5時の8時間だとすると、【11時から3時頃まで】というのは結構長い時間なので、ほとんど一日中Mahlzeitという挨拶を使っているといってもいいかもしれません。幸い、3時以降この挨拶は不可!なんていう厳密なルールもないですしね。
「親日」「反日」という言葉をドイツ人に理解してもらうことが難しい理由
さてここまでは気軽な話題でしたが、ここからはちょっとシビアになりますよ。
ドイツ人に理解してもらいにくい日本語の一つに、近年ニッポンのメディアやSNSで見かける「親日」「反日」という言葉があります。
日本では「アメリカのハリウッドスターの●●さんは親日家」だとか「「●●という国は親日的だ」「●●という国は親日国家」という使われ方がされています。同時に、その逆の意味である「反日」という言葉もよく使われています。
「反日」という言葉の使われ方や、その言葉を使うことの是非をここで問うことはしません(話が長くなりそうですので・・・)が、ひとつ確実にいえることは、日本語の「親日」「反日」という言葉が入った文章をドイツ語に訳したとしても、ドイツ人にはピンとこないということです。
昨年ドイツ・ベルリンのミッテ地区の「平和の少女像設置騒動」でもそのことが露わになりました。
「平和の少女像の設置」については、日本国内では一部の著名人も含み「設置は反日的なことであるから容認できない」という発信が見られました。
しかしこの「反日的なことであるから容認できない」または「設置は反日を象徴する行為だから日本人は怒っている」という文章をドイツ語に訳しても、ドイツ人に理解してもらうことは難しく、共感を得ることはまずないでしょう。
「親日」「反日」という日本語をこれまた和独辞書に入力してみると、japanfreundlich(親日)、antijapanisch(反日)というドイツ語がでてきます。
しかしドイツではそもそも「親独」「反独」という言葉は使われていません。「親独か」それとも「反独か」という観点から物事を見る習慣はないため、「親日」「反日」といった概念も理解されないわけです。
勿論これには歴史にまつわる複雑な問題が根底にあるため、言葉だけの問題ではありません。しかし複雑な問題が根底にあるからこそ、さらに「ある言葉に対して共通の認識がない」という事実はやっぱり隔たりが深まることにつながります。
この記事、書き出しは明るかったのに、終わりはなんだかシビアになってしまって、すみません・・・
来月またお会いしましょう!
サンドラ・ヘフェリン