ユダヤ人として、ヒトラーユーゲントとして-加害者であり、犠牲者
ドイツ総領事館に居候しているリョウちゃんからメールが届いたよ♪
今日の話題は・・・=^_^=
サリー・ペレルさん、1925年生まれの御年94歳。見た目は小柄で元気なおじいさんだけど、その人生はとても複雑で1990年に映画化され、日本でも「僕を愛した2つの国/ヨーロッパ ヨーロッパ」というタイトルで上映されているニャン。
すごく省略して、サリーさんのその激動の人生を説明すると・・・
1925年(第2次世界大戦前)にドイツのユダヤ人家庭に生まれ、幸せな幼少時代を過ごすが、1933年にナチスが政権を掌握すると状況は一変、ペレル一家はポーランドに逃れる。1939年にドイツがポーランドに侵攻、一家に再び危機が迫る。両親はサロモン(サリー)と兄のイザークを逃すことを決意。母の別れの言葉「生きなさい!」を心にさらに東へ、ソ連占領地域に逃れそこで孤児院に入る。1941年独ソ開戦、さらに東へと逃げるがドイツ人兵士に捕まる。とっさにサリーは自分を「ドイツ人」と偽りユダヤ人であることを隠しながらドイツ軍の通訳として働く。優秀であったためドイツにあるヒトラー青年団の学校に送られ、反ユダヤ主義を叩き込まれながら、ユダヤ人であることが見つかれば殺されるという恐怖と戦いつつ終戦までの4年間を過ごす。
そんなサリーさんが初来日、京都・立命館大学で講演をするということで拝聴してきたニャン。
実は、京都以外にも東京横浜独逸学園や鎌倉学園で講演をしたんだけど、そのときは学生さん限定だったんだ。
でも、ここでの講演は一般にも公開。
平日の午後ということで、来場者がどれぐらい来るかなぁって思ってたけど、定員80名を超える150名近くの人が来場、最後に来た人は立ち見していただくことに。
講演で、サリーさんは、当時の感情を交えながらはっきりとした声で力強く語ってくれた。
ドイツ兵に捕らわれたとき、ドイツ兵になってから将校に襲われてユダヤ人であることがばれたとき、ナチのエリート校での優性人種の授業で典型的なアーリア人種であるといわれたとき、ドイツでの休暇中に両親が住むゲットーをこっそり何度も見に行ったこと、ナチの制服を来たユダヤ人としてアメリカの捕虜になったこと、離れ離れになっていたお兄さんとの再会・・・
最後に、サリーさんはあるイスラエルの女子校で講演をしたときの話をしてくれたんだ。
講演後の質問で学生から「あなたは幸せな人間ですか?」と聞かれ、サリーさんは「私は幸せな人間です。家庭を築き、子も孫もいます。幸せだといえるのは、母の願い『生きなさい』を叶えることができたから」と答えたって。
そして、今回の講演後の質疑応答でも、様々な質問が。
「ナチスの教育では、日本についてはどんなことを教えてましたか?」
「戦後、ヒトラーユーゲントの同窓生とは会いましたか?再会はどうでしたか?」
「アメリカの捕虜になった後、なぜイスラエルに行かれたのですか?」
「ドイツ人将校に襲われたのは非常に辛いことだったと思いますが、彼に対する人間的な印象はどうですか?当時の思いと今の気持ちを教えてください」
「最近、ドイツではハレ市で反ユダヤ主義のテロがありました。またそれに対するデモもありましたが、真剣に取り組む人だけではありません。現況をどう思いますか?」
そして最後に、お兄さんについての質問が出たときに、
「兄について質問してくれてうれしいです。ありがとう、兄について語る機会をくれて」と言ったことが、とても印象的だったニャン。
サリーさん、遠いイスラエルからはるばる日本に来てくれてありがとう。
これからもたくさんの人に体験談を語り、お元気に平和活動を続けられることを心からお祈りしてるニャン。
(05. Februar 2020)
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