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「おしん」に見る比較文化

「おしん」に見る比較文化

© Universal Pictures

「おしん」に見る比較文化

今年、再び「おしん」がやってきました。現在、全国の映画館で公開中です。この「おしん」、私も先日見て来ました。映画の個人的な感想に関しては、また別の機会に詳細を書くとして・・・私はこの「おしん」、比較文化的な観点で色々と気になっております。



というのは、1983年にNHKで放送されたドラマ「おしん」は後に全世界68国で放送されたのですね。今回、上映された映画「おしん」に関しても、映画公開前から既に11カ国から上映オファーが来ていたといいます。



そこで調べてみたら、ドラマ「おしん」が流行った国には、中国、タイ、ベトナム、タジキスタン、エジプト、イラン、アフガニスタン、などがあるようです。



中国の一部では「おしん」の放送時間帯に街から人がいなくなるため犯罪が減っただとか、ベトナムでは「おしん」の放送時間帯は皆テレビにかじりついて水仕事をしないのでその時間帯の水道水の使用量が減った、なんて話もあります。



文藝春秋の 9月号に小林綾子と泉ピン子さんの「おしん」に関する対談が載っていたのですが、小林綾子さんが「インドネシア語の吹き替えの放送を聴いて、柔らかい感じの言葉が『おしん』にピッタリだなと思いました」と言っているのを聞いて、なるほど、「おしん」に合う言葉とそうでない言葉があるんだな、と思いました。小林さん曰く、中国語も「おしん」によく合うみたいです。笑ったのは、泉ピン子さんが「スペイン語の吹き替えは元気が良過ぎて悲壮感がなかった(笑)ラテン系はちょっと違うかも。」と話していたところです。それにしても、スペイン語の吹き替え版があったのですね!



そこで私も気になって、ドイツで「おしん」が放送された事があるのか調べてみたのですが、ドイツのヤフーにOshinと入力しても、 Oschinと入力してもあまり多くの結果は出ませんでした。どうもドイツではおしんは放送されなかったようです。



なので「おしん」のドイツ語の吹き替え版なるものも存在しないのですね。・・・たしかに「ドイツ語」を話す「おしん」・・・・なんだか想像できないですねえ。



ドイツ語が非常にドライな言葉だからでしょうか。あまり「情に訴える」表現や描写はドイツ語でしにくいと思いますし、無理やり訳したところで違和感が残るというか。。。



だから放送されなかったのかもしれません。そして同時に思ったのは、言葉の面での問題点のほかに、「文化」の面でドイツではおしんは受け入れ難かったのだろうなあ、という点です。



「ドイツ語を話すおしん」も想像できないし、なんだか「おしんを見ているドイツ人の観客」も、なんだか想像できないのです。



いえ、ドイツ人が冷たいというわけではありません。もしもドイツ人に「おしん」を見せたとしたら、悲しさのあまり泣き出す人も多いのだと想像します。でもなんというか、映画「おしん」が発しているメッセージに共感できるドイツ人は少ないのではないか、と思います。



では映画(またはドラマ)「おしん」のメッセージは何かと言うと、「いま裕福な日本にも、こんな時代があった」という点がまず一つ、そしてもう一つが「貧しいながらも、どんないじめにも耐え、ひたむきに生きる、いたいけな女の子」の苦悩を情に訴えかけている部分が大きいと感じます。「苦しくても一生懸命がんばる、素直な女の子」が映画を通して一つのキーワードになっているのですね。



ところが、ドイツを含む北ヨーロッパの方々は「苦労する女の子」の話を美化する事に物凄いアレルギー反応を示す事が多いのですね。そんなところにドイツや北ヨーロッパで「おしんブーム」が起きなかった理由があると私は見ています。



では、ドイツには「おしん」のような物語はなかったのかというと、実はドイツにもありました。1989年に流行ったHerbstmilchです。これはAnna Wimschneiderさん(1919年~1993年)が体験した実話で、ドイツでベストセラーとなり映画化もされました。第二次世界大戦前のNiederbayern(バイエルン地方)の貧しい農家の女の子の話です。母親が病気で死んだため、8歳の女の子が兄弟9人つまり家族全員の家事を引き受け、家畜の世話もし、朝は4時起きで、一日中働き詰め、食べ物はほとんどもらえない、という悲惨な話です。Anna Wimschneiderさんは、娘さん3人と孫のために(世間に公表する予定はなく)これらのエピソードを書き上げましたが、これを読んだ彼女の娘さんの夫(つまりAnna Wimschneiderの義理の息子さん)が出版社に話を持ち込み、本が出版されました。その本がベストセラーとなった、ということは、ドイツ人もこういう話に興味があるということです。(ちなみに写真を見ると、働く少女のAnnaはどことなく「おしん」に似ていると思うのですが、いかがでしょうか。)



子供時代に物凄い苦労をしたAnna Wimschneiderさんが年頃になり、結婚をしたら姑さんに長年いじめられました。第二次世界大戦が始まり、戦争中も飢餓と貧困と姑のいじめに苦しみますが、「おしん」と決定的に違うのは、「終わり方がパアーッと明るい」こと。いわゆるハッピーエンドと言いますか、戦争から負傷して帰ってきた旦那さんが偶然姑(男からしたら実母)の嫁いびりを目の当たりにし、旦那は奥さんの肩を持ち、実母に「母さんはもう出て行け!」と実母を家から追い出し、めでたしめでたし、やっほやっほ! という終わり方なのです(笑)



このあたり、「耐えるのが美徳」というメッセージを映画の最後のほうまで発している「おしん」とはだいぶ違うのですね。



映画「おしん」の終わりのほうで、泣くおしんに対して泉ピン子さんが「あのな、おしん、女はみんな夫や親、子供のために働くんだよ。自分のために働くんじゃないよ。みんな人のため。それが女なんだよ」と言っていて、それは当時の考え方ではあったのだろうけど、そしておしんに話しかける泉ピン子の眼差しは限りなく優しいのだけれど、同時に、「え?こんな終わり方でいいの?」と思ったのも事実です。「どんなに理不尽な目に合おうとも、女は人のために苦労をするのが美しい」というような美談になっているところが引っかかります。だから私、「おしん」を見ながら号泣しつつも、「騙されないぞ騙されないぞ」と心の中で唱えがら見ました(笑)



ドイツで放送や上映がされなったのは、このあたりに理由がある気がしてならないのですが、実際はどうなのでしょうか。



もしもドイツで「おしん」を上映するならば、少なくともエンディングを「そしておしんはハッピーになりました。やっほー!」みたいな軽い感じにするか、またはドキュメンタリー映画的に「現在の日本では『奉公』は廃止されました。現在も世界の至るところに色濃く残る格差社会の撲滅のために皆様のご協力をお願いします」と説明を入れる展開にしないと、受け入れられないのではないかと思います。まあそれだと、実際の「おしん」とは別の話になってしまうから難しいのかもしれませんが・・・



ところで「演歌」も、苦労して泣く女、がテーマですね。寒い冬、海、桟橋、あなたは来ない、でもいつまでもアナタを待つわ、でも苦しいの・・・みたいな。そして、こちらのほうも「おしん」同様、「演歌の流行る文化圏」と「演歌の流行らない文化圏」というのがあります。演歌が受け入れられる文化圏とは、中国、韓国、ベトナムなどアジア全般、あとはイスラム圏でも(歌詞に「酒・・・」があるものを除いては)受け入れられやすいようです。エチオピアの民謡なんかは元々が日本の演歌と曲調が似ているらしく、日本の演歌を聞かせると現地の人に喜ばれるといいます。ところが・・・・ドイツ人を含む北ヨーロッパの人々に演歌を聞かせると(私、実験的に、聞かせたことあります^^)だいたいが「???」というリアクションです。メロディーに感極まったり、歌詞を訳してあげても、それに感動する人はあまりいなかった印象です。



ちなみに私自身に関しては(カラオケですが)演歌を歌うのが好きなので、「サンドラ東洋人だね」と言われます。心のあり方が東洋人?・・・なのかもしれません。よくわからないけれど、私、ドイツ人よりは東洋人っぽい心だと思います。「東洋人っぽい心」というのは、つまりは「ウエット」であるということですね。



話を元に戻すと、「おしん」が流行る文化圏とはイコール「演歌」が受け入れられる文化圏でもあるのです。中国、ベトナム、イラン、アフガニスタン、タジキスタンなどですね。



そう考えると、「どこまでがアジアで」「どこまでがヨーロッパか」ということを「文化的に」線引きするときに、「その文化圏で『おしん』が受け入れられているか否か」、または「演歌が受け入れられる文化圏か否か」が一つのキーワードになりそうです(笑)



日本を含むアジア圏にある「ウエットさ」「情」。そしてその対極にある「ドライさ」を基盤に「カラッとしたハッピーエンド」が大好きな西洋文化圏(北ヨーロッパ)の人々。



余談ですが、面白いのは、西洋文化圏の人々であっても、旧共産圏の人々は「東洋的な情」に共感している事が多い点。現に80年代のドラマ「おしん」は当時共産圏だったポーランドで放送されていました。



これは私の個人的な感想なのですが、「おしん」や「演歌」に感情移入する人が多い国は、人の情に厚い優しい気質の人々が多いのかもしれません(イラン、パキスタン、ベトナムなど)。対して、ドイツを含む北ヨーロッパなどの西洋文化圏は、「正義」、「ハッピーエンド」、「改革」、や「合理性」を強く求める文化圏なのですね。ドイツ、スウエーデン、フランス・・・・確かにこれらの国々では制度も含めて人々は「合理的」なものが大好きですね。その反面、人の痛みに「感情面」では鈍感な人が多いとも言えるでしょう。



ちょっとイジワルな言い方をしてしまうと、「ビーチでゴロゴロ日焼け」をすることがドイツ人の文化なのですから(その休暇のために、ドイツ人は仕事をする)、そういう「日焼け&休暇が命」がライフスタイルのドイツ人に「おしんの痛み」を理解してもらうのはちょっと難しいのかもしれません(笑)



もちろんドイツ人は、個人レベルでは色んな人がいますが、何かこうドイツ社会の風潮は「おしんを見て感動するメンタリティー」とは遠いのですね。



私自身は「おしん」に感動しながらも、「今現在も、世界の至るところでこういった話が繰り広げられている事を忘れてはならない」と強く思いました。場所を変えて、風景を変えて、おしんのような運命をたどる少女はいまだに世界中に沢山います。それはインドのカーストの低い出身の少女だったり、売春宿に売られていく少女だったり。「おしん」つまり「少女の苦労」は終わっていない。すこしレアな感想かもしれないけど、映画「おしん」を見ながら私はそんな事を考えました。




P.S. めでたく「ハーフの漫画」の増刷が決まりました! 「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ」 皆さんぜひ読んでみてください。




YG_JA_3163[1]サンドラ・ヘフェリン



ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴15年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社)、近著「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) など6冊。自らの日独ハーフとしての経験も含め「ハーフ」について執筆している。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、執筆、散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。



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サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴19年、著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) 、「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: ヒラマツオ/KADOKAWA)、「『小顔』ってニホンではホメ言葉なんだ!?~ドイツ人が驚く日本の「日常」~」(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: 流水りんこ/KKベストセラーズ)」など計11冊。自身が日独ハーフであることから、≪ハーフはナニジン?≫、≪ハーフとバイリンガル教育≫、≪ハーフと日本のいじめ問題≫など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。

サンドラ・ヘフェリン