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なぜプレンツラウアー・ベルクにビール醸造所が集中していたのか

元醸造所のブラウエライ・ケーニヒシュタット

なぜプレンツラウアー・ベルクにビール醸造所が集中していたのか

こんにちは。ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区に住んでいるライターの久保田由希です。私はビールが好きで、ゴツッとしたレンガの工場建築を見るのが好き。その2つが合わさって、いつからか昔のビール醸造所を好んで見に行くようになりました。

今回は、そんな私の趣味を前面に押し出したテーマです。
題して「なぜプレンツラウアー・ベルクにビール醸造所が集中していたのか」。

これまで私が地域ツアーや元醸造所見学、本、ネットなどから得た知識をまとめました。かなりニッチな内容ですが、日本語によるこんな記事はなかなかないと思うので書いてしまいます。なんといっても、このコーナーは「だいすき! ベルリン・プレンツラウアー ベルク」ですからね。私の大好きな(ビールと醸造所の建物がある)プレンツラウアー・ベルクをご案内するということで。

ベルリンの工場建築ってどんな感じ?

まずは「工場建築」と聞いて、どういう建物を想像されますか? 恐らく日本ではモダンでシンプルなものを思い浮かべるのではないでしょうか。ところがベルリンだと築100年余の、煙突がある重厚なレンガ建築というイメージがあります(試しに”Fabrikgebäude(工場建築)” “Berlin” という言葉で画像検索してみてください)。ドイツ(プロイセン)では19世紀後半から産業革命の波が訪れてベルリンに多くの工場ができ、それがいまも残っているからです。

工場と聞いて思い浮かぶ、煙突があるレンガ建築

工場と聞いて思い浮かぶ、煙突があるレンガ建築



ビール醸造所も工場のひとつ。いまでこそビールは大手メーカーの製品が全国で買えますが、もともとは地域に根づいた小規模醸造所で生産されており、ベルリンにもそうした醸造所がひしめいていました。

プレンツラウアー・ベルクにあった醸造所

ビール醸造所をドイツ語でいうとブラウエライ。プレンツラウアー・ベルク地区には、「○○ブラウエライ」という名称の施設がたくさんあります。前回このコーナーで散歩したクルトゥアブラウエライもそうですし、そのほかにもブラウエライ・ケーニヒシュタット(Brauerei Königstadt)、ベッツォウ・ブラウエライ(Bötzow Brauerei)、 シュナイダー・ブラウエライ(ブラウエライ・シュヴァイツァー・ガルテンとも)(Schneider Brauerei, Brauerei Schweizer Garten)、お隣のパンコー地区との境にはヴァイスビーアブラウエライ・ヴィルナー(Weißbierbrauerei Willner)もあります。

 

左上から時計回りにブラウエライ・ケーニヒシュタット、ベッツォウ・ブラウエライ、 シュナイダー・ブラウエライ、ヴァイスビーアブラウエライ・ヴィルナー

左上から時計回りにブラウエライ・ケーニヒシュタット、ベッツォウ・ブラウエライ、 シュナイダー・ブラウエライ、ヴァイスビーアブラウエライ・ヴィルナー



 

これらの施設は現在オフィスやアトリエになっていますが、「ブラウエライ」という名称は、かつてそこが醸造所であったことを物語っています。ちなみに、レストランや劇場があるプフェファーベルク(Pfefferberg)もかつては醸造所でした。そしてここでは、いま再びビールが造られています。

 

複合施設となった元醸造所プフェファーベルク

複合施設となった元醸造所プフェファーベルク



 

19世紀のビールの流行

先に挙げた「○○ブラウエライ」は、現存している施設。でも20世紀初頭のプレンツラウアー・ベルクには、いまはもう建造物として残っていないものも含めて、10から20もの醸造所があったようです。

 

ブラウエライ・ケーニヒシュタット入り口にある地図から、かつての醸造所の場所がわかります

ブラウエライ・ケーニヒシュタット入り口にある地図から、かつての醸造所の場所がわかります



 

なぜそんなにもプレンツラウアー・ベルクにビール醸造所が集中したのでしょうか。
それは当時流行していたビールの種類(スタイル)と、プレンツラウアー・ベルクの地形が大きく関係していました。

ビールにはいろいろなスタイルがありますが、大きくは発酵の仕方によって上面発酵ビールと下面発酵ビールの2つに分かれます(厳密には自然発酵ビールもありますが、ごくわずかです)。ドイツの代表的な上面発酵ビールのスタイルはヴァイツェン、アルト、ケルシュなどで、下面発酵ビールはピルスナー、ヘル(ヘレス)、シュヴァルツ、ボックなどがあります。ちなみに日本の主要銘柄は、いずれも下面発酵のピルスナーです。

 

上面発酵のヴァイツェン(右)と下面発酵のピルスナー(左)

上面発酵のヴァイツェン(右)と下面発酵のピルスナー(左)



 

 

歴史的には上面発酵のほうが古く、下面発酵ビールは19世紀にバイエルンで人気に火がつき、全国を席巻しました。ベルリンにもバイエルンから醸造家がやって来て、それまでとは異なる下面発酵ビールの醸造所ができました。

下面発酵ビールは上面発酵と異なり、低温で発酵・貯蔵する必要があります。まだ冷却装置が発達していなかった当時は、ひんやりとした地下が下面発酵ビールの醸造には最適でした。そこで、下面発酵ビールのために地下スペースが必要となったのです。

 

ブラウエライ・ケーニヒシュタットの地下。かつては凍った湖の氷を入れ、冷蔵していました。現在は駐車場です

ブラウエライ・ケーニヒシュタットの地下。かつては凍った湖の氷を入れ、冷蔵していました。現在は駐車場です



 

 

ブラウエライ・ケーニヒシュタット地下への入り口(左側)。まさかここがかつての貯蔵庫だったとは

ブラウエライ・ケーニヒシュタット地下への入り口(左側)。まさかここがかつての貯蔵庫だったとは



 

シュナイダー・ブラウエライの地下。戦時中は防空壕としても使われていました

シュナイダー・ブラウエライの地下。戦時中は防空壕としても使われていました



 

下面発酵ビールに最適だったプレンツラウアー・ベルクの小高い丘

さて、今度はプレンツラウアー・ベルクの地形についての話です。
プレンツラウアー・ベルクの「ベルク」とは、ドイツ語で山の意味。山といっても「丘」程度の高さですが、南側のミッテ地区から北側のプレンツラウアー・ベルク地区を眺めると、上り坂になっているのがわかります。
小高い丘の斜面に醸造所を建てれば、自然の高低差で平地を掘るよりもずっと簡単に地下スペースができます。斜面の下の部分に入り口を作れば、貯蔵したビールの搬出にも便利です。

ベルリンは氷河期に氷河が溶けてできた谷に位置しているために地下水が豊富。地下を掘るとすぐに水が湧いてきます。ビール醸造には地下水を用いていましたが、標高が高いプレンツラウアー・ベルクでは、それだけ地中のフィルターで濾過されていることになるので、水質も優れていたのです。

また、19世紀前半までのプレンツラウアー・ベルクは畑と風車ばかりで、醸造所を建てる土地があったことも背景のひとつです。

長々書いてきましたが、ここでまとめてみましょう。
なぜプレンツラウアー・ベルクにビール醸造所が集中していたのか
その大きな理由は以下の3つが挙げられます。

・当時流行していた下面発酵ビールの醸造に必要だった地下スペースが、地形的に造りやすかった
・水質がいい
・広い土地があった

 

もしかしたら、ビール好きな私がプレンツラウアー・ベルクに住んでいるのも、何かの運命かも? と勝手にこじつけて、今回のご案内はおしまいにします。

プフェファーベルクのビール。ベルリンの小規模醸造所Schoppe Bräu(ショッペブロイ)が造っています

プフェファーベルクのビール。ベルリンの小規模醸造所Schoppe Bräu(ショッペブロイ)が造っています



 

ご案内の最後は、もともと醸造所として生まれ、幾多の変遷を経て現在はレストランや劇場などの複合施設として再び醸造を行っているプフェファーベルクのビールでかんぱ〜い!

久保田 由希

東京都出身。小学6年生のとき、父親の仕事の関係で1年間だけルール地方のボーフムに滞在。ドイツ語がまったくできないにもかかわらず現地の学校に通い、カルチャーショックを受け帰国。大学卒業後、出版社で編集の仕事をしたのち、フリーライターとなる。ただ単に住んでみたいと、2002年にベルリンへ渡り、そのまま在住。書籍や雑誌を通じて、日本にベルリン・ドイツの魅力を伝えている。『ベルリンの大人の部屋』(辰巳出版)、『歩いてまわる小さなベルリン』『心がラクになる ドイツのシンプル家事』(大和書房)、『かわいいドイツに、会いに行く』(清流出版)、『きらめくドイツ クリスマスマーケットの旅』(マイナビ出版)ほか著書多数。新刊『ドイツ人が教えてくれたストレスを溜めない生き方』(産業編集センター)。散歩、写真、ビールが大好き。

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久保田 由希