達人×達人の相乗効果が生み出してしまう衝撃とは!
2014/9/13、いまだ猛暑の季節が明けきらぬ東京・新宿のグローブ座にて、なんとも興味深く魅力的なアートイベントが実行されました。日本を代表する名優のひとり、橋爪功によるフェルディナント・フォン・シーラッハ作品の朗読公演「橋爪功 ちょっぴりゾッとする話」です。
なぜ「あの」橋爪功が? どこにシーラッハとの接点が? とお思いの方も多いでしょう。実は橋爪さんの奥様が大変な読書家で、シーラッハ作品をものすごく気に入ってしまい、夫に「ぜったい読むべし!」と薦めたのです。そして夫婦揃ってシーラッハの深みを堪能した結果、「これは舞台にできるんじゃないか…?」という発想が生じたそうで、いや、なんというか、経緯からしてなかなか凄いのですよ。
(余談ですが、奥様はなんとフォルカー・クッチャーのファンだそうで、ドイツミステリ陣営的には実に嬉しい話です!)
ときに、ドイツの文芸界にはもともと「朗読会」というイベント文化があります。
これはサロン文化の延長にあると考えられるもので、読み手(だいたいは著者自身)が会衆を前に小説を朗読するのです。声のトーンや雰囲気から、著者がどんな意識で物語を書いたのかが浮き彫りになり、書物への理解がいっそう深まるのがポイントです。つい先日にも、東京ドイツ文化センター(ゲーテ・インスティトゥート)でドイツ人作家ルーシー・フリッケの自作朗読会が行われました。ドイツでは非常によく目にする、ポピュラーなイベントなのです。
これは、日本でいえば詩の朗読会に近いでしょうか。感情の起伏を交えた読み手の朗読を、参加者が静かに聴き入る。つまり、ちょっとしたコンサートのような情景です。
そんなドイツの朗読文化を知っている私の目に、「橋爪功 ちょっぴりゾッとする話」は果たしてどのように映るのか?
…結果から言えば、お世辞抜きに素晴らしかったです。
今回の舞台は、朗読会と「ひとり芝居」を合体させたような形式(朗読劇というべきか?)で、それ自体ドイツの朗読会と異なるのですが、重要なのはそんな表面的な差異ではありません。朗読を軸にそもそも何をどこまで追究できるのか、という根本的な面について深く考えさせられました。
ドイツの小説朗読が、作者の真意の明確化、適切な音声化を一義的な目的とするのに対し、橋爪さんは小説の内容を逸脱しないまま、見事に「世界の再構築」を行っていました。それはある意味、落語の名人の魔術に近いものといえるでしょう。
「世界の再構築」というのは、作品の「視覚化」や「変奏」ではなく、作品の本質に別角度から光を当てることです。「価値の再発見」と言い換えることも可能かもしれません。他のジャンルでの例を援用するならば、それはたとえばグレン・グールドが演奏するワーグナーの楽曲が該当します。
ちなみに、元々のオーケストラ版の演奏はこちらです。
グールドはワーグナーのオーケストラ曲を「ピアノ用にトレース」しているのではありません。その全身の表情からうかがえるように、曲を触媒としてワーグナーそのものと対峙し、さらに、ワーグナーのマインドを相手にスリリングなダンスを踊っている。それは真の才能×才能、達人×達人の間でこそ成立が許される悦楽です。
この関係性に近いことが、橋爪さんとシーラッハの間にも言えるでしょう。だから尋常でなく、味わい深く、そして面白い舞台が生まれたのです。
ああ、この人は心底、「表現」が大好きなんだな。
そして、表現の可能性と一体化して突き進んでしまうのだな。
そんなことが素直に感じられました。
その上で、ひとつ気づいたことがあります。
それは、今回の舞台について、既存の価値基準ではすべてを評価しきれないというか表現しきれないというか、微妙に言語化できない何かが残りそうな気がすることです。
出現した時点ではまだ言語的に定義されていないナニカ。
そういえばシーラッハの小説自体、言葉のカタマリでありながら、その魅力の本質を言葉で的確に表現するのは困難であり、しかも直感的にはそれが当たり前なような気もします。
ひょっとしてこれは、真の超一流のアレコレに共通する特質なのかもしれません。
論理的証明は難しいけれど、なんか絶対そういうのってある気がします。
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最後になりますが、今回の公演の取材に際し、とても親切にご協力いただいた兵庫県立芸術文化センター様、AXNミステリー様には心から御礼申し上げます。
そして最高の翻訳によって橋爪さんとシーラッハを結びつけた酒寄先生は、今回の物語の陰のMVPです。舞台当日は最初から最後まで心底充実して嬉しそうだったのが(舞台の凄さからみてそりゃそうだろうと言われるかもしれないが)自分的にも嬉しかったです!
ではでは、今回はこれにて Tschüss!
(2014.10.1)
マライ・メントライン
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。
まあ、それもなかなかオツなものですが。