タトゥーに見る文化の壁(その2) 「タトゥーで困った!」
前回、ドイツを含む欧州ではタトゥーが大流行であること、そして流行と共に何とも怪しい漢字のタトゥーが蔓延している事を書きました。「歯医者」とか「冷え性」とか、そんな日本人だったら絶対に入れないような単語を「漢字の見た目のよさ」だけで腕に彫ってしまうなんて・・・。その人は一生日本には来れないよなあ、なんて余計な心配をしてしまいます。
そんなところにタイミングよく(?)ドイツ・ミュンヘンの友達から「タトゥー」に関する相談メールが届きました。
私が十代の頃に仲良くしていた友達でFacebook経由で久しぶりに連絡があったのだけれど、メッセージを開くと、そこには「私の義理の兄が『GW』のイニシャルを日本の漢字で腕に彫ってもらいたいので、サンドラ、GWの漢字を教えて!」と書いてありました。
・・・私にとってなんとも悩ましい相談内容です。
『GW』の漢字のイニシャルは、日本語に『無い』のですよ、と言いたい。でもそれを言ってしまうと、相手の夢を壊してしまうかも・・・・という何とも言えないもんもんとして気持ちになったのでした。
続けてそのメールには、「義兄は『イニシャル“GW“以外の意味を持つ漢字は避けたい』と言っています」と更にややこしい相談ごとが書かれているわけです。
・・・というか、欧米の名前やローマ字の名前を漢字にする場合、またはローマ字のイニシャルを漢字にする場合、そもそも全部が『当て字』だったりするのですから、「別の意味になってしまう漢字は使うな」と言われても困りますよね・・・。例えば、「A」がローマ字のイニシャルの場合、これを無理やり漢字にすると「亜」にする事ができますが、「亜」とはアジアの「亜」でもあり、その結果、「僕のAndreasのAとは意味が違うじゃないか!」などと怒られても困るわけです。
でもこういったことは、「日本語」という言語について欧米人に深いところまで理解してもらわない限り、分かってもらえないわけで・・・。悩ましいところです。というのは、依頼者は「ちょっとかっこいいタトゥーを入れたい」程度であり、とくに日本語に興味を持っているわけではなさそうです。なので、その温度差が「理解してもらうこと」も難しくしているわけです。
「日本語」という言語に対する興味や情熱よりも、「タトゥー」に対する情熱のほう
がアツイ!といったところでしょうか。悔しいけれど・・・
さて、依頼のあった『GWを漢字で!』だけれど、どんなに私が考えても、やっぱりGWに当てはまる漢字など(私のアタマで考えた範囲では)思いつきませんでした。もちろん無理やり当てはめようとすれば、「G」は「下(げ)」や、「W」は「上(うえ)」になるのでしょうが、それこそ友達の義兄様が最も避けたいと考える「別の意味」になりそうです。
『GW』を『ひらがな』にしても、ドイツ語流の発音だと『げえ』や『うえ~』だったりするし、なんだか酔っ払って具合悪くなった人が嘔吐している時の音韻に似ていて、なんだかなあ、です。それに、「漢字の見た目」が大好きなドイツ人から見たら、「ひらがな」は簡単過ぎて不評です。
・・・・悩みまくった末、ミュンヘンの友達にはおそるおそる「イニシャル“GW“に当てはまる日本語の漢字は無い」と書いた上で、「漢字の見た目がよく、かつ意味も素敵なものだと『絆』、『気』、『和』とか『薔薇』があるよ。そういうタトゥーはどう?」と提案してみたものの、いっこうに返事が返ってきません(笑)きっと「簡単にイニシャルを入れたかっただけなのに、サンドラは面倒くさい女だな」と思われたに違いありません。・・・って、私の考え過ぎでしょうか?
しかし考えてみると「日本の漢字のタトゥーを入れたドイツ人」が、もし実際に日本に来たとしたら、その日本で温泉に入れないとは何とも皮肉です。
それにしても、このタトゥー問題に象徴されるように、人間というのは、自分たちの文化圏の常識や範囲内でしか物事を考える事ができないことが殆どなのですね。
そのため日本の常識では基本的に「入れ墨やタトゥーは元々暴力団がしていたものだから、温泉や銭湯で入れ墨・タトゥーが禁止なのは当たり前」だし、でも逆にドイツを含む欧州の感覚は「最近は公務員もタトゥーを普通にしているし、タトゥーはとくに問題もない」なのですね。タトゥーというものに関して両国の「常識」がかなり違うのですね。
ちなみにタトゥーに限らず、たとえば日本で「女があぐらをかくのはダメ」と言われて育った人は、「あぐらはダメ」という価値観になることが多いですし、それが「常識」だったりします。その結果、「あぐらをかいてる女は下品」という思考回路になりますし、よって、あぐらかいている女がいると、一瞬ギョッとしたりします。もしくは気になって気になって仕方なかったりします。
言葉(言語)に関しても似たような事が言えます。自分の国の言葉に『GW』というイニシャル(文字と発音)があるのだから、他の国の言語や文字(例えば日本語の漢字)にもそれに該当する文字が絶対にあるはずだと自分の常識で考えてしまう。でも実際には、ローマ字『GW』を漢字で書く事はほぼ不可能だったりするわけです。
それはそうと、日本人やドイツ人には「苗字」と下の「名前」が必ずありますが、世界には苗字がない人や、下の名前だけの人もいます。仮に苗字と下の名前の両方を持っていても、どこからどこまでが苗字で、どこからどこまでが名前なのかが曖昧である事も多いのです。
でもドイツ人や日本人のように「苗字と下の名前があるのが当たり前」の文化圏で育った人は、「苗字が無い」という事実を素直に受け止める事が出来なかったりします。そしてそれが『国際交流』の壁になっていたりするのです。
そう考えると、自分の育った国や文化圏の「範囲外」の事を、いかに素直に受け止める事ができるかどうか、が国際交流の鍵なのかもしれません。
・・・たかがタトゥーされどタトゥー。今回のことは、国際交流について考える良いきっかけになりました(笑)
P.S.ちなみに、私・サンドラはタトゥーは入れておりません。
サンドラ・ヘフェリン
ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴15年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社)、近著「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) など6冊。自らの日独ハーフとしての経験も含め「ハーフ」について執筆している。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、執筆、散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。
ホームページ