実はすぐ近くに⁈ ホロコーストの歴史
今日は!
ハイデルベルク大学留学中の大橋ふみなです!
令和になってから初の投稿ですね。近頃日本は全国的に異常な暑さに見舞われているとか…。こちらドイツでは5月半ば過ぎても冬のような陽気でコートを手放すことが出来ず、雨だったり晴れだったりと天気も落ち着かない日々でした。やっとここ最近になって、暖かく安定した天気が続いてきた感じです。
今回の投稿は、ハイデルベルクに住んでる私が身近で感じることができる、ドイツの歴史に関してです。
ホロコーストと聞いて皆さんが思い浮かべるのは何でしょうか?ポーランドのアウシュビッツ収容所は有名ですよね。私もつい最近まではアウシュビッツ収容所くらいしか遺産として思い付くものはありませんでした。けれども実は第二次世界大戦時のナチスの爪痕は様々なところに残っているんです!
私は今月、大きく分けて3種類のホロコースト関連の場所に行ってきました!1つはハイデルベルク内、2つ目と3つ目はハイデルベルクから電車で1時間程度のところにあるMosbach(モースバッハ)という街です。
まずはハイデルベルクにあるホロコーストの博物館についてご紹介します♪
Dokumentations- und Kulturzentrum Deutscher Sinti und Roma
ハイデルベルク城の麓にあるこの博物館。ユダヤ人と同じく、ナチスに迫害されたシンティ・ロマ人の当時の様子を写真を基に詳しく紹介されています。ナチスからの迫害と言うとユダヤ人ばかり考えてしまいがちですが、他にも多くの人種、命が侵されていたこと、残された者が背負ってきた苦しみ等々、色んなことを考えさせられます。びっくりなのは入場料は無料だということ!しかも日本語のオーディオガイドも付いてきます!オーディオガイドは日本語の他に英語、フランス語がありました。このような点からも、先の戦争に対するドイツの意識の高さを感じます。ところが意外にもこの博物館、観光客だけでなく地元の人にもあまり知られていません。これは課題の一つかもしれないですね。
Dokumentations- und Kulturzentrum Deutscher Sinti und Roma
開館時間: 月 休館
火 9:30〜19:45
水 9:30〜16:30
土日 11:00〜16:30
続いてご紹介するのはハイデルベルクから電車で1時間程の街、Mosbach(モースバッハ)の博物館です♪
この博物館では強制収容所での囚人たちの暮らしや強制労働に関して紹介、展示されています。ここではオーディオガイドはなく、説明もドイツ語のみなのでやや苦労しました(笑) 興味深かったのは、収容所の囚人は人種的抹殺を受けたユダヤ人やシンティ・ロマ人に限らず、フランス人など異国の人もいたということです。またナチスから身に付けることを義務付けられたワッペンに関しては、ユダヤ人対象のダビデの星型のものが有名ですが、他にも様々な種類があることも説明されてました。例えば赤の逆三角形は政治犯などに付けられたとのことです。
この博物館、開館しているのは実は日曜日のみなので注意が必要です。また入館料は無料ではありませんが、学生割引や団体割引なとがありますので是非それを活用してみて下さい。
開館時間: 日曜 14:00〜17:00
入館料: 大人3,50€, 学生1,50€
実はMosbach、凄いのは博物館だけじゃないんです!なんと博物館から歩いて40分程の場所に、収容所の囚人たちが強制労働を強いられていた実際の現場が残っているんです!
こちらがその強制労働を強いられた現場全体の地図。今回この中の1から7までを見てきました!
①Tunnel / Bahnhof „Finkenhof“
トンネルとFinkenhof(フィンケンホーフ)駅の駅舎跡。実はここ、Mosbachとハイデルベルクを繋ぐ鉄道が走っていたんです!山の中に線路を通すために囚人たちが駆り出されたんですね。現在トンネルの中に入ることは出来ませんが、近くまで見に行くことは可能です。また駅舎は今は倉庫のようになっていました。
②Kesselhaus
ここにはかつてボイラーの建物がありました。トンネル内の機械類の錆を防ぐためには必要不可欠なものだったようです。現在は建物の基礎部分のみが残されています。
③Widerlager der alten Eisenbahnbrücke
鉄橋の橋台の跡がここに残されていました。鉄橋は1864年から1945年まで存在しており、橋の工事等の人手として囚人たちが働かされていました。アメリカ軍の進行を阻止するため、鉄橋は1945年3月末にSSによって破壊されました。
④Umschlaghalle
コンクリートの支柱に木が鬱蒼としている訳の分からない物体…。実はこれ、かつては貨物の積替えが行われていた場所だったんです!貨物専用ホームとして機能していたこの建物の奥には、200mの長さの坑道が掘られ、更にその先は縦に40mのエレベーター用の道が囚人によって掘られたとのこと。ここ周辺は木が生い茂っていたので、残念ながら坑道までを見ることは出来ませんでしたが、規模の大きさに何とも驚かされます。
⑤Treppenweg
まるでハイキングをしてるような風景ですが、この階段の道も囚人たちによって造られたものなんです。そしてこの道は„Kreuzweg(苦難の道)“と化しました。それもそのはず、囚人たちはこの道を、重い荷物を持ちながら駆け足で進まなくてはならず、常に虐げられていたとのことです。
⑥Talblick
息を切らしながら階段を登りきり、辿り着いた先に広がっていたこの景色。Talblickとは„谷間の景色”という意味。その名の通り、目の前には谷があり、とても美しい眺めでした!けれどもここは囚人たちが日々強制労働で虐げられていた場所。当時に想いを馳せるとこの眺めも違う意味を持ちます。この景色を見ながら囚人たちは死と隣り合わせの状況にいつも置かれていたわけです。彼らにとってこの眺めはどんな意味を持ったのか、それがプラスなのかマイナスなのか。感慨深いものがそこにはありました。
⑦Stolleneingang
茂みにやや隠れている四角い穴、これは実は坑道の入口で、④Umschlaghalleの奥にある坑道と繋がっているんです!内部では貨物車が高射砲を運んでいたとか。しかしここで起きた出来事はあまりにも悲惨でした。1944年、エンジン製造のために50㎡以上が圧迫され、中にいた多くの囚人たちが犠牲になりました。現在は近くまで行って内部の様子を見ることは出来ませんが、想像を絶する現実がすぐ近くで起きていたと思うと言葉を失います。
私達がいつも普通に生活している場所のすぐ近くで、かつてナチスに虐げられていた人々がいたということに非常に驚かされました。また興味深いと思ったのは、それらの戦争の爪痕や博物館が身近に存在し、気軽に行くことが出来るという点です。日本にも戦争に関する様々な痕跡や博物館はありますが、どれも観光化されていて、地元密着型というものは少ないように思います。それぞれの国の政治的体制や歴史的認識、戦争に対する加害者意識、または被害者意識の違いというのも勿論あるでしょう。けれども身近で戦争の追体験を出来る環境があるということは、日本がドイツから学ぶべき、先の大戦に対する姿勢と捉えることもできるはずです。ただこれは、私が知らないだけで実際は日本にも地元密着型の博物館等は数多くあるのかもしれません。ハイデルベルクの博物館に関しても述べましたが、地元の人でもその存在を知らない人は多くいます。これを戦争への意識の風化と見なすか、それとも耳にタコができてしまったが故のマンネリ化と見なすか、一概には判断できませんが課題であることには変わりないでしょう。その原因が教育にあるのかメディアなどの情報発信源にあるのか、それとも別のものかは分かりませんが、ドイツや日本に限らず、世界的にその課題を見つめ直す時期に来ているのかもしれません。
大橋ふみな