ハーフで得したこと
今までいっぱい「ハーフであることは、いかに不便なことであるか」 を書いてきたけれど、日常生活や仕事でハーフだから得をしたこと、ハーフであることがプラスに動くことはまったくないのでしょうか?私は勿論あると思ってます。
…というわけで今回は珍しく、ポジティブなテーマです。
そう、「ハーフで得したこと」について書きます。
ハーフは目立つことで大変な思いをすることが多い。たとえば前回書いた、「取引先にビックリ仰天されるハーフ」がその例だ。でも逆の考え方をすると、目立つことで顔も名前も覚えてもらいやすい。これはポジティブな事だとも言える。少なくとも、「あれ誰だったっけ? 顔と名前が思い出せない…。」というふうに思われることはまずない。たとえば生粋日本人10人の中に私1人がいると、ハーフなのが目立つのか、欧米風の容姿が目立つのか、誰もが「ドイツのサンドラ」として国名も名前も、そして顔もスグに覚えてくれる。
現に相手が私の顔と名前を覚えていてくれていたから、私に仕事の話が来たこともあるし、私自身は本来それほどインパクトのあるキャラクターではないと思うのだけれど、やっぱり容姿が日本人的でないために常に目立ち、その結果、(周りの人にとっては)私の存在自体が「個性」になっているようなところがあるのだ。結果、会社員としての仕事はともかく、個性が求められる仕事では、それがプラスに動く場面もたくさんある。
そういえば思い出したのだが、「語学レッスン」(プライベートレッスンもそうだし語学学校のレッスンも)に関しては日本には不思議な現象がある。どうも多くの日本人は、たとえばドイツ語を習おうとする時に、ドイツ語がペラペラの帰国子女(生粋日本人)の先生よりも、容姿も名前もドイツ風のハーフの先生にドイツ語を習いたい、と思う人が多いようだ。私は教える事は昔から大好きなので、生徒さんが増えるのは嬉しい。でも同時に、たとえば私と同じドイツ語能力を持った帰国子女に対して申し訳ない気持ちになったりもする。
語学レッスンに限らず、「言葉」、たとえばドイツ語や英語を使う仕事の場合、日本では帰国子女の日本人よりもハーフや外国人が重宝される傾向があるようだ。語学を使う仕事は、同じ能力であっても、帰国子女よりもハーフに仕事が流れやすい。
私が想像するに、人間やはり「雰囲気」に影響されやすいようだ。同じドイツ語能力でも、容姿が日本人の人(帰国子女)ではなく、容姿も名前もドイツ風の人にドイツ語を習いたい、ドイツ風の人にドイツ関連の仕事をやらせたい、という。
こういった理由で、帰国子女はハーフに比べて不利なこともあるようだ。私自身もドイツ語や英語バッチリの帰国子女に「なによ。アナタばかり得して!」みたいに言われたことがある。
そのご指摘 (「同じ能力なのに、ハーフばかり得するのはおかしい」)はごもっともなのだけれど、ハーフとしてはどうしようもないことである。実際に、こういった仕事以外の場面では、ハーフよりも帰国子女が得している場もたくさんあると思うしね(例: 帰国子女はガイジン顔でないため、不動産屋さんで物件を借りやすい。帰国子女は日本の電車でイキナリ酔っ払いに「ハウ・アー・ユー?」と話しかけられたりしない。また、帰国子女は私よりも異性にモテる、など。笑)
語学を使う仕事、またメディアの仕事に関しては、「本来の能力」へのプラスアルファとして、ハーフであること、容姿が欧米風であること、そして名前が欧米的であることが「プラス」に作用することがあるのだ。
「目立つことが不利」になることもあれば、そういった仕事の場では「目立つことで得」をすることもある、ということだ。
でも……
結局、ハーフは (少なくとも日本においては)「目立つ」ことが一つのキーワードであるのは否めませんね。つまりハーフは日本にいる限り「目立つこと」からは絶対に逃れられない。
そう考えると、「目立たないように」ではなく、方向転換をして「どんどん目立っちゃおう!」と考えたほうがハーフは楽しく生きられるのかもしれません。
★ただいまNHKラジオ『まいにちドイツ語 きっと新しい私に出会える“大人な女“のひとり旅』に出演中。みなさん、ぜひ一緒にドイツ語を勉強しましょう!
詳細はこちらをご覧ください。
サンドラ・ヘフェリン
ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴 13年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社) など 5冊。自らが日独ハーフであることから「ハーフ」について詳しい。ちなみにハーフに関する連載は月刊誌に続き今回が 2回目である。趣味は執筆と散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。