崩壊する日常の果てに来るものは?:映画『女は二度決断する』
登場する人物、会話する人物の視線、目つき、眼差し。
その鮮烈さ、ブラックホールのような深い闇黒さが印象的な映画だ。
「迫真の演技」とそれを評することも可能だろう。しかし何か違う印象を受ける。これは演技を超えた何か、関係者の意識と製作現場に満ちていた問題意識が昇華した何かなのだ。私はそう思わずにいられない。
映画『女は二度決断する』(原題:Aus dem Nichts)は傑作です。
配給会社が知恵をしぼってつけた邦題には当然意味があるのだけど、営業的配慮を振り切って、敢えて『今後、世界はすべてイヤな予感どおりに展開していく』というタイトルに変えてもいい。要するにそういう絶品映画なのです。
概要については公式サイトやWikipediaをご覧いただければと思いますので省略。また、この映画は事前情報やネタバレによって印象が変わる作品ではありません。個人的には完全ノーヒントで観に行っていただきたい気もしますが、どんなタイプの映画かというと…
ぶっちゃけ壮絶な復讐劇です。
『キル・ビル』みたいな女性怨念劇がもし現実に発生するとしたら…というテーマを、ドイツ最高の映画製作陣がリアルかつストイックに突き詰めたらこうなる、という言い方も可能でしょう。
なぜキル・ビルかといえば、主人公が女性というだけでなく、社会的に「健全な」理性を持って生きてきたのを「敢えて冥府魔道に堕ちて戦う」という、ドイツの社会派映画としてはまさかの子連れ狼路線の内容だからです。そこに絡むのは外国系住民と極右とドイツ社会の法律的落とし穴、善意と理性では打開できない「リアル」の悪のメカニズム、そして、観客もいつまで傍観者でいられるかわからない潜在的恐怖。確実に迫る非理性。
これは怖い。神経にズシンと来ます。カタルシスが無いんだもの。
だがそれがいい!
ファティ・アキン監督は日本では『ソウル・キッチン』で有名になり、昨年は『50年後のボクたちは』を撮った人です。現実的なペーソスを織り込んだ人情ドラマを得意としていますが、今回の作品はヤバいです。ドイツで大評判となり、金熊賞を受賞した『愛より強く』以来最高最悪にダークな作品になっています。どのくらいヤバいかといえば、ダークサイド人間精神の本質突き描写で、かのラース・フォン・トリアー作品と互角の域に達している感じです。
つまり、今のドイツ社会が抱えている問題をごまかしなく直視すれば、そこに見える真性の悪夢を無視することは出来ない。悪夢を具現化するのは「不安に屈した理性」であり、今の社会システムは、ドイツに住むドイツ人も非ドイツ人も「悪夢サイド」に向かいやすいように機能している、という鋭い洞察がそこにあるように思われます。
アキン監督は本作のプロモーションで来日した折に、「家族を持つ人が常に持っている、一番の恐怖を描いた」と本作について語っていました。人間心理、社会心理が「見えてしまう」表現者として、やはりこの映画は制作不可避な作品だったのでしょう。その念のようなものを強く感じます。
そして主演のダイアン・クルーガー。
本作での彼女演技を「演技」と呼んでしまうのはある意味失礼かもしれません。それぐらい凄かったわけです。巨大な「現実の不幸」が憑依したかのような表現力の炸裂。正直、あのせいでいくらか寿命が縮んだんじゃないかと心配になります。だからこそ必見な作品に仕上がっているわけですが。
本作にどっぷり漬かってしまうと、ではどう現実に向き合うべきか? というヘビー級な思念が不可避的に襲いかかってくるわけです。そして、その答えのひとつは
善と悪、双方のメカニズムに無限の関心を持つこと
だと感じます。「これでいいんだ」と立ち止まらずに、知的好奇心を終わり無く展開させること。私はそれを、来日したファティ・アキン監督の行動・発言・振る舞いを間近に見て学びました。それで問題そのものが解決するわけではないにしても、現実の問題に対峙するための姿勢として。
そんなわけで、この映画はいろいろな意味で知性の滋養となる良作です。
必見なので皆様、どうぞご覧ください!
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映画『女は二度決断する』は、2018年4月14日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国で順次公開です! 公式サイトはコチラです。
それでは、今回はこれにて Tschüss!
(2018.04.14)