日本人は人前で感情を見せない!?
ドイツでは「日本人は感情をあまり見せない」と言われています。
確かにヨーロッパと比べると、日本人は公の場で喜怒哀楽をあまり見せない印象です。
もちろん「笑顔」はあるのですけど、その笑顔に関しても、ビジネスの場において、そして特に女性の笑顔においてはある種の「節度」が求められており、
口を大きく開けて笑ったり、大きな声で笑ったり、ということは好ましくないとされているフシがあります。同様に「怒り」に関しても、公の場で激しく怒るのはよろしくないことだとされています。
ところが「涙」に関しては、どうも違うよう。
昔の話で恐縮ですが、かつて山一證券が倒産した際、「社員は何も悪くないんです!」と言いながら号泣した野澤社長を見て、「ニッポンにおいては『地位のある人が公の場で泣く』というのもアリなんだな」と当時私は本当にビックリしたものです。
まあさすがに野々村議員のような「人前で大号泣」に関しては、その胡散臭さから日本でも大バッシングでしたが。
さて、今回はもっと「美しい」涙の話。
甲子園の選手が試合後に泣く姿。そこに人は「青春」を見たり、本人の頑張りを感じとり、思わずもらい泣きをしたり。
高校生に限らず、日本では大人のスポーツ選手にも、オリンピックなどの試合終了後に涙を流す人が。そして意外にも「涙」には思うほどの男女差はなく、大人の女も、大人の男も、公の場で涙を見せることが日本では多々あります。
テレビのみならず、私自身も日本で生活している中で、間近で「大人の涙」を見たものです。
かつて私が勤めていた日本の会社(本社)でのこと。
苦労の末、海外法人を立ち上げることができ、本社の会議にて「今までのことや、これからのこと」を打ち合わせしているとき、
この海外法人の立ち上げを進めてきた日本人女性の部長が突如、涙目に。
会議に同席していた欧米人の男性が「あれ?僕、何かまずいこと言ったかな?」というような表情をしてオロオロしていましたが、
真実は・・・その女性部長は、長年の苦労の末、ようやく海外法人を立ち上げることができたことに感動し、思わず涙が出てしまったのでした。
何だかホッとした時や、感動した時、それが公の場であっても、涙を流すのが「アリ」なのが、日本なのですね。欧米の感覚からすると、ちょっと面白いです。
思えば日本では学校の卒業式で皆さん公の場で堂々と(?)悲しみを皆でシェアして泣いています。
私が子供の頃から好きな斉藤由貴さんの「卒業」という曲に「ああ卒業式で泣かないと、冷たい人と言われそう・・・でももっと哀しい瞬間に、涙はとっておきたいの」という歌詞があります。
むしろ卒業式などのシチュエーションにおいては公の場で泣くのがいわば「マナー」なのですね。
これはこれで分かるのですが、私のドイツはミュンヘンの友達なんて、18歳の時のAbiball(ギムナジウムのいわば「卒業式」)の後、夜の街に繰り出し、“Juhuu----! Wir haben unser ganzes Leben vor uns!!! “(「ヤッホー!私達、卒業したし人生これからだー!!!」)と叫びながら満面の笑顔で踊りまくっていたことを考えると(ちなみに卒業式で泣いた人は皆無です)、「人生の節目」に見せる「感情」というものも国によって様々なのだな、と感じた次第です。
そんなこんなで話は飛びましたが、コト「涙」に関しては、日本では「人前で泣くこと」が市民権を得ているというか、涙に対する人々の許容範囲がひろいようです。
逆にドイツに関しては…筆者はドイツでの20数年にわたる生活において、「大人が公の場で泣いていること」を見たことがないのです。人前での涙は「弱さ」だと見なされますので、本当は泣きたくても、実際に人前で泣くことにはナーバスになっている人が多いのだと想像します。「泣く」という行為がどこか「子供」と結び付けられて考えられていることも関係しているかもしれません。ドイツではあらゆる場面において「自身の強さ」を表現することが求められますので、涙はそれにそぐわないという面もあります。
ただ私自身は日本の「人前で泣く」文化は嫌いではありません。なんだか人間くさくて親近感をもってしまいます。
でも自分自身は人前で泣かない文化(それはドイツ)で育ってますので、なかなか人前では泣けませんけど。・・・もしも人前で泣くことができたなら、「可愛げのある女」としてもっと違う人生がひらけたのかもしれません・・・って話が完全にそれてしまい、すみません!
次回は涙・・・ではなく「笑い」についてです。
サンドラ・ヘフェリン