ベルリンの壁がなくなって、10316日間。
10316日間。
2018年2月5日。ちょうど今日で、ベルリンの壁が存在していた日数と無くなってからの日数が全く同じになったそうです。これからは、ベルリンの壁が無かった時間の方が多くなるーということになりますね。
ベルリンの日刊紙各紙様々な特集を組んでいるのですが、B.Z.紙の「ベルリンの壁」特集号は、一面が壁。壁を壊して(破って)読む作りになってます!まだもったいなくて破れていません〜。
ベルリンの壁崩壊20周年の時は、1989年11月10日、壁崩壊翌朝の当時の新聞を復元。「Die Mauer ist weg!Berlin ist wieder Berlin!」壁が無くなった!ベルリンがまたベルリンになった!という太字の見出しに、当時の熱が伝わってきます!(写真左)
上の映像は、ベルリンの壁を作りはじめた当初の映像。最初に流れる演説は、当時の東ドイツ国家評議会議長ヴァルター・ウルブリヒトの「誰も壁を作ろうなんて思っていない」という発言。それから2か月後、一晩にしてベルリンの東と西が分けられてしまったのは1961年8月13日のこと。日曜日の朝、のんびり目を覚ました東ベルリンの人たちは、突然目の前に現れた鉄条網と武器を持った人民警察の姿に驚き、混乱したのではないでしょうか。
ベルリンの壁が崩壊したのは、1989年の11月9日。
28年という月日は短いようにも思えますが、一人の人間が成人できると考えるとけっこう長いんじゃないかとも思えます。しかし逆に考えると、生まれた時からもう、ベルリンの壁は歴史の遺物、となっていた人たちがもう30歳近いということでもあります。あっという間ですね。
ベルリンの壁は、全長155km。
西ベルリン全体をぐるりと囲んでいた壁ですが、実際に壁がもう残っているところは数えるほどで、ベルリン子であっても、どこにあったのかもぼんやりとしか把握していないという人が多いのではないかと思います。
ターゲスシュピーゲル紙の特集では、ノイケルンとクロイツベルク地区にスポットを当て、「壁あり・なし」の写真を比較しています。そういえば、ああここにも壁があったんだっけ!と写真を見て思い出した場所も……
→ベルリンの壁があった場所、なくなってから
ベルリナー・ツァイトゥング紙の特集では、ベルリンの壁が崩壊しなければ、、、これは起こり得なかった、という物語を #ohneMauerfall というハッシュタグのもとに集めています。ドイツ語がわかる方は、ぜひ!
→ #ohneMauerfall ベルリンの壁の崩壊がなかったら
ベルリナー・モルゲンポスト紙は、「どこにベルリンの壁があったか書いてみましょう」という地図を出していますが、地図自体が見にくいのでなかなか難しい!えーと、シュプレー川が、、、?我こそは、という方、ぜひ、挑戦してみてください!→どこにベルリンの壁があったか、まだわかりますか?
私はたまたま、ちょうどベルリンの壁が保存されている辺りに住んでいるので、ほぼ毎日当時の西と東ベルリンの国境を往復しています。
ランニングコースはベルリンの壁巡り。時々、廃棄されたままの壁を見つけたりして、生々しい歴史のカケラがまだそこら中にあることに、驚いてしまうのですが……。これは鉄道の線路の横にあった壁。いまもちょうど国境だったあたりがフェンスで囲まれているのですが、これは犬が線路に出ないためだそうです。
ベルリンにいると、まさにいまに至るまで歴史の中に自分がいる、自分も歴史の歯車の中の小さな一つなんだなとしみじみ、実感させられます。
上の写真は、ミッテ地区に残るベルリンの壁。もうボロボロで、高さも長さもたいしたことはないのですが、歴史を身にまとっているからか、威圧感があります。壁がない場所には道路に細いレンガが埋め込まれ、当時の壁の走路を残しているのですが、一風変わった「壁の跡」もあります。
東西ベルリンの当時の国境沿いに、日本からの募金で植樹された、1万本近い桜の並木!
暗い壁の色をぱっと春の色に染めてくれる、桜の壁(?)です。
一部は早咲きの桜が植えられていて、今日も、淡いピンク色に咲いているのでびっくりしました。(上の写真は春。下の写真は昨日撮ったものです)暖冬とはいえ、クリスマス前くらいからずーっと咲いているので、肝心の春に咲かないんじゃないかとちょっと心配ですが。
毎年少しずつ、この桜の植樹は増えています。
「ベルリンの壁は無くなったけれど、心の壁はなくならないー」
昨年の選挙の結果や、近年の右傾化を見ると、世代の差こそあれ、多少なりとも、いまも心の中に東西を分断する壁があるんじゃ無いかなあと思わされるのは確かです。象徴としてのベルリンの壁がなくなったいま、姿を表した心の壁との戦いは、まだ、少し続きそうです。