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2011年、そして 3・11を振り返って

2011年、そして 3・11を振り返って

© AufmDach (flickr.com)

2011年、そして 3・11を振り返って

もう12月ですね。この時期はやっぱり1年を振り返る。今年は…濃かったなあ。3月の震災がやっぱり2011年という年をprägen (刻印する、影響を与える) したと思う。



原発事故後の4月には、日本人とドイツ人の「わだかまり」について、そして先月は、これからの日本とドイツの関係 について書いた。でも、地震と津波が起きた直後のショックについては実は今まで書いたことがなかった。感じたことは多いのに、文章にするのがためらわれた。



でもここへきて、すこし時間が経ったこともあり、3月11日とその後の数日間に感じたことを再び思い出す事が多い。日本のテレビや雑誌で伝えられた、災害の最中の人達の運命について、私はあの時ほんとうに色々考えさせられた。「ドイツ」というテーマとは必ずしも直接関係のない、あくまでも私が個人で感じたことだが、もしよければ読んでほしい。



自然があれほどまでに残酷だということ。被災された方にはそれぞれのストーリーがあり、みんなそれぞれそれ悲しいストーリーなのだけれど…個人的にやりきれない気持ちになったのは、メディアを通して知った高齢のお婆さんの話。お婆さん1人だけが生き残り、子供や孫もひ孫も行方がわからない、という話だった。家族全員のうち、お婆さんだけが生き残る。こんな残酷なことってあるのだろうか。ショックを受けた。実は私は「最後はみんなハッピーになりました」というグリム童話のような子供の世界を根本ではまだ信じていたらしい。人生、辛く苦しい事があっても、最後はみんなハッピーになれるよ、と。



そのお婆さんは、第二次世界大戦で大変な思いをした世代。戦争という大変な時代を乗り越え、平和が訪れ、子供ができ、孫ができ、年をとり自分の人生を振り返った時に「昔は戦争で色々大変だったけれど、今は豊かで平和な時代になった。子供も孫も元気で本当によかった」と幸せを感じながら老後を過ごしてほしかったなあ。幸せな思いのまま亡くなってほしかったなあ。人生の終盤近くで、今まで築いてきた家族、お家、全てのものを一瞬にして失うなんて…。



私の勝手な想像だけれど、人間、自分が死ぬ時、子供や孫がいるなら、その世代に夢や希望を託して死ぬのだと思う。自分は死んでも、娘や孫がいるのだと。自分が死んだ後、次の世代がちゃんと自分の分も生きてくれるんだ。そう思えるから、安心して死ねるんじゃないかなあ。ああそれなのにそれなのに、年老いたお婆さんだけが生き残り、未来でもあり希望でもある次の世代の子供、孫は全員行方不明だなんて、いったい神様は何を考えているのだろう。



若い人であれば、悲しみを乗り越えて、この悔しさをバネにこれからがんばる…という絵も描けるのだけれど、80歳や90歳の人にこの現実は辛過ぎる。ほんとうに酷だと思う。



お婆さん1人が生き残り、自分の代わりにこれから生きるはずであろう娘や息子、孫達が亡くなってしまったお婆さんの悲しみは想像を絶するものがある。できるならば自分が代わりに…と思ったに違いない。



震災はある意味、私の希望であった「最後は皆ハッピー」というおとぎ話的な妄想をブチ壊した。それはとても痛く、同時に自分は今までなんて甘かったのだろうか、と考えさせられた。



そして、3・11の震災は「ホッと一息」が一時(いっとき)も許されなかった、という事もとても残酷な事のように思う。あんなに強い地震に見舞われ、その強い揺れに放心していた人もいたにちがいない。揺れが収まり、自分や家族の安否も確認できてホッと一息しているところを、時間差で津波に襲われたことを考えると、それがリアルで、なんともいいようのない気持ちにさせられる。



地震に遭い、津波に奪われ、生き残った者は原発事故の影響と戦う、というホッと一息どころか、次から次へと降りかかってくる災難。何週間も何ヶ月も緊張を強いられるとは。その緊張の中で、家族を亡くし友人を亡くし言いようのない悲しみにさらされた数多くの人達。



多くの被災者は避難所で生活をしながら行方不明の家族や親戚を探し、遺体を確認して回る毎日だったという。その中で家族や親戚の遺体が無ければ落胆し、あれば悲しみに見舞われるという残酷さ。「お父さんが見つかってよかった(イコール遺体に対面できてよかった)」と泣きながら語る人達をテレビで見ていてなんともいえない気持ちになったのを覚えている。



そして願った。被災した子供も大人も、これから出会う人達に恵まれますように。移動した先で不当な差別を受けることがありませんように、と。



実際には福島ナンバーの車に乗った人が行く先で酷い言葉を浴びせられる、という事件もあると聞く。



酷い話だ。



戦争や災害では、人間のこういった面 (差別感情など) が露骨におもてに出るという苦い現実。それはどの国でも、そしていつの時代も変わらないようだ。



でもそういう過酷な状況だから、少しでも人の優しさを大事にしたい、とも思えた。そう、ある意味諦めた、と言いつつも、「人を信じることを諦めない」ということも教えてくれた今年の震災。



皆さんは今年を振り返って、震災を振り返って、何を感じましたか。



★コラム「国際交流、まずは少人数で?」 も是非ご覧ください。




YG_JA_1769[1]サンドラ・ヘフェリン


ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴 13年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社) など 5冊。自らが日独ハーフであることから「ハーフ」について詳しい。ちなみにハーフに関する連載は月刊誌に続き今回が 2回目である。趣味は執筆と散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。

サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴19年、著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) 、「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: ヒラマツオ/KADOKAWA)、「『小顔』ってニホンではホメ言葉なんだ!?~ドイツ人が驚く日本の「日常」~」(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: 流水りんこ/KKベストセラーズ)」など計11冊。自身が日独ハーフであることから、≪ハーフはナニジン?≫、≪ハーフとバイリンガル教育≫、≪ハーフと日本のいじめ問題≫など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。

サンドラ・ヘフェリン