今では日常生活に欠かせない、当たり前になった多くのものが、実はその昔ドイツで発明されていたんです。
ドイツと日本、距離は随分と遠く離れているため、中々イメージしづらいかもしれませんが、代表的なドイツ発の発明品を紹介します。
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自動車
- 発明者:カール・ベンツ、ゴットリープ・ダイムラー(Karl Benz, Gottlieb Daimler)
- 時期:1886年
- 場所:マンハイム、シュトゥットガルト(Mannheim, Stuttgart)
「モデル3」に乗るカール・ベンツ(右)1886年
©dpa
現在ドイツには5400万台を超える自動車が存在し、全世界では10億台を超えます。自動車は輸送手段として、もはや私たちの生活から切っても切れないものとなっています。
自動車は誰もがその恩恵に預かることができるハイテク世界のシンボルです。
1886年にカール・ベンツが3輪のモーターワーゲンを発表した時にはまだ、後に自動車がどんな快挙を遂げることになるかは予想だにできませんでした。
エンジン駆動の車の基盤は、ニコラウス・アウグスト・オットーが先に発明していたガソリンエンジンです。今でもオットーの名前で呼ばれています。
カール・ベンツと時を同じくして、ゴットリープ・ダイムラーが4輪のモーターワーゲンを開発しましたが、その当時既に未来の方向性を予想させるものでした。
ダイムラーはベンツの若干後に特許を申請したので、最終的には自動車の発明はカール・ベンツによるものとされました。
自動車の開発が始まった頃の車の動きは随分とのんびりしたもので、一般の人々からは批判的な目で見られていました。
自動車が広く大衆のものとなるには、さらに数年を要しました。
興味深いことに、自動車は当時環境に優しいものと見られていました。当時広く利用されていた馬車と違って、道路を排泄物で汚さなかったからです🐴🐴🐴
グライダー
- 発明者:オットー・リリエンタール(Otto Lilienthal)
- 時期:1894年
- 場所:ベルリン(Berlin)
飛行するオットー・リリエンタール 1895年
©dpa
1894年、「普通滑空機」という扱いにくい名称で、世界初の量産型グライダーが市場に導入されました。
1893年にオットー・リリエンタールが開発したグライダーは重心移動による操縦で、最長250メートルまで滑空可能でした。
リリエンタール自身は、1000回以上飛行実験を繰り返し、特にベルリン郊外のリヒターフェルデに飛行用につくった人工の丘をよく使いました。
普通滑空機は量産で製造・販売された史上初の飛行機です。
1894年から1896年までオットー・リリエンタール機械工場から500マルクで販売されていました。
アスピリン
©dpa
今の世の中、世界中で頭痛のする人の多くは、薬局に行ってアスピリン錠を買います。しかし、そうはいかなかった時代もあるのです。
太古の昔から人間は痛みを感じるとそれを治そうと試みてきましたが、アスピリン錠が発明されてやっと、一般大衆にも有効的な治療が可能になりました。
アスピリン錠の歴史は1899年3月6日にベルリン市の帝国特許局で始まりました。
その2年前、バイエル社の化学者フェリックス・ホフマンがアスピリンの有効成分アセチルサリチル酸を、化学的に純粋で安定した形で合成することに成功。商標登録後市場に投入され、社会に一挙に浸透しました。
アスピリンは標準化され、正確に配量可能な形で入手できた世界で初めての薬品のひとつです。
アスピリンのサクセスストーリーは現在も続いています。
1969年の月面着陸の際アスピリンは70歳。アポロ11号に乗り組んだ最年長のクルーでした。
歯磨き粉
- 発明者:オットマー・ハインジウス・フォン・マイエンブルク(Otmar Heinsius von Meyenburg)
- 時期:1907年
- 場所:ドレスデン(Dresden)
©dpa
20世紀の初め頃、人々の歯の健康状態はあまり良好ではありませんでした。
薬剤師のオットマー・ハインジウス・フォン・マイエンブルクはこの問題をなんとかしたいと考え、我々が今歯磨き粉と呼んでいる製品の開発に乗り出しました。
定期的にブラシとクリームで歯の手入れをしさえすれば、人々の歯の健康状態を改善できると確信していたのです。
薬局の屋根裏部屋で1907年に特殊配合の実験を始め、それをメタルチューブに詰め、世界初の新製品として販売しました。
フォン・マイエンブルクの発明によって、この会社はヨーロッパ最大の歯磨き粉メーカーになりました。同社は東ドイツ時代には国有化されていました。
ハーバー・ボッシュ法(アンモニアの合成)
- 発明者:フリッツ・ハーバー、カール・ボッシュ(Fritz Haber, Carl Bosch)
- 時期:1909年
- 場所:カールスルーエ(Karlsruhe)
フリッツ・ハーバー 1918年
©dpa
世の中を長期にわたって大きく変化させる発明はそれほど多くありませんが、アンモニア合成のハーバー・ボッシュ法がまさにそのひとつで、その影響は今も続いています。
1909年、フリッツ・ハーバーはカールスルーエの実験室で空気、水、コークスを使ってアンモニアの製造に成功しました。
新たな製法は画期的なもので、すぐに産業が乗り出し、ハーバーは化学コンツェルンBASF社のカール・ボッシュとともに、この製法を産業利用できるまでに開発しました。
2人は研究業績を認められ、ノーベル賞を受賞しています。
現在、この化学合成法の何がセンセーショナルなのか?何のためにアンモニアが必要なのか?と疑問に思う人がほとんどでしょう。
答えは簡単です。
カール・ボッシュ 1935年
©dpa
ある2つの物のためにはアンモニア(NH3)が必要です。
それが
肥料と
弾薬です。
現代の私たちの生活になくてはならないものであり、また、人々がこれまで善の中にも悪の中にもハーバーの発明の存在を感じてきた理由でもあります。
アンモニア合成が可能になったことで、例えば硝石のような天然の原料に頼る必要がなくなり、一方では世界中の人々の食料を確保するための人工肥料の製造が可能になりました。
しかし他方で、残念ながら弾薬の製造も容易にしてしまったのです。
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