帰ってきたヒトラー:広報活動を通じて「視えた」ものとは!
『帰ってきたヒトラー』、おかげさまで小説も映画も予想をはるかに超えるヒット作となりました。この展開には原作出版の河出書房新社さんも映画配給のギャガさんも心底驚いた、というのが正直なところです。それだけ、本当に時代が要求していた作品だったのだろうと思います。
今回私は、かなり積極的に本作の広報活動に関わりました。取材を受けたり映画公式HPに特設ページを追加したり、そしてネット/リアルの反響を分析したり。
ことに本作は世間全体からのリアクションが大きかったので、今ちょうどホットな話題になっている「歴史認識」や「民主主義」をめぐる社会的認識の「断面」を概観できた感があります。
『帰ってきたヒトラー』に対する反響でまず印象的だったのが、保守層もリベラル層も同様に前向きな興味を示した点です。普通はスパッとどちらかに偏りがちなのです。そして、特にオタク的素養を持った知識人・趣味人の皆様が、「ついに来るべきモノが来た!」と本作を囲んで「祭り状態」になったのが大きなポイント。しかもそれが単に趣味業界だけの盛り上がりに終わらず、世間一般に波及したのが大きいですね。
本作がオタク有識者のマインドに火をつけた要因は何か? いろいろ説明は可能でしょうけど敢えてひとつ挙げるなら、教育的に「正しい」とされる「ありがちで予測可能」なオチの作品ではなかった、むしろ逆だ、という点であるように思います。これは、メインカルチャーの建前主義に食傷していた人びと(いうまでもなくその中心はオタ系の人文科学層!)にとって最大の萌えどころとなったのです。
その盛り上がりが垣根を越えて他の知的業界に波及していったという事実は、現在、情報拡散力の高いオタク有識者層が一種の社会的オピニオンリーダーとして機能していることを示しています。そして逆に、本作が取り扱う問題意識に対応する社会的ストレスや切迫感が、潜在的に思いのほか広く共有されていたことをも暗示している気がします。
『帰ってきたヒトラー』に対するリベラル系の皆様の反応で目立つのが、今の日本社会の保守・右傾化に対する懸念と本作を結びつける見解です。つまり、「最近の日本社会の空気は戦前に似てきた。『帰ってきたヒトラー』はそれを自覚するための優れた触媒だ!」という話ですね。なるほどそうかもしれない。しかしいささか気になるのは、その戦前社会とのアナロジーの論点が、「保守政権の強権・武力志向」に集中しているように見える点です。確かにそれはそれで意味ある問題提起かもしれないけど、私から見てアナロジー的にいっそう重要に見えるのは、社会全体に広がる「理性・教養主義に対する失望と怨嗟」です。
つまり、「道徳的に正しいとされる」建前の手続に従ってもな~んも良いこと無いやんか! どうせ年金も出ないやんか! きれいごとばかり言いよって、理性とか教養とかいうヤツらはこの俺を救わなかった! という怨念。その顕在化・先鋭化はネットを見れば一目瞭然です。そして怨念層とリベラル層は、じつに見事なほどつながっていない…まるで別の惑星の住人みたいです。
その怨念は、まさに日本とドイツの戦前の(問題アリアリな)民主主義の中で膨張し、強権政治を歓迎し、そして最終的に国家を大破壊へと導いた「民意」の集合意識と極めて類似する性質のものです。そして困るのが、この問題、この力学を正面から収拾しようとする知性・理性の言論があまり見受けられない点ですね。
本当はここが「キモ」だと思うのですが。
やがては、この問題を全てうまく収拾する人物か機構が登場するのかもしれません。が、それよりも「全てうまく収拾するように見せる」偽救世主、偽預言者が出現する可能性のほうが高いです。
かつて、ヒトラーがそういう存在でした。いま、日本でもドイツでも「彼」はまだ出現していないように見えます。しかし、明日はどうなのかわかりません。また、いざ「帰ってきた」として、果たしてそういうヤツだと見切れるか否か、わかりません。
知性と理性がいま置かれている窮状は、実際、かなりのものだと思うのです。
まずは知的オタクの皆様、知的市民の皆様、知性が萎えずに盛り上がるようがんばりましょう! わたしもがんばりますよ!
それでは、今回はこれにて Tschüss!
(2016.07.25)
マライ・メントライン
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語が話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。 まあ、それもなかなかオツなものですが。
twitterアカウントは @marei_de_pon 。