ベルリンに住み、ドイツ、日本の会社と仕事 根岸愛さん
ドイツに住むきっかけは、人それぞれ。ときにはちょっとした経験が、その後の人生を変えてしまうこともあります。
2012年からベルリンに住んでいるデザイナーの根岸さんは、ドイツへ旅行したことが移住のきっかけでした。
「ベルリンに住んでから、生きていることを実感します」という言葉が、現在の充実した生活を物語っています。
日本にいた頃とは何が変わったのか、ドイツでの生活をどのように実現させたのか。根岸さんのお話は、いま日本で仕事をしながら移住を考えている人にも参考になると思います。
■ドイツの友人を訪ねた旅が人生を変えた
日本にいた頃は、テキスタイル会社でデザインの仕事をしていた根岸さん。忙しい毎日で、ドイツへの関心は特になかったといいます。
あるとき、アウクスブルクに短期留学中の友人を訪ねに、初めてドイツを旅行しました。友人宅に滞在した根岸さんは、そこで友人やフラットメイトがケーキを焼いたり、近くの市場で買い物をしている、なんでもない生活の美しさを目の当たりにします。
困っているときに、見ず知らずのドイツ人たちが助けてくれたこともありました。
「ドイツに行って、その良さがわかりました。環境がいいし、人が優しいんです。生活にゆとりがあると感じました」
当時の根岸さんは、厳しいスケジュールの仕事をたくさん抱えて、こなすのに精いっぱいの日々。デザインの作業は、本来ならば課題に応えるアイディアの発想から始まる仕事なのに、そんな余裕はなく、毎日を追われるように過ごしていました。
旅行から戻ってきても、頭の中はドイツのことばかり。滞在中にお世話になった人に感謝の意を伝えたいとドイツ語を勉強しはじめ、思いが募って「とにかく1年間ドイツを見てみよう」と決意。旅行から1年後にワーキングホリデーで再び渡独したのです。
住むのに選んだ街はベルリンでした。ほかの都市にはない独特の雰囲気と、ギャラリーや美術館を始め多様なカルチャーがあり、自然が豊かで物価も安い。そんな環境がしっくりきたそうです。
■人との出会いが原動力に
ベルリンでの生活は、人との出会いの連続だったそうです。
「お医者さんや音楽家、ダンサー、研究者など、いろんな分野の人と出会って、世界が本当に広がりました」
ドイツ人としっかり目をみて話すことで、自分の意見も言えるようになったことも収穫でした。議論ではない普段の会話でも、ドイツ人はこちらの発言に対して常に何らかの意見を返してくるものです。そうした会話は、自分から何かを導き出してくれるようだと、根岸さんは話します。
毎日新たな刺激を受け、ワーキングホリデーの期限である1年間はあっという間に過ぎました。しかし、まだベルリンで新たなことに挑戦したいと思っていたところ、それを後押ししてくれるチャンスが訪れました。以前日本で行っていたことと同様のテキスタイルの仕事を、日本の会社から受けられるようになったのです。
それはシルクスクリーンの製作過程で必要な、版を分ける仕事でした。もともと根岸さんには専門技能があり、パソコン上でデータをやり取りできることから、ドイツに住みながらフリーランスとして日本の会社と仕事をするというスタイルが実現しました。
ベルリン出会った人々との縁は、日本で抱いていたデザイナーとしての願いも叶えることにつながりました。
そのひとつが、ベルリンのアンペルマン会社とのコラボレーション商品である、ショールのデザインです。ベルリンにある歩行者用信号機のキャラクター・アンペルマンをあしらったショールは、アンペルマン大使を介して根岸さんがこの地で初めてできた友人、画家の和田百合子さんとともに手がけたもの。ベルリンと日本のアンペルマンショップで手に入れられます。
「ここで出会ったすべての人が私自身の原動力となり、支えられています」と話します。
外国で暮らしたことで、自分自身のことを他人に話す機会も増えました。あいさつ代わりとして気軽に話すと、相手が自分を応援してくれたり、さらに新たな人に出会っていく。誰もが人とのつながりや情報を分かち合う精神があり、活動のチャンスをもらえたと実感しているそうです。
毎日の仕事は、8時半から自宅兼仕事場でのメールチェックから始まります。その後スカイプで日本の会社と連絡を取りあい、15時頃までテキスタイルの仕事。15時からはいったん外出して、展覧会やショップなどを訪れるようにしています。リフレッシュできますし、いろいろなものを見て体験し、いいものを見て気持ちを高揚させることが大切だから、という考えからです。その点でも、ギャラリーなどの文化施設が多いベルリンは、住む場所としてぴったりでした。
夜は、ドイツ国内で請け負ったグラフィックデザインの仕事をしています。
■近い目標はドイツでの就職
「ドイツに長く住みたい」
そんな考えから、いま根岸さんはドイツで就職活動をしています。
これまでベルリンでフリーランスとして働いてきましたが、デザインという本来の仕事はもちろん、営業、事務、経理と一人ですべてをやらなくてはなりません。日本の会社が繁忙期だと寝られないこともあります。そこにフリーの難しさも感じ、ドイツでの就職を目指しています。
「就職活動にすごく時間がかかると思いました。面接してから返事をもらうまでに2ヶ月半かかったこともあります。希望の給与額を自分で言うことも難しいです」
と、日本との違いを感じています。
しかし、きちんと返事をくれる会社が多く、誠意ある対応が返ってくるそうです。
根岸さんはこれまでにフリーのグラフィックデザイナーとして、ドイツのクライアントとも仕事をしてきましたが、「ドイツではプロの意見を尊重してくれる」とか。クライアントは細かいことは言わず、大きな方向性だけ提示し、あとはデザイナーに任せてくれる傾向があるといいます。
ドイツでは一つの職業に就くために、長年にわたって専門分野を学ぶもの。ですから、プロに対する信頼があるのかもしれません。
旅行をきっかけにドイツと出合い、日本での職業経験を生かして移住を叶えた根岸さん。これを書いている私自身、似たような境遇からベルリンへ渡り、日本での編集者経験を元にベルリンでフリーライターとして働いているので、とても親近感を覚えます。
移住したいと思ったとき、どういう方法で叶えるかは、その人の経験や夢によって幾通りもあるでしょう。
でも、どんな場合も「住み たい」と願うことから一歩が始まるのだと思います。願うこと、そして一歩を踏み出すこと。そうすれば道は自然に開けるのではないでしょうか。
根岸愛さんHP:http://ainegishi-textile.jimdo.com
アンペルマンHP:
http://ampelmannshop.com/epages/Ampelmann.sf/de_DE/?ObjectID=785860&ViewAction=ViewProduct
文・写真/ベルリン在住ライター 久保田由希
2002年よりベルリン在住。ドイツ・ベルリンのライフスタイル分野に関する著書多数。主な著書に『ベルリンの大人の部屋』(辰巳出版)、『ベルリンのカフェスタイル』(河出書房新社)、『レトロミックス・ライフ』(グラフィック社)、『歩いてまわる小さなベルリン』(大和書房)など。http://www.kubomaga.com/
*久保田由希よりお知らせ*
このたび私の新刊『かわいいドイツに、会いに行く』(清流出版)が発売されました。ドイツの伝統的な手工芸品やお菓子の故郷に行き、工房を取材した本です。これまであまり知られていなかった「かわいいドイツ」がぎっしり詰まっています。最寄りの書店でどうかご覧ください。ネット書店でもお取り扱いしています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4860294378/