ドイツのワークキャンプ体験記:16人の仲間と共に挑んだ2週間
こんにちは!2024年の春からドイツのマンハイム大学に留学している松本真奈です。今回のブログでは7月末から8月初めの間ベルリンで行われたeys work campについてです。
【目次】
- 期待と不安
- 到着と参加者の簡単な紹介
- ワークキャンプの日常
- 異文化交流の魅力と文化の違い
- 苦労した事
- 地域社会への貢献
- 終わりに
- 日記の部分掲載
まず私がワークキャンプに参加した理由ですが、その一つとしてドイツで過ごす最初で最後の夏休みを無駄にしたくないという思いが一番強かったです。春学期と秋学期の間は講義もないためボランティア活動など参加できれば良いなと思い参加しました。またこのワークキャンプでは2週間を16人の仲間と協力して朝から夜まで生活を送るため異文化に対しての理解が直接的に経験することができると思い参加を決めました。
ワークキャンプは、国際的なグループでの短いボランティア活動です。
このアイデアは20世紀にルーツを持ち、第一次世界大戦中に破壊されたフランスのヴェルダン近郊の家屋の再建から始まりました。
その間、世界中でワークキャンプが開催されており、100年以上のワークキャンプの歴史を振り返ることができます。
参加前には不安などはなく自身の定めたゴールに向かって楽しむことができればいいなという意気込みで参加しました。しかしこのボランティアはドイツで開催されており、国際的な環境での生活は食文化も違えば言語ももちろん違うというすべてにおいての異文化に触れれる経験はとても貴重なものだと感じました。
私はキャンプ参加前に目標とゴールを設定しこの目標を意識しつつキャンプを遂行しました。
①問題が起きた際に焦らず柔軟に対応する
②他国から来ているメンバーの異文化理解と尊重
③日本の魅力をメンバーに知ってもらう
④メンバーに日本語を教える!
では簡単に16人のメンバーについて紹介しようと思います。まずハンガリーから来たMatyi、Fanni、Lazi、Laslo。続いてウクライナからのKathyとAnastasiia。ブラジルからのBiancaとNicolas。イタリアからのAlexander とAdele。エジプトからのGelrge。フランスからのMarie。ザンビアからのEmmanuel。スロバキアからのBohdan。そして最後がスペインからのJulliaです。
私のみアジアからの参加者だったため食文化などにうまく適応できるか不安な点もありましたが、country nightというイベントがほぼ毎晩開催され自国の誇れるご飯を作ったり自国の音楽文化など他国から来たメンバーに紹介するイベントがあり不安はなくなりました。
勤務内容としては、Berlin-Charlottenburgにあるプロテスタント教会「Luisenkirchhöfe」で、古い金属手すりの改修(剥離+塗装)などの記念碑保護作業を行ったり、ベンチを作り、大きな記念碑を清掃し、植物を伐採し、古い壁を修復したりしました。毎日指導役のデイビットから仕事内容が言い渡され数個のグループに分かれて仕事分担をしました。
セメトリ―は日本のお墓と比べると違う点がいくつもあり興味深かったです。例えばこのセメトリ―はお墓!という感じが全くしません。とても明るく森林の緑がとても美しいナショナルパークなのではないのかと感じてしまうほどでした。また管理者の方の考えでいろいろな形式のお墓があり、よくお客様に寄り添ったものが多く興味深く感じました。
コミュニケーション方法は主に英語での意思疎通になります。キャンプで定められている公用語はドイツ語と英語ですが、メンバーはほぼドイツ語が喋れないため英語で意思疎通していました。各国のメンバーが喋る英語ですが、英語の中にも国によって訛りがあり特にイタリア人の英語が印象に残っています。イタリア語をしゃべっているような英語のように聞こえるため新感覚の英語を聞いているようで楽しかったです。
文化の違いだと一番感じたことは、相手に自分が思っていること、こうしてほしいという事などを躊躇なく伝えることです。日本人は大事にしたくない、少し我慢すれば済むなど直接感情を相手に伝えること自体があまりないと感じます。私自身もこれぐらいのことなら我慢すればいいか、と思ってしまいますが彼らは違いました。感情を正直に伝えるからこそ起こる衝突ももちろんあり毎日のように口論しているメンバーを見て、そんなにいう事じゃないじゃん、、、と思ったこともありますが、これが彼らの文化であり普通のことなんだと理解しました。
3日目のワークショップとしてTheater shopが行われたのですが、私にとってタフな体験をしたと同時に気づきもありました。このワークショップでは普段演技を教えているクラウディアがメンバーともっと打ち解けれるように、また自分を表現してみようという題目で進められました。この最後に2人一組でペアになりいろいろな場面の"stuck"とは何かを言葉は用いずに体と表情のみで表現してみようというもので結果は自分的に散々でした。。。この経験を通じて自分自身の感情を表に出すことが苦手なんだなと自分をより知ることができました。
ワークキャンプは自分自身をとても成長させてくれるとても良い機会であり、たくさんの仲間にも出会えるまたとない機会ですので、ドイツ留学される方はぜひ参加してみてはいかがでしょうか!
最後までお読みいただきありがとうございました。
こちらのウェブサイトを参照ください
私が参加したキャンプ↓↓↓
こちらからも数々のワークキャンプを探すことができます。
ここでよりリアルを味わっていただくために写真とともに日記の一部を掲載します♪
3日目
今日は初めての仕事だった。水圧気を使ってセメントリーをきれいにするという仕事作業で頭からつま先まで水と泥でずぶ濡れになったが楽しみながら仕事を全うすることができた。帰った後はアフタヌーンアクティビティでベルリンに自転車で行きドイツのparliamentに見学をしにいった。異国のparlimentを見ることはなかなかできない機会なためとても感慨深かった。その後みんなでベルリンを散策した後22時からあるイルミネーションを見た。このイルミネーションはドイツのパーラメントの前にある建物で行われるのだが美しいライトアップとともに1930年代からのドイツの歴史をビデオとともに振り返るという素晴らしい経験をした。1945年の日本は終戦の年であり、ドイツの同盟国だったためドイツでも同じように厳しい環境を歩んできたと照らし合わせながら見ることができた。
4日目
今日の担当の仕事は、木を削ってベンチを作るというもので、工場作業で使われるような機械を使いながら暑い中ひたすら木を削るという経験をした。木を削るのにもコツが必要でコツをつかんでからは楽しく作業を楽しむことができた。そしてこの工場現場の監督がこの広いパーク中をカートを使って案内してくれたが木々がとても美しくとてもお墓だとは思えないような光景が広がっていた。そして今日のカントリーイブニングはスパニッシュナイトだ。スペイン出身のユリアがキッシュと生ハム各種、サングリアを作ってくれ、その後はスパニッシュソングでパーティーをした。異国間で一体となって楽しむことができ最高だった。
8日目
ベルリンの最大イベントのプライドパレードに参加した。中には裸の方もおり、本当に衝撃的な光景をたくさん目の当たりにした。日本であのような行為をすると確実に逮捕されてしまうがベルリンではそれが許されることに文化のちがいを目の当たりにし驚き。ディナーで訪れた日本食屋さんでイタリア人カップルのアデルとアレクサンドロとフランス人のマリーにお箸の使い方講座を開催した。帰り道にマリーがフランスの記事を見ていて、その記事にはオリンピックの日本とスペインの柔道戦で、フランス側の記事には、柔道に負けた日本人がスペイン人選手の握手を拒んだと書かれていた。これに対して私は日本人選手が握手を拒むなどそんなことはあり得るのかと思い日本側の記事を調べてみると、ジャッジメントがストップサインをしているにもかかわらず絞技を止めなかったスペインの選手で日本人選手は失神してしまったため負けたようだ。この両サイドから見る記事の違いに一つの視点から見ることは非常に危険なことだと思った。
9日目
今日は徒歩でteufelburgを訪れた。世界大戦時代にでた瓦礫を集めて作られたようで当時の情報曲としても使用されていたようだ。当時から徐々に落書きが増え、現在ではアタリ一面を埋め尽くすまさにベルリンバイブな建物となっている。真ん中の建物を屋上まで登るとベルリン一帯が見渡せるようになっており、とてもよかった。中にはウクライナの戦争について書かれた風刺画などやベルリンの壁を風刺する”fuck your border”などの作品がありとても色んな意味がありおもしろかった。この日の夜はジャパニーズナイトであり、お好み焼き、焼きそば、唐揚げを作った。日本人として絶対に美味しいといわせてやるぞという意気込みで料理した。私1人だけアジア人であり味付けがヨーロッパの人にとっては新しいものになるため口に合うか心配していたがみんなとても美味しいと喜んでくれ、カントリーナイトで唯一残り物がなくとても達成感を得た。
10日目
今日はポツダムに行き、散りばめられた王宮に観光しに行った。ポツダムはポツダム宣言などで有名な場所であり歴史的にも重要な地でとても感慨深い経験ができた。本宮殿は美しいの一言で隅々まで手入れの行き届いたガーデンは美しさそのものだった。
11日目
今日はオスマン時代のジェノサイドのメモリアル碑をセメンタリーの責任者である方にお話を伺った。彼らはオスマン帝国時代に戦死された方の行き場のない死体を受け入れ帰る場所を作ったそうだ。このセメタリーはお墓とは思えないほど暖かくナショナルパークのような安心感を覚える。なぜならたくさんの森林や草花があるが暗すぎることなくちょうどよい明るさを維持しているからである。その後フランス対日本のバスケットボールの試合をフランス人の友達と見た。しかしとてもとてもいい試合だったのに僅差で日本が負けてしまった。その後はイタリアンナイトだったため一からパスタをこねて作った。一からパスタを作ったことは初めてだったためとても疲れたが無心になって取り組んだ。