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子供の頃「誕生日パーティー」を「二回」やっていた理由

子供の頃「誕生日パーティー」を「二回」やっていた理由

この連載「日独ハーフの視点」の名前の通り、今回は「ハーフ」としての私の体験について書きます。

 

「日独ハーフ」の子供がいる家庭であっても、「日本語とドイツ語の両方を子供に教える」家庭もあれば、「一か国語だけを教える」家庭もあります。親の考え方、経済的な事情、住んでいる場所など様々なファクターが関係していますので、一概に「こうすべき」だとは言えません。

 

親も大変 ドイツに住みながら子供に日本語を教える際のハードルとは

 

ドイツに住んでいて、日独ハーフの子供にドイツ語と日本語の両方を教えたい場合、現地の「日本語補習校」に通わせることが好ましいです。日本語の読み書きができるようになるために、週に一度、日本語補習校に通い、漢字の練習などの宿題をやることで「日本語で読むこと」「日本語で書くこと」が習慣化されます。ただ残念なことにドイツの全ての町に日本語補習校があるわけではありません。

 

私は小学生だった1980年代、週に一度、土曜日に「ミュンヘン日本語補習校」に通っていました。当時のミュンヘン日本語補習校には、城壁の街ネルトリンゲンや隣国オーストリアのザルツブルグから毎週通っている子供もいました。

 

ところで子供が毎週土曜日に日本語補習校に通うとなると、週末の半分は「つぶれてしまう」わけですから、ドイツ人の親の中にはこのことに良い顔をしない人もいました。ドイツ人にとって「週末」は特別なものです。大事な週末を「キャンプやスキーなどの趣味で思いっきり楽しみたい」と考える人が多いのです。ミュンヘンに住んでいると、アウトバーンを使って簡単にオーストリアやスイスに行けますから、冬場は週末にスキーに出かける人が昔から多かったのです。でも土曜日の午前中に「子供の日本語補習校」があると、「金曜日の午後にオーストリアに行ってスキーを楽しんで日曜夜に帰ってくる」なんていうことはできなくなってしまいます。そういう意味では「子供を日本語補習校に通わせているドイツ人の親」というのはある種の「我慢」を強いられているわけです。その一方で、日本人の親には「子供の教育のためには親が(レジャーなどを)我慢するのは当たり前」と考える教育熱心な人が目立ちました。もちろん「人による」部分もあるので一概には言えないのですが、私の印象だと、ドイツ人の親よりも日本人の親のほうが教育熱心な人が多かったと記憶しています。

 

子供の頃「お誕生日会」を「二回」やっていた理由

 

私が子供だった頃、両親は日本語教育に積極的でした。ミュンヘンで過ごした子供時代、私は「月曜日から金曜日までドイツの現地の学校に通い、土曜日は日本語補習校に通う」という生活のリズムができていました。

 

平日の午後はドイツの学校の友達と遊び、土曜日は午前中の日本語補習校が終わったら午後は日本人の友達と遊びます。そう、私は「よく遊ぶ」子供だったのです。遊びの内容はゴム飛び、かくれんぼ、鬼ごっこといったもの。日本人の友達とは「だるまさんがころんだ」をして遊び、ドイツ人の友達とは「Ochs am Berg eins zwei drei」(「だるまさんがころんだ」と同じルール)をして遊んでいました。振り返ってみると、友達と遊ぶ中で日本語とドイツ語を自然に覚えた気がします。

 

両親は毎年「誕生日パーティー」を二回開いてくれました。一度はドイツの学校の友達を呼んでの誕生日パーティー、そしてもう一回は日本語補習校の日本人の友達を呼んでの誕生日パーティーです。

これは恒例化していて、両親は決して「ドイツの友達も日本の友達も一緒(のパーティー)に呼びなさい」とは言いませんでした。母曰く「大人同士のパーティーでも互いの言葉が話せないと、コミュニケーションをとることが難しい。やっぱり言葉が分かる子供たち同士で集まるほうが楽しいはず」とのことでした。

 

この親の配慮には今更ながらですが感謝しています。というのも、実際のところ「日本語が分からないドイツ人の10歳児」と「ドイツ語が分からない日本人の10歳児」が数人集まっても、結局は「ドイツ語話者同士」「日本語話者同士」で固まってしまい、「皆で一緒に遊ぶ」という展開には中々ならないからです。大人は簡単に「子供だから言葉が分からなくても遊べるでしょ」というようなことを言いがちですが、それが当てはまるのはせいぜい3~4歳児の場合ではないでしょうか。小学生、それも小学校高学年になれば、好きな漫画について話しをするなど「会話」が大事になってきます。お互いに違う言語しか話さない場合、「会話」はできません。読んでいる漫画だって、ドイツ人の子供はドイツ国内で流行っている漫画、日本人の子供は日本で流行っている漫画を読んでいるわけです。何もかもが違い過ぎて「一緒に盛り上がる」ことは難しかったりします。

 

もちろんこれが「一回こっきり」ではなく、大人もフォローした上で、時間をかけて何回も集まるという形にすれば、コミュニケーションが取れるようになるかもしれません。でも一回こっきりの「パーティー」のような場ではやはり「共通の言語」や「共通の趣味」がある人のほうが気が合う、というのは大人も子供も同じなのです。

 

子供の頃は「日本人の友達、そしてドイツ人の友達と二回も誕生日パーティーができて、ラッキー!」と思っていました。

 

「雑談」の通訳って難しい

実は大人になった今も私は「日本語ができないドイツ人」と「ドイツ語ができない日本人」の両方がいるグループで食事をするのは苦手だったりします。というのも、当たり前ですが、そういう場では「同じ冗談」について「皆で笑う」ことはできないのです。誰かがドイツ語でブラックジョークを言って、ドイツ語話者が全員大爆笑しても、日本人には理解できません。また日本人が「最高にくだらないけど最高に笑えるダジャレ」を日本語で言っても、笑えるのは日本語話者の人たちだけです。ドイツ人は笑えません。「言語が分からない」という問題に加えて、ジョークというものは、悲しいかな、「他の言語に訳した瞬間に面白くなくなる」ものなのです。その国の習慣や社会情勢、時事ネタなどを理解しているという「前提」があって初めてジョークを面白いと感じることができます。その知識や前提がないままジョークの「訳」を聞いても大して面白くありません。「へえ~、ドイツ人ってそういうジョークを面白いと思うんだあ・・・・」「へえ~、日本人ってそういうジョークを面白いと思ってるんだ・・・」といった具合に「白ける」だけだったりします。

そういったこともあり、私は「仕事」として通訳(ドイツ語と日本語)をするのは好きなのですが、いわゆる「雑談」の通訳はあまり好きではなかったりします。上記のような「冗談を訳せない」(または訳しても面白くない)問題もありますし、何というか「訳した瞬間に違和感のある会話になってしまうこと」って確かにあるのです。良くも悪くも私はその違和感を敏感にキャッチしてしまう傾向があるようです。むかし日本人とドイツ人がいる食事会で、あるドイツ人が「Wie Goethe auch schon sagte…」と語ったものの、私が「ゲーテも常に言っていたように・・・」と日本語に訳した瞬間、その場がシーンとなってしまいました。Goetheは立派な人物ですが、日本ではフランクに会話をする場で偉人の名前を出してエピソードを語る習慣はありませんから、違和感が生じるのです。

そもそも「通訳」をしている当事者は会話を本当の意味で楽しめません。少なくとも私はそうです。だから「仕事」の通訳は喜んでやりますけど、そうでないものは・・・ごめんなさい、やっぱり「会話」を楽しみたい、と思う気持ちが強いです。食事をしながら、Aさんの話をBさんのために日本語に訳して、更にBさんの発言をAさんのためにドイツ語に訳して・・・みたいな役割はやっぱり疲れます。

 

日独ハーフの人で両方の言語ができる人は仕事以外の場面でも割と気軽に「これを訳して」と頼まれることも多いですが、「通訳をする人は会話を楽しめない」ことはもっと知られてもいいのではないか・・・?なんて当事者としては思っちゃいます。

 

でも・・・・こんな愚痴を言っていられるのも「今のうち」だけかもしれません。AIなどの進化で何年か後には「通訳」なんて必要なくなる・・・なんて言われていますから。ただ言葉には「AIには分からない細かいニュアンス」もあったりしますから、疲れたりもしますけど、まだまだ「人間の通訳」の出幕はあると信じたいです。

 

サンドラ・ヘフェリン

サンドラ・ヘフェリン

ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴19年、著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) 、「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: ヒラマツオ/KADOKAWA)、「『小顔』ってニホンではホメ言葉なんだ!?~ドイツ人が驚く日本の「日常」~」(原作: サンドラ・ヘフェリン、漫画: 流水りんこ/KKベストセラーズ)」など計11冊。自身が日独ハーフであることから、≪ハーフはナニジン?≫、≪ハーフとバイリンガル教育≫、≪ハーフと日本のいじめ問題≫など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ 「ハーフを考えよう!」 を運営。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、散歩。

サンドラ・ヘフェリン