さようなら、テーゲル国際空港。
2020年10月31日、ベルリンに新空港BERこと「ベルリン・ブランデンブルク国際空港」が開港します。それに合わせて、テーゲル空港がその歴史に幕を閉じることになりました。
今年夏場に、お別れ撮影会に行ってきたので、1970年代デザイン満載のテーゲル空港の魅力をレポートしたいのですが、その前に!
ベルリン子に「この目で見なければ、オープンは信じられない」とまで言わせるBER新空港。オープンまでに一体何があったのか、ざっと振り返ってみたいと思います。
新空港の工事が始まったのは2006年のこと。
2010年6月、2011年11月に予定されていた開港が延期になった時は、まだ問題はそれほど大きくありませんでした。
2012年5月。
華々しいオープニングの1ヶ月前に、突然延期が発表になりました。
その衝撃を今もしっかり思い出せます。ちょうど新空港に支店を開く予定のお店の取材に行っていて「1週間前くらいから支店の工事現場に入れてもらえなくなった。スタッフの備品とか準備が必要なのに困る」という話を聞いていたからです。つまり、それくらいギリギリになるまでテナントにも連絡すら行っていなかったんですね。
次の開港の予定日は2013年3月。
2012年9月、再び開港は2013年の10月に延期。
2013年、新空港開港と同時に閉港するはずだったテーゲルが、2017年9月まで開くことに決まります。
2013年8月、新空港に、防火対策から床材まで7万5千の欠陥があると発表されます。
す、すごい数字です。そんなわけで、再び空港のオープンは延期です。
2014年11月、新空港のオープンは早くても2017年、現実的には2018年になると発表されます。
2017年1月、「今年は新空港は開きません」と5度目の延期が発表された時、もはやベルリンの人は誰も驚かなかったと思いますが、ドアの8割の電気制御が機能しないと聞いた時は驚きました。何がどうなったらそんなミスが?!
そして、北ドイツ、ハンブルクでやはりオープン予定が遅れに遅れて工事期間も費用も莫大に膨らんでいた「エルプフィルハーモニー」がグランドオープンを迎えます。「ベルリンの新空港がオープンするのが早いか、ハンブルクのエルプフィルハーモニーが早いか?」との争いに決着がつきました。
ベルリン、負けた……。(写真はエルプフィルハーモニーです)
しかも完成したら、エルプフィルハーモニーの音響建築の素晴らしいこと!街の新名所になりました。
2017年8月、新空港の延期による損害により、航空会社エアベルリンが破産(涙)
2017年末、2019年の夏の開港予定が発表され、工事の費用は嵩むばかり。
2018年11月、新たな、かつ確かなオープニングとして、2020年の10月という日程が発表されました。
しかし、これまでの経緯から、ベルリン市民のほとんどが「いや絶対ない」「この目で開港を見るまでは信じられない」と思ったのはしょうがないことかと思います。
しかも開港を前にすでに倒産が迫っているとの報道。問題は山積みですが、その話はいつかまた。
さて新空港とは逆に、ベルリン市民に愛され、別れを惜しまれているのが、旧西ベルリンの空港「テーゲル国際空港」です。なんといってもその魅力(?)はそのコンパクトさ。
1948年、ソ連によるベルリン封鎖の際に、それに対抗してアメリカとイギリス軍が食料品や日用品などを飛行機を使って空輸し、ベルリン市民を助ける「Berliner Luftbrückeベルリンの空への架け橋」作戦が行われました。その際に、テンペルホーフ空港だけでは足りなくなって、急遽90日間ほどで滑走路を整備されたのがテーゲル空港の始まりです。
いまある、六角形のターミナルが完成したのは1974年のこと。
六角形の建築は世界でも非常に珍しいんだそうですが、この形は乗客の使いやすさを考えて作られたもの。
離着陸ゲートから出口まで、そしてターミナル内の移動も少なくてすむ形。
タクシーの到着場所から入り口まで、一番近い場所で28メートル。つまり原則的に考えれば到着から5分で飛行機に乗れちゃう、、、ということなんだそうです。
ちなみに私も超早朝便で寝坊したときに、道がすいていて手荷物だけだったとはいえ家からドアtoドアで30分弱で飛行機に乗れたことがありました。空港から中央駅まで約8km!驚異の近さです。
でも逆にその利点が、市内中心部に住んでいる人にとっては騒音問題となり、また拡張がしにくい理由でもあり、今回別の場所に新空港が作られることになったわけですが……
そして分かりやすさ重視のカラーコンセプトもテーゲルの良さでした!
開港時は赤・黄色・緑で、洗面所まで統一されていたそうです。
いまも特徴的なオレンジ色や赤がそこここに!
そして独特の曲線、窓のフォルムなど、1970年代に考えられていた近未来デザイン感があって見れば見るほど面白い。
コンクリートのモジュールなども面白い形で、ブルータリズム建築好きにはたまらないです。
コロナ第一波のロックダウンが終わってからも、飛行機の本数は激減。閉港が夏に早まるかも……という話を受けての夏の撮影会では、普段は乗客として入ることができない、空港の消防署にも入らせてもらえました!空港内部全ての場所に3分で到着できる!という場所にあるらしいです。
テーゲル空港消防隊の隊長。彼のベルトをふと見たら旧東ドイツの紋章が入ってたので話しかけてみたところ、旧東ベルリン、ケーペニックで旧東独の消防隊にいて、東西ドイツ統一後すぐ1991年にテーゲル空港に転職したという人でした。ウヴェ・コスキーさん。新空港でも消防隊を率いるんだと誇らしげ。テーゲル空港自体は西ベルリン側の空港ですが、東ベルリンの人にも思い出深い空港なんだとか。
消防隊はもちろん、大半のものはテーゲル空港から新空港へ移動されるのですが、
唯一残されてしまうのが、このルフトハンザのボーイング707機です。
1986年、第二次世界大戦後初めて、西ベルリンのテーゲル空港に着陸したルフトハンザの機体です。西ベルリンは当時アメリカ、イギリス、フランスの占領地だったため、ルフトハンザは長らくその上を飛ぶことはできませんでした。その後、ベルリン市に贈られた飛行機ですが、いまは寂しげに、空港の隅に佇んでいました。ベルリンの交通博物館に引き取られるという話もあったそうですが、内部がかなりカビだの錆だのが来てしまっているらしく、打ち捨てられています。最終的にはスクラップになってしまうというさみしいニュースが報道されましたが、その後購入希望者が出てきた模様。
まさに、テーゲル空港は時代の証人。第二次世界大戦後、東西分断、再統一、コロナとベルリンの激動の歴史を見つめてきました。ベルリンに住む人、訪れた人たちの思い出もいっぱいに詰まっています。
わたしが2000年に降り立ったのも、この空港。それからどれだけこの空港に来たことか。ちっちゃな税関で会話を交わしたことか。今年もコロナシャットダウン開けから、空っぽのターミナルの中を歩き、不思議な気持ちでマスクをしたドイツ人たちと一緒に飛行機に乗り込みました。
いま、空港の中には、ベルリン空港で起こった様々な出来事が六角形の写真で展示されています。
そうだ、2014年にドイツがW杯で優勝した時、ドイツ代表が降り立ったのもこの空港でしたね〜!
そして、牛がチェックインしたのも、、、?!農業見本市のため?!
ベルリンテーゲル空港の閉港は11月8日。15時に、最後のフライトが飛び立ちます。本当に、さようなら、テーゲル。
参照:新空港開港までの歩みは、ベルリン=ブランデンブルク放送RBBのこの記事を参考に自分の体験を交えつつ書いています。