私たちはこれから、どう変わっていくのか【コロナとともに生きる】その3
7月ですね。思えば、あの横浜のダイアモンドプリンセス号の騒ぎからもう5か月。国内のこととはいえ、2月の時点では、ダイアモンドプリンセス号にまつわる騒動は多くの人にとって「対岸の火事」でした。しかしその後、日本で待っていたのは「コロナに注意しながらの毎日」でした。誰もがここ数か月間、新型コロナウイルスのことを考えながら生活してきたはずです。
戻りつつある日常に感謝しつつも、何週間にもわたった#StayHomeの日々を振り返ってみて思うのは、そこには「格差」があったということです。
「庭いじり」や「料理」に見る格差
#StayHomeの期間中は庭いじりに没頭したり、家で料理に凝ってみたりなど「家での活動」が推奨されてきました。しかしよく考えてみると、誰もが広いキッチンや庭付きの家に住んでいるわけではありません。
コロナ以前のニッポンでは「ただ寝るだけのために帰る部屋」というのが市民権を得ていました。大学生で、4畳半の部屋に住んでいる人は珍しくありませんし、社会人になってからも、「最初の何年かは6畳一間に住む」ことだって珍しくありません。何を隠そう、私が90年代後半に日本で一人暮らしを始めた時も、最初の数年は「6畳のワンルーム」生活でした。「日本でのスタートはそういうもの」だと思っていたこともあり、惨めささは特に感じませんでした。当時私は20代で、活動的に色んなところに出かけていましたので、そもそも一日中6畳の部屋で過ごしていたわけではありませんでした。もしもあの頃にコロナ騒動が起こって、#StayHomeなどと言われていたら、、、、と想像すると、ゾッとします。
私のような中年とは違って、今の10代や20代の若い人にとって、エネルギーがあるからこそ、数週間にわたる#StayHomeの期間は相当つらかったのではないでしょうか。
ドイツの住居選びのポイントは「居心地のよさ」、日本の住居選びのポイントは「通勤」
ドイツではSchön Wohnen(居心地のよい住まい)がかねてより大事にされてきましたので、そういう意味では急に「家にいなさい」と言われても日本よりは「楽」だった気がします。家の広さ、間取り、家具など色んな意味において・・・。ただドイツ人自身が「広い家で幸せ」ということを自覚しているのかは微妙です。ドイツでの厳しい外出制限の期間中、多くの人は「外に出たい」という気持ちでいっぱいでしたから。
考えてみると、ドイツでは「駅からすぐの物件」というのはそれほど好まれません。ドイツ語のBahnhof(「駅」)にはどこかゴミゴミしたイメージがあり、「駅近の物件よりも、駅からは少し離れた自然豊かな場所に住みたい」と考える人が多いのです。それが「通勤」が重視されてきた日本では、駅から近いところに住んだほうが通勤に便利だということもあり、とにかく「駅近で便利な物件」が重宝されてきました。
でもコロナ禍でテレワークも多くなってからは日本でも「住まいそのもの」にスポットが当たるようになりました。テレワークをするには家でもそれなりのスペースが必要ですし、何時間もそこで仕事をするとなると、それなりの「居心地のよさ」も大事になってくるからです。
緊急事態の期間が終わっても、ウイルスの性質を考えると、我々は以前のように活動的になるわけもいきません。そう考えると、「家の中を居心地よく」という流れは今しばらく続くのではないでしょうか。
ただ念のために言っておくと、「日本の働き方」については「今後本当にリモートワークが長期で浸透するのかどうか」は誰にも断言できません。これを機にと通勤を考慮しない物件に引っ越してしまうのはちょっぴり危険かもしれません。なにかこう「家の居心地のよさ」と「通勤」のあいだでバランスがとれた「真ん中」あたりを目指すのが賢いのかもしれません。
でないと、せっかく「都心から離れた、庭のある、ゆとりのある間取りの家に引っ越した」はいいけど、その矢先に、勤め先から平常通りの通勤を求められ、満員電車での長時間通勤を強いられる、なんてトホホなことになってしまうかもしれません。
現実的かつネガティブな〆で失礼いたしました・・・。みなさんStay safe and genki!
サンドラ・ヘフェリン