私たちはこれから、どう変わっていくのか【コロナとともに生きる】その2
※この原稿は5月4日に書いています。
何か月にもわたって続いている新型コロナウイルス騒動。終わりがまだまだ見えません。今後、私たちは「様々な制限が設けられた上での日常生活」をおくるしかないということを前回書きました。
今まで友達と大勢で会ったり、外食をしたりと自由を謳歌してきた私たちにとって、長期間にわたりそれらのことを自由気ままに楽しめなくなるのは精神的につらいこと。でもコロナでつらいのは行動が制限されていることだけではありません。
なんだか今までのキャラや価値観を全否定された気持ちになるのも相当つらいことです。
たとえば多くのドイツ人にとってOffenheit(外向的な性格)というのはとても良いことだとされてきました。常に本音で生き、大きな声で分かりやすく話し、大きく口をあけて歯を見せて笑い、人に会ったら駆け寄ってハグをするというのはドイツでは当たり前に良いことだとされてきたわけです。だからこそ、マスク越しにゴニョゴニョ話すのは相手に対して失礼だとされていましたし、マスクの着用そのものが外向的ではない(nicht offen)としてドイツでは毛嫌いされてきたわけです。
ところが、前回も書いたように、今のドイツでは電車に乗る際や買物の際のマスク着用が義務化されています。マスクをつけるという習慣をもともと持っていた日本人とは違い、あれだけマスクを毛嫌いしてきた人たち(ドイツ人)がマスクをするというのは色んな意味で凄いことなのです。まさにここ数週間の間に、今までの当たり前だと思っていた価値感がひっくり返っているわけです。
今までのドイツでは一人での行動が好きなEigenbrötler(女性はEigenbrötlerin)というのは、独和辞書での和訳が「変人」や「偏人」となっていることからも分かるように、単にマイペースな人という扱いではなく、明らかにネガティブにとらえられていました。まあ私のよう原稿を書くのが好きだったり、机に向かうのが嫌いではないタイプはこれに当てはまると思います(笑)
意外に思われるかもしれませんが、「読書という趣味」も今までのドイツではあまり評価されてきませんでした。週末が明けた月曜日に同僚や上司に”Was haben Sie am Wochenende gemacht?”(「週末は何していましたか?」と聞くドイツ流の挨拶)と聞かれ、「読書してました」なんて答えようものなら、完全にEigenbrötlerの扱いでした。まあ日本でいうオタクに近い感覚かもしれません。
ところが新型コロナウイルスの登場によって今やドイツでも読書がブームです。Albert CamusのDie Pestのように感染症を扱ったテーマのものはもちろん、本全般がよく読まれるようになりました。そして、今のドイツの大ブームは・・・パズルです!これぞひとり遊びの極意です。パズルといえば、「暇人の遊び」、「子供の遊び」・・・だったはずが、今やお出かけができないぶん時間がありあまっているわけですから、自宅でパズルにハマっている人が多いのです。
世界で猛威を振るっているこのウイルスは、このように人の性格までも変えてしまいます。いや、今は「外出できないので妥協して家でパズルをしている」だけなのかもしれません。でもそれが長期にわたり続くと、たとえば子供はパズルをしている大人を見ながら育つわけですから、自らもパズルをするでしょうし、「ひとり遊びが中心」の子供時代をおくるわけです。そういった中で、「キャラの変化」は絶対に起こると私は思っています。
日本では「バブル世代」「ゆとり世代」「さとり世代」など世代別に「名前」がつけられています。そのうち「コロナ世代」も出てくることでしょう。10年後のWikipediaには、「幼少期を他人とかかわらずに過ごしたため、一人での作業が得意な一方で、仲間意識に乏しく協調性に欠けた世代だと言われている」というような説明が登場することでしょう。
世界で新型コロナウイルスが蔓延している今、世界中の人が内向的になっています。「みんなでワイワイ」できないぶん、基本的には「ひとり」を楽しみながらも、友達が困っている時には「遠くからそっとサポートできるような人」がこれからは好まれるのかもしれません。
サンドラ・ヘフェリン