体験しよう!ベートーヴェン・ストーリー
こんにちは!フリーランスピアニストの久保田早紀です。
前回は、ベートーヴェン生誕250周年で賑わいを見せるボンの街の様子や、期間限定で公開されているベートーヴェン特別展示会について紹介しました。今回は、ボンが街をあげて開催しているイベント『Startseite Beethoven-Rundgang』について詳しく紹介していきたいと思います。
Startseite Beethoven-Rundgangとは、訳すと「ベートーヴェンゆかりの地めぐり」と言った感じで、ボンとその近郊の街において彼と深い関わりのある場所が紹介されており、クラシック音学愛好家やベートーヴェン・ファンはもちろん、ボンを訪れる多くの観光客にも人気のあるコースとなっています。
残念ながら、今の時期はドイツも外出制限や入国規制により旅行するのが難しいですが、この記事を通して少しでもボンに行ったような気分を味わってもらい、皆さんの次回のドイツ旅行の参考にしていただけたら嬉しいです。
ベートーヴェンツアー 22
ここで紹介されるツアースポットはボンとその周辺の街々に点在しており、ボン市内に11カ所とボン近郊の街々に11カ所、合わせて22カ所のベートーヴェンとゆかりのあった場所です。それぞれの場所には目印となる柱が建てられており、離れたところからでも一目でわかります。
なぜ「22」なのかというと、彼が1770年に生まれてからウィーンに移るまでの約22年間をボンで暮らしていたため、そのことに由来して22カ所に絞られたようです。それぞれの場所には番号が付いていて、1番から11番まではボン市内、12番から22番まではボン市街や近郊の街に分けられています。
べートーヴェン・ストーリーと題された市内にある黄色で目立った柱の中には、オーディオガイドが組み込まれているものもあり、この右下にあるボタンを押すとその場所と彼が当時どのように関わりがあったのかを、ドイツ語または英語のアナウンスで聞くことができます。
さらに銀色の入り口を覗くとそれに関連した動画も視聴することができ、子供から大人まで気軽に楽しめる仕組みになっています!
近郊の街々にある柱には動画視聴や音声ガイドはないものの、彼がボンにいた当時とあまり変わらない状態で残されている建物や自然の風景などを楽しむことができます。
ここからは、ボン市内にあるいくつかのベートーヴェン・ストーリーを紹介します!
第1番の柱 ベートーヴェンの生家
ベートーヴェンハウスは館内撮影禁止のため外観の写真のみですが、館内の展示ケースの中には、いくつもの自筆譜や彼の書いた手紙なども残っており、とても貴重な資料を目にすることができます。そしてボンに居た時の様子だけでなく、ウィーン時代の様子も日本語オーディオガイドと共に細かくじっくり学ぶこともできます。
各階にいるスタッフの方々はみなさんとても知識豊富な方たちばかりで、こちらの質問にも丁寧にそして親切に教えてくれます。また古い木造の階段を昇り降りする度に聞こえてくるミシミシという音と彼の自筆譜を眺めていると、まるで彼の生きていた時代にタイムスリップしたかのような気分に陥り、誰しも不思議な感覚を味わうことができるかと思います。
一年を通して多くの観光客が訪れるベートーヴェンハウスは、長期に渡って改装工事のために閉館していましたが、ベートーヴェン生誕250周年を祝う様々なイベントに合わせて、ちょうど昨年の彼の誕生日(12月16日)にリニューアル・オープンしました!新しくなってからは、外国人観光客だけではなくドイツの方々もここに多く足を運ぶそうで、私が訪れた時も年配の女性がスタッフの方に細かく質問などをしていて、とても熱心に観覧している様子でした。
また、ベートーヴェン・ハウスの向かい側にあるお土産ショップも同時にリニューアルオープンし、多くの観光客がここでの限定グッズや珍しいお土産などの買い物を楽しんでいました。
他に私が気になったお土産、ショップでの限定品、彼がよく訪れていたといわれるレストランなどもTwitter や Instagramで紹介していくので、興味のある方は是非見てみてください!
第2番の柱 聖レミギウス教会
13世紀に建てられた聖レミギウス教会は、ベートーヴェン一家にとって特別な教会でした。彼の祖父母、両親はこの教会で結婚し、ベートーヴェンは生まれた翌日にこの教会で洗礼を受けたと言われていて、この洗礼盤は当時のままの状態で残っています。
実は、彼がボンにいた当時、聖レミギウス教会は第4番の柱があるレミギウスプラッツ(レミギウス広場)にありました!
しかし1800年に起きた落雷によって焼失してしまい残念ながら再建されることはなかったため、後に旧マイノライト教会を聖レミギウス教会と改名して現在に至ります。幸運なことに、この洗礼盤は旧聖レミギウス教会から無事に運ばれて本当にラッキーでした。
聖レミギウス教会ではオルガンのレッスンも受けており、彼が10歳になる頃には既に朝の礼拝時にオルガンを演奏していました。そして13歳の時には、プロのオルガン奏者の代理として演奏したことで、演奏者として初めての謝礼を受け取ったと言われています。
また、初めてオルガン奏者の仕事を引き受ける前に、初めてのリサイタルを、なんと現在私が住んでいるケルンで行っています!
これが当時の演奏会のチラシです。
この初リサイタルは彼の父とその関係者の主催によるもので、当時7歳だったベートーヴェンを6歳と年齢のサバ読みをしてデビューさせます。これはモーツァルトのように神童として売り出したかった父の強い希望によるものだったそうです。
このチラシを見てとても驚いたことが、彼のデビューリサイタルと命日が同じ日だということ。この演奏会は1778年3月26日、彼が亡くなった日は1827年3月26日!デビューの日と命日が同じ日とは、とても不思議な、何か神秘的なものを感じさせられます。
第10の柱 ハイドンと運命の出会い
ボンのバド・ゴーデスベルク地区にRedoute(レドゥト)という建物があります。最寄駅のバド・ゴーデスベルク駅から徒歩5分くらいの所にあるこの建物は、1792年に完成したダンスホールやコンサートホールなどがあるボンの娯楽施設でした。週にダンスを2回、コンサートを2回、と数多くのイベントが催され、ベートーヴェンはここで音楽家として雇われ、ピアノだけでなくヴァイオリンやヴィオラも演奏していました。
ボン大学で哲学や文学を学びながらも、音学教育もしっかりと受けていた彼が21歳の時、当時ヨーロッパ中に名の知れた、ウィーン出身の作曲家ハイドンがイギリスでの演奏旅行の帰りに立ち寄ったボンの滞在先がここレドゥトでした。その時ベートーヴェンは初めてハイドンと出会い、彼からレッスンを受けるためにウィーンへ行くことを決意することとなります。そしてハイドンのサポートのおかげもあり、この出会いから数ヶ月後に彼はウィーンへ旅立って行きました。
ベートーヴェンがハイドンの前で演奏したと言われているこの場所が、館内の中で一番大きい『ベートーヴェンホール』です。200年以上経った今も内装は豪華な装飾が施された伝統あるイベント会場『LA REDOUTE』として、現在もコンサート、会議、パーティー、コンクール、そして結婚式など、様々なイベントに利用されています。
彼が演奏したこのホールは、今では公的に利用されるだけでなく一般の方も利用できるようになっており、当時の雰囲気を身近に味わえることができる数少ない場所の一つです。
ここまで、ボンの街中にある彼とゆかりのあった場所を案内柱をもとにいくつか紹介しましたが、いかがだったでしょうか。これらはほんの一部でしかなく、ゆかりのスポットは計22カ所もあり、これらの全てにベートーヴェンと深い関わりのある「ストーリー」があります。
皆さんが実際にこのツアーを周って見るとまた違った見え方がするかもしれませんし、家に居る時間がたっぷりとある今、自宅にいながら下記のWEBサイトを通じて、実際にボン行った気分を少しでも味わったり、彼の日常や仕事の様子を垣間見ることができるかと思います。そして今のこの大変な状況が改善され、またいつもの生活に戻りましたら気分一新、ぜひドイツに足を運んでみてはいかがでしょうか?
べートーヴェン・ツアー
https://beethoven-rundgang.bonn.de/index.php
絵で見てわかるベートーヴェンの日常と仕事(タブレットとPCのみ使用可)
https://hallo.beethoven.de/html5/start.html