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交通事故から仕立ての道へ。マイスターになり、みんなが笑顔になる服作りを目指す 城田真至さん

紳士服の世界でマイスターを目指す城田真至さん。(写真©Hiroshi Toyoda)

交通事故から仕立ての道へ。マイスターになり、みんなが笑顔になる服作りを目指す 城田真至さん

城田真至(しろた・まさよし)さんへのインタビューは、ベルリンのカフェで行いました。私は共通の友人を通じて城田さんを知ったため、会うのはその日が初めてでした。
カフェに現れた城田さんは、少し足を引きずっているように見えました。じつはそのことが、ドイツへ渡るきっかけとなったのでした。

バイク事故で生死をさまよう

「ずっと戦場ジャーナリストになりたかったんです」 と話す城田さん。イラク戦争でのジャーナリストたちの活動を目にし、自分も報道の現場に携わりたいと夢に見ていたそうです。

ところがある日、将来の志望を変えざるを得ない出来事が起きました。大学生のときにバイクを運転していて、角から曲がってきた車にはねられたのです。生死の境をさまようほどの大事故に、進路変更を余儀なくされました。

当時、大分県にある立命館アジア太平洋大学に通っていた城田さんは、ファッションにも興味を持っていました。しかし、「もう流行ではないから」という理由だけで、状態はいいのに着られなくなってしまう服を産むファッションに強い違和感とひどい疲労を感じていたそうです。

そんな状況に疑問を持ち「ずっと着られる、不変的な服を作りたい」と選んだのが、紳士服の道。大学3年生から週4日間、松葉杖をつきながら専門学校に通い、洋裁を習い始めました。

休暇中に訪れたフランスで。

休暇中に訪れたフランスで。



語学留学と、日本でのさらなる修業

怪我による入通院があったため、城田さんは就職活動をせずに5年かけて大学を卒業。リクルートスーツ姿で就職活動をしている友人たちを横目に、進路が思うようにならないことに焦りと悔しさを感じていました。

次第に、ドイツでの語学留学を考えるように。もともとドイツに興味があり、将来住んでみたいという気持ちもあったことから、ミュンヘンとベルリンで1年間の語学留学をしました。

ドイツは日本と同じ敗戦国なのに、戦後の歩みが全然違うと思います。ドイツは過去の過ちを徹底的に検証して反省しました。第二次世界大戦をテーマにしたドイツの博物館などでは、自分たちが加害者だったという立場での展示が多いです。ものごとを曖昧にする日本に対して、ドイツは白・黒ハッキリつけます。今ではEUの代表国として隣国と協調し合い地域・国際社会に貢献しています。
紳士服の分野ではイギリスとイタリアが開拓し尽くされているなかで、マニアックでマイナーなドイツは留学先として最適でした。日本でドイツ仕立てなんて誰も知りません。これは可能性とチャンスでしかありませんでした。それに、物を大切にする文化があるのも僕には合っていました」

留学後は、神戸ものづくり職人大学(注:2018年に閉校)の紳士服コースを専攻。通学と並行して、カリキュラムとは関係なく、自発的にテーラーで修業する生活を3年間続けました。
学校で学び、店舗で実習するというデュアルシステムは、じつはドイツで職人資格を取るためのアウスビルドゥング(Ausbildung)という職業教育でも行われています。

いよいよドイツで服作り

神戸ものづくり職人大学卒業後の2015年に、ワーキングホリデービザを利用して再びドイツへ。今度はドイツで働くことが目標でした。

まずはインターネットでテーラーを片っ端から調べて、「1日か2日の体験修業をさせてほしい」とメールを送りました。返事が来なければ、直接店に電話。その結果ケルン、ハンブルク、ミュンヘン、ベルリンの各都市にある4店舗からOKの返事が届きました。

そこからドイツでの修業がスタートしました。4店舗での体験修業を終えた時点で、2店舗から引き続き働かないかというオファーが来たのです。

オファーを出したのは、ミュンヘンとベルリンの2つのテーラー。ミュンヘンでは、職場のマイスターと合わなかったために試用期間のみで終了し、2015年8月からはベルリンのテーラーで勤務。ズボン、上着、裁断、製図、フィッティングと、これまでにひと通りの経験をしたそうです。

当初は言葉に不安があったそうですが、1年経つ頃には不自由なく聞き取れるように。仕事上の専門用語は独英2ヵ国語で覚えたそうです。

ドイツで活動している人に多く見られる共通点は、自ら考えて行動し、そこから着実にチャンスを掴むこと。自分で道を切り拓いていくことが、海外生活を送る上で大切だと思います。城田さんも、まさに自分で行動を起こし、仕事へと着実につなげて行ったのです。

ベルリンのテーラーで勤務。(写真©Hiroshi Toyoda)

ベルリンのテーラーで勤務。(写真©Hiroshi Toyoda)



 

 

 

ベルリンのテーラーで、ひと通りの仕事を経験。(写真©Hiroshi Toyoda)

ベルリンのテーラーで、ひと通りの仕事を経験。(写真©Hiroshi Toyoda)



日独働き方の違い

城田さんは、ドイツで働いて、働き方の日独の違いに気がついたと言います。

「日本のスーツはカチッとして隙がなくキレイですが、時に硬すぎるように見えます。ドイツでは手縫いが多く、生地の素材を活かした体を包み込むような柔らかいスーツなんです。なぜ違うのか理由を考えてみたら、働き方の違いが大きいのではないかと思うようになりました」

日本では深夜11時、12時まで働くのが当たり前だったそうです。しかし、ドイツでは1日きっちり8時間、週40時間、土日祝日は休み。
ドイツで働き始めた当初、城田さんは「言われたことをその日にできなかったら恥ずかしい」との思いから、残業をしたことも。ところがテーラーの同僚からは「その日に終わらなかったら、どれだけ切りが悪くても明日続きをするべきだ」「残業無しは労働者が勝ち取った権利で、君の勝手でその権利を危うくしてはならない」と言われ、働くことへの意識が変わったそうです。

「必ず期日までに納品しなくてはならないスーツを除いて、納期が遅れそうなときはボスがクライアントに交渉して、解決することもあります。『お互いさま』という意識があるんですね。働く側にストレスがかからない環境だから、ひと針ひと針にそれが表れて、柔らかいスーツになるのではないかと思います」

こうした価値観はドイツで働いたからこそわかったことで、日本にも広めたい、と城田さんは話します。

海外に出ることは現地を知るだけでなく、日本を客観的に見ることにもつながります。それもまた、自分にとって大きな財産になるのではないでしょうか。

 

城田さんが作ったスーツ。

城田さんが作ったスーツ。



まずはマイスター資格取得、大きな夢は身障者の服作り

約4年間ベルリンのテーラーで働き、ひと通りの技術を修得した城田さんは、マイスター資格取得のために退職してマイスター学校へ通う予定です。

本来ならば、入学にはドイツでテーラーとしての職業訓練を修了していることが前提ですが、城田さんの場合はベルリンでの経験が認められ、入学許可が下りました。

マイスター過程は全日制で1年間、または実技と平行しながらの通学でも修了可能です。城田さんは全日制に通学の予定で、1年間でマイスター資格取得を目指します。

城田さんの最終的な夢は、マイスター取得では終わりません。じつは、本当の夢は「身障者も着られるユニバーサルな服を作り、なおかつそれに健康保険が適用されるようにする」こと。

「バイク事故に遭って自分が身体障害者になって、着たい服が着られなくなりました。その経験から、身障者にも着られる、普遍的で不変的な服を作りたいです。まずは健常者に作るスーツの世界でプロフェッショナルと認められ、その後ユニバーサルな服作りを目指します」

いつか城田さんのスーツが多くの人にしあわせをもたらす日まで、挑戦は続きます。

久保田 由希

東京都出身。小学6年生のとき、父親の仕事の関係で1年間だけルール地方のボーフムに滞在。ドイツ語がまったくできないにもかかわらず現地の学校に通い、カルチャーショックを受け帰国。大学卒業後、出版社で編集の仕事をしたのち、フリーライターとなる。ただ単に住んでみたいと、2002年にベルリンへ渡り、そのまま在住。書籍や雑誌を通じて、日本にベルリン・ドイツの魅力を伝えている。『ベルリンの大人の部屋』(辰巳出版)、『歩いてまわる小さなベルリン』『心がラクになる ドイツのシンプル家事』(大和書房)、『かわいいドイツに、会いに行く』(清流出版)、『きらめくドイツ クリスマスマーケットの旅』(マイナビ出版)ほか著書多数。新刊『ドイツ人が教えてくれたストレスを溜めない生き方』(産業編集センター)。散歩、写真、ビールが大好き。

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久保田 由希