深い関係性を築くには「時間」が必要だ。相手とも、自分とも。
どうもwasabi( wasabi_nomadik)です。
ベルリン生活での私の心の動きを綴っていくこのコラム。今回は前回の記事「なんでそんなに働くの?」好きを仕事にしていたから見えなかったこと」に引き続き、ドイツ人とのコミュニケーションにおいて自分が圧倒的に欠けていたことに気づいた私が、その後どうやってそれを本当の意味で理解していったのかについてお話します。
前の記事にも書きましたが、私はその当時仕事のことしか考えていませんでした。ドイツ人と深い関係性を築くためには「自分がどう感じるのか」という「根本的なものの感じ方」の部分を共有する必要があるということになかなか気づかなかったんです。
相手を深く知るためには、自分自身がこうした自己理解のプロセスを踏まなければ自分のことも深いレベルで伝えられないし、相手に本当に興味を持つことも、想像することさえできない。
このことに気づいた私は、「自分がどう感じるのか」ということを意識して生活することを始めます。しかしこれがなかなか難しい。
英語でもドイツ語でも、友達と会った時は「How are you?」と聞かれます。ドイツ語なら「Wie geht's?」とか。で、私が仲良くしているドイツ人やイギリス人、フランス人の友達ってすぐに自分の近況とか感じたことを話せるんです。会ってから、How are you?と聞いたら、「最近は調子良いよ〜。この前水上パーティーに行ってきてね、彼氏がど〜のこ〜のして、友達のDJがあんなことしてみんなで盛り上がって最終的に収集つかなくなってめっちゃ面白くって〜。あ、でね、2週間前にはね.....XXXXがXXXで〜」みたいにノンストップ。
一方、私は「How are you?」と聞かれたらすぐに答えられない。「Good good」って言って、でも最近本当にGoodかな〜?ん、Goodなことなんかあったっけ?あ、新しいプロジェクトが始まることになった!だからワクワク!あ、でもこれまた仕事の話じゃん....「私が何を感じたか」を話すんだったでしょー!私...!頑張れ!う〜ん...って考えてるうちに会話終了。
これで気づいたのは、私がいかに普段「自分がどう感じるか」を考えずに生きていて、そして「自分が何かを感じるための時間」を自分に取ってあげていないかでした。
別に仕事の話を一切しちゃダメだとか、そういうんじゃないんですよ。別に「新しい仕事でワクワクしてる!」を話してもいい。でも「ワクワクしてる」って、感じ方の話じゃない?って思ったそこのあなた。
私と仲を深めたいと思ってくれている人が聞きたかった「ものの感じ方」というのは、「ワクワクしてる」っていう「結果」の部分じゃなくて、どうしてそう感じるようになったかの、もっともっと深い「過程」の部分なんですよね。
「今度こんな人とコラボすることになってすごくワクワクしてるんだ。なぜかというと私は自分がすごく辛い時期にその人の本を読んでいてすごく励まされて。その本は「〇〇XX」というタイトルなんだけど、あなたも読んでほしい!内容はXXXX〇〇で、XXXX〇〇について解説していてアメリカのXXっていうすごく有名な作家も評価しているくらいの人で。すごい尊敬してるからそんな人とコラボできるようになってすごく嬉しい!」
例えばですけど、こうやって話すと、そこから「私が辛かった時期」の話にも繋がっていくし、どんどん私の内面に関する話が広がっていきます。誰かと関係性を深めていくための会話はこうして自分の情報を開示していくことなんだなって、今では分かるのですがその当時は全然分からなくて「Good」と答えるのが精一杯でした。
東京では、意識すればある程度「人と距離を取る」ということが簡単にできました。だから、深い関係を避けることもできた。けれど、ベルリンで友達と会う時は、基本家が多いです。相手の家に行ったり自分の家に招いて一緒にご飯を作ったり、ワインをゆっくり飲みながら深夜まで話し込んだり。夜間バスも24時間走っているからいつでも帰れるということもあって、何かのお誘いがあったら気軽に行きやすい。だから夜のクラブイベント等に誘われても、始発を待って朝5時までいなくちゃいけないという制限もなくいつでも帰れるという前提があるからひょこっと顔を出しやすい。そしてちょっと知り合ったら、すぐにそういうものに誘われるから「距離を取る」なんてできなくて。だから、人とちゃんと向き合うということがどういうことなのかをベルリンにいてすごく学ぶことができたんだと思います。
当たり前のことのように聞こえるかもしれないですが、誰かと関係を深く築いていくためにはこうして相手との時間をかけていくことが必要です。
それと同時に、自分のものの感じ方を知るためには、自分の身の周りに起こるあらゆる事柄と自分の関係性にとても敏感になって、ひとつひとつのことに自分がどう感じているのか立ち止まって、時間を取ってじっくり「感じる」必要があるんです。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、外に出て太陽が気持ち良いなと思ったら、しっかり「気持ちよくなる」こと。
窓の外の緑が美しいなと思ったら、しっかりその美しさを感じて「感動に浸る」こと。
上司、友達、店員、見知らぬ人、日常の中で誰かになにげなく言われた一言が自分の中で引っかかっているならどんなに小さなことでもその理由をしっかり考えること。「嫌だ」と思ったことをはっきり認識すること。そのとき、「考えすぎなんじゃないか」とか「これが常識なのかもしれない」という他人の声はここでは関係ない。
こうした自分と周りの世界の関係性の中で起きるあらゆる反応や感動の振れ幅が人と繋がるポイントになっていくから。
でもこうしたことを考えていくのって、どう考えても自分自身に「時間」が必要なんです。
だって忙しい日常の中でお金を稼ぐことばかりに気を取られていたら、こんな「悠長」なこと考えていられません。でも私はこの「悠長さ」にこそ本当の人間性が宿ると考えているし、それこそが人の「個性」だと思うんです。これに気がついたら、人種、年齢、職業、その人の地位とか関係なくすべての人を面白いと思えるし、人に興味を持てるようになりました。
そこから、本当に世界が変わりましたよ。
今までは「自分と似ている価値観」の人を探していて、そうじゃないと興味がなかなか持てなかった。なぜならそうじゃない人には自分のことを開示できる気がしなかったから。でも、人間関係って「私はこれよ!こう見て!」って吐き出して、「いいね〜」って認めてもらって気持ちよくなって...みたいな「はけ口」じゃなくて、「本を読む」ような感覚なんだなってドイツに来て気づいたんです。
「あ、あなたはこういう育ちで、こういうバックグラウンドがあるからこういう考え方をするのか〜。面白いな〜。」と。だから考え方が違っても繋がれる。お互いに、お互いの本を読み合って繋がっている感覚。だから純粋になんでも面白いと思える。認められる。
その面白さに気づいてからは、私はコミュニケーションモンスターになったかのごとく、人に話しかけるのが大好きになっていきました。自分と意見が違っても、むしろ面白い。どうしてそう考えるの!?って聞きたくなってさらに会話が盛り上がって、繋がれる。
そうなってくると、ただ道を歩いてるだけでも、スーパーで買い物してるだけでも面白くなってきたのです。どこでどう人と繋がれるか分からないし、毎日がアドベンチャー。この前は空港の荷物検査をしている人たちと仲良くなって連絡先交換したりとか(笑)あのベルトコンベアーで荷物流されている短い間にもそんなことがあるんだから、本当分からないものです。
私は長らく仕事のことばかり考えてきて、そして仕事でスランプに陥って、今まで持っていた目標を失って、ろくに人と関係性を築けていない自分自身にも気づいてしまって、自分がなにをしたいのか、どうすればいいのか分からない時期が2年以上続き、すごく苦しかった。気づいてからも、すぐに何かが変わったわけではなく、書ききれないくらいいろんなことがあって、ようやく今、上記で書いたようなことが分かるようになってきました。
だから実際は辛い思い出の方が圧倒的に脳内を占めているんですけど、でもこのコミュニケーションの面白さに気付けて、本当に良かったなって今では思うんです。今では人と関わり続けていられるだけで、本当に幸せだなって思えるから。
もし仕事が上手く行き続けて、目標も見失わずにいたら、私はきっと表面的な人間関係しかない人になっていた気がする。人生で起こること全てには意味があるし、私は意味を見つけて生きていく。そうした自分の人生の核となる大切なことに気づくことができて本当に良かった。
これからも、どんな人々に、そしてどんな自分の感覚に出会えるのかがとても楽しみです。
Photo by Hiro Hasuike