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ドイツ生まれの日本人だからこそ伝えられること 綿谷江利菜さん

ドイツで生まれ育った綿谷江利菜さん

ドイツ生まれの日本人だからこそ伝えられること 綿谷江利菜さん

この「ドイツで羽ばたく日本人」のコーナーでは、いつもはドイツで活動している日本人をご紹介していますが、今回登場するのはドイツで生まれ育った日本人で、現在日本に住む綿谷江利菜さんです。

日本人の両親の元に生まれ、ドイツのギムナジウムと大学を卒業した綿谷さんにとって、ドイツと日本はどのような存在なのでしょうか。

 

日本人学校からドイツのギムナジウムへ

綿谷さんは、ドイツで生まれた日本人。両親は日本人なので、ドイツで生まれても国籍は日本です。

小学校はデュッセルドルフの日本人学校へ。日本の教科書で学び、先生も日本の公立学校から来ており、授業は日本語で行われます。日本人が多く住むデュッセルドルフで日本人学校に通えば、ほとんど日本語だけで暮らせるそうです。綿谷さんも日本語に囲まれていました。

小学校卒業後は、母親の決断でドイツのギムナジウムに進学。ギムナジウムはドイツの進学コースで、大学進学を目指すエリート予備軍たちが通う学校です。

デュッセルドルフの日本人学校は中学3年生までしかなく、その後はドイツの学校に通うか、インターナショナルスクール、日本の学校の海外支部、あるいは日本に行って日本の高校に入学するしかありません。いろいろな条件を考えた結果、小学校を卒業した時点でドイツのギムナジウム入学を決めたのでした。

ドイツに生まれていれば、日本人学校に通っていてもドイツ語はペラペラだと思う人もいるかもしれません。しかし日本語環境で育っていた綿谷さんは、ドイツ語のヒアリングはできても、ネイティブのように話すのは難しかったと言います。

「日本語とドイツ語、どちらもできないと恥ずかしいと、勝手にプレッシャーを感じていました。うまく喋れないのが怖くて、口数が少なかったと思います」

ドイツ語に自信が持てない状態で難易度の高いギムナジウムの授業についていくために、猛勉強をしたそうです。今では日独バイリンガルですが、それはドイツに生まれたからではなく、ギムナジウム時代の努力によるものでした。

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就活がきっかけで自分を見つめる

猛勉強したギムナジウムを経て、ベルリン自由大学へ進学した綿谷さんは、周りが知らない人ばかりになったことで気持ちが解放されたそうです。成績もよく自信がついたところで、ドイツで就職活動を始めました。

しかしここで再び至難が訪れました。学部主席という優秀な成績で卒業したにもかかわらず、書類で落とされることが続いたのです。

 

「ずっと周りの期待に応えて頑張ってきたのに、何がいけないんだろう?」と、自問自答が続く日々。考え続けるうちに、これまでは勉強だけに精一杯で、自分が本当にやりたいことがなかったのだと気づきました。

 

妄想の日本から現実の日本へ

ドイツ生まれの綿谷さんにとって、日本は母国ではありますが、あくまでも自分の頭の中にある妄想的な存在だったといいます。

綿谷さんは、頭の中の日本と現実とのギャップを埋めたいとずっと願っていました。また、日本で挑戦したい、ふたり暮らしだった母親からも精神的に自立したい、とも考えていました。

それまでずっと日本で暮らしたかったことや、自立したい気持ちが重なって、ついに2014年春に拠点を日本に移しました。日本に住むことで、日独それぞれの良さも見えてきたそうです。

 

日本で気づいたドイツの特徴

最も大きく違うと感じたのが、ドイツでは自分の意見を持つための訓練を日々しているということ。ドイツの教育制度では、10〜12歳で自分の将来を決めなくてはなりません。そのためには、小さい頃から何かを決断するトレーニングを積んでいると気づいたそうです。

「ドイツでは、家族といえども一人ひとりは個人であるという考えです。個人の意見は尊重されます。学校は生徒に何かを強制はしません」

この点は日本とは対照的だと思います。日本は意見の主張よりも、周囲との協調を重んじるのではないでしょうか。こうした考え方の違いは、大人になってからの行動にも表れるもの。例えば買い物一つとっても、商品を選ぶ際に企業姿勢を基準に考える人は珍しくありません。

「友人で『この企業のポリシーに賛同しないので、ここの製品は選びたくない』と言う人はよくいます。買い物も一つの決断なんですよね」

日本にいて、他人と意見が違うことが気になったとしても、ドイツならその心配は必要ありません。「人と違うことに対する恐怖心はなくなります」と綿谷さんは言います。

そのほかの違いとして感じるのが、生活のあり方。ドイツでは時間の流れがゆったりしていて、目的を持たずに人と会う時間があるといいます。

人が少なく、緑が多い点も、ゆったりとした暮らしに影響しているでしょう。公園の芝生の上に座っておしゃべりをしたり、電車に自転車を載せて遠出できたりするので、お金をかけなくても楽しめることが多いのです。私もベルリンで暮らしてそう思います。

一方で、今の東京での暮らしは可能性に満ちているとか。

「いろいろな人がいるから、自分を受け入れてくれる人もいます」と、新たな一歩を踏み出したところです。

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自分と向き合い、やりたいことが明確に

「日本に来て自分と向き合えました」と話す綿谷さん。喋ることを仕事にしたいと思うようになり、東京でラジオのDJ養成セミナーに通っています。

そのほか、ドイツで行っていた翻訳・通訳の仕事も続行中。バイリンガルの能力を活かして、日独カップルの結婚式の司会やナレーション、モデルの仕事なども行い、活動領域を広げています。

自分の国籍と住んでいる国が違うという、アイデンティティに悩みがちな「サードカルチャーキッズ」だった自分自身の経験を活かして、同じ立場に立つ子どもたちにとってのロールモデルにもなりたいそうです。

「周囲からの期待に応えなくてもいい。生まれた環境を活かすかどうかは、自分で決めていいんだと伝えたいです」と話す綿谷さんの言葉には、経験者ならではの熱がこもっていました。

いつまで日本にいるかは決めていないそうですが、日本での活動はまだまだ続きそうです。

綿谷さんのようなサードカルチャーキッズは、今後ますます増えていくでしょう。日本で生まれ育った日本人でも、これからは多面的な視点が求められていく時代だと思います。綿谷さんの経験を知ることは、これまでとは違う新たな視点を私たちにもたらしてくれるのではないでしょうか。

綿谷江利菜さんHP:http://erinawataya.com/

 

 

久保田 由希

東京都出身。小学6年生のとき、父親の仕事の関係で1年間だけルール地方のボーフムに滞在。ドイツ語がまったくできないにもかかわらず現地の学校に通い、カルチャーショックを受け帰国。大学卒業後、出版社で編集の仕事をしたのち、フリーライターとなる。ただ単に住んでみたいと、2002年にベルリンへ渡り、そのまま在住。書籍や雑誌を通じて、日本にベルリン・ドイツの魅力を伝えている。『ベルリンの大人の部屋』(辰巳出版)、『歩いてまわる小さなベルリン』『心がラクになる ドイツのシンプル家事』(大和書房)、『かわいいドイツに、会いに行く』(清流出版)、『きらめくドイツ クリスマスマーケットの旅』(マイナビ出版)ほか著書多数。新刊『ドイツ人が教えてくれたストレスを溜めない生き方』(産業編集センター)。散歩、写真、ビールが大好き。

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久保田 由希