音楽祭のこと&最後のこと
こんにちは、T.Yです。日本はやはり湿気が多くてじめじめしていますね。ドイツのカラッとした気候が少し懐かしかったりして。
今回は、今の今まで引っ張ってきたバイロイト音楽祭について、そして私がドイツを離れ日本に帰るまでについて書いていこうと思います!
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皆さん、「バイロイト音楽祭」はご存知でしょうか?誰も一度はその名前を聞いたことがあると思います。
バイロイト音楽祭とは、ドイツオペラの巨匠・リヒャルト・ワーグナーによって創設された音楽祭です。当時ワーグナーは、自分の歌劇だけを上演することを望み、それを実現するための劇場用の土地を探していました。そこで白羽の矢が立ったのが、バイロイトだったのです。後にワーグナーの歌劇に心酔し、破滅の道をたどることとなったバイエルン王・ルートヴィヒ二世の紹介でバイロイトの地を踏んだワーグナーは、もとよりその地にあったオペラ辺境伯劇場には満足せず、己の手で理想の歌劇場を作ることを決意。そうして建てられたのが、今なおバイロイト音楽祭の舞台となっている最初の写真の建物、バイロイト祝祭劇場なのです。
ワーグナーは、世界でよく知られている有名な音楽家です。熱狂的なファンには「ワグネリアン」という固有名詞がつくほどですし、歴史的には前述したルートヴィヒ二世やあのアドルフ・ヒトラーも彼の歌劇を好んで聞いていたそうです。そのため、ワーグナー自らが作り出した伝統を守り続けながら、彼の歌劇のみを上演するバイロイト音楽祭は、ワグネリアンたちにとってはまさに「聖地」であり、多くのワーグナーオペラ愛好家が現地に行って観劇することを熱望しているそうです。現首相アンゲラ・メルケル氏もワーグナー作品のファンで、毎年バイロイトを訪れているといいます。(今年も初日にいらっしゃっていたようですが、私は行く日にちが違っていたので、メルケル氏には会えていません)
https://jp.reuters.com/article/bayreuth-wagner-opera-festival-idJPKBN1AB064
ひと昔前はチケットをとるのがとても難しく(バイロイトに手紙を送って予約しなければならない)、噂では十年待たないと手に入れられないという話を聞いていたので、現地で見ることはかなわないかと諦めていたのですが、近ごろ公式ホームページからも購入できるようになり、音楽祭に行けるチャンスが一気に広がりました。勿論、チケットの争奪戦は壮絶らしいですが。私の場合、バイロイト在住の日本人研究者の方と学生の方がその争奪戦に参加し、私含めた留学生の分のチケットもとって下さいました。本当に、感謝してもしきれません。ありがとうございました。
私の席は三階のバルコニーで、恐らく二番目か三番目くらいに安いところでした。お値段は、前のブログにも書きましたが、大体50ユーロでした。
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さて、来る七月二十六日水曜日。私は、チケットをとって下さった研究者の方と日本人留学生の友人二人と共に、「トリスタンとイゾルデ」(全三章)を観劇しました!
しかし、ここで問題が一つありました。
「トリスタン」(略)が始まるのは、十六時。遅くとも十五時半には着いていないといけません。バイロイト音楽祭は上演が始まると劇場内には入れなくなるので、間に合わなければ一章まるまる見逃すことになってしまいます。けれど、私と友人の一人(以下友さん)は、その日同じドイツ語の授業のテストを十四時十五分から控えていました。しかも大学から祝祭劇場までは結構遠く、バスを使っても到着に三十分以上はかかるのです。(大学は一番下、緑と赤が多いところ、歌劇場は黒丸がついているところ)
http://pds.exblog.jp/pds/1/201508/25/60/c0064260_17030585.jpg
つまり逆算すると、約四十五分でテストを解き終えて移動しなければならないという事です!なんというムリゲ―。
すると困っていた私達を見かねたドイツ語の先生が、前日に「タクシーを指定時間に予約したらどう?」と知恵を与えてくれました。早速予約しようとしましたが、もう音楽祭が始まっているせいか、全く私達の望む指定時間に予約できるタクシーはなく。結局、ドイツ語を流ちょうに話せる日本人学生の方にお願いして、当日に電話で予約して頂きました。ありがとうございました。
テストの時は、バイロイト音楽祭の正装用の黒ワンピースに着替えて受けました。大学内でフォーマルな格好をしていたのは私と友さんだけだったので、結構恥ずかしかったです。(友さんに至っては、知らない男子学生から「音楽祭行くの?」と声をかけられたそうです)
タクシーを予約できたおかげで一時間までテスト時間が延びた私達は、なんとか時間内にテストを終え、荷物をロッカーに預け、大急ぎで指定したメンザ前へ。タクシーに乗って、いざ祝祭劇場へ向かいます。
タクシー料金のお釣りをぼったくられたものの、何とか無事時間内に到着。一緒に観劇する他の二人とも合流できました。
この日はあいにくの雨。しかし、色とりどりの美しいドレスで着飾った女性たちやきっちりしたタキシードに身を包んだ男性たち、多くのきらびやかな人々が劇場に集まっていました。色々なドレスのデザインを見るのも、私の楽しみの一つでした。あまりの場違い感に、終始圧倒されていましたが(笑)
劇場が開いた途端、雨から逃れようとたくさんの人が殺到。
キャストとスタッフ、上演時間表。
劇のパンフレットを買ったり、コートや傘を預けていたら、いつの間にか上演五分前。皆急いで、自分たちの席がある左側のバルコニーまで駆け上がります。
そうして何とか、たどり着いたバルコニー席。私達はもうすでに着席していた人々に立ってもらって、謝りながら席を探します。
しかし……いくら見ても、私と友さんの席だけがない。訳が分からずに右往左往する私たちをよそに、なんと劇場はどんどん暗くなり、第一章が始まってしまいました。
中にいたスタッフの方に誘導されチケットを確認したところ、原因判明。
右と左間違えてた\(^o^)/
はい、そうです。私達の席は『左側』ではなく、『右側』のバルコニーにあったのです。なのに、私達はそれが左にあると勘違いしたままそちらに行ってしまい、このような事態になってしまったのです。
そりゃあ席ないの当たり前ですよね、そもそもいる場所が間違ってるんですから!/(^o^)\ナンテコッタイ
スタッフの方に「とりあえず、どこか空いている席を探して座ってください」と言われたのですが、そもそもすでにバルコニーはほぼ満杯の状態で、劇を楽しんでいる人達の前を遮って、あるかわからない席をうろうろ探し回るのはさすがに失礼だろう、と考えた私達は、それを断念。立ったまま観劇するのは禁止されているので、私達は結局バルコニーから出るしかありませんでした。
…………。
結局、第一章見損ねた!!!Σ( ̄ロ ̄lll)
せっかくテストを早く切り上げて、タクシーまで使って、何とか上演までに間に合わせたというのに、結果がこのざま。もはや喜劇です。演目は悲劇ですが。
私と友さんはスタッフの方に連れられ、併設されていたレストラン(高級)の一角に設置されていたモニタールームに通されました。そのまま、第一章、約一時間半の演劇を、私達はテレビで見ていました。何が悲しくてこんなところでお目当てのオペラを見ているのかとも思いましたが、劇場内でない分、リアルタイムで友さんと感想を言い合ったり、写真を撮ったりすることが出来ました。写真は、普通なら撮影禁止なので、ここには載せません。
http://cdfront.tower.jp/~/media/Images/Tol/pc/article/feature_item/Classical/2016/06/23_1104_01.jpg
「トリスタンとイゾルデ」は、もとは中世の宮廷詩人たちが伝えた物語で、 コーンウォール(現イギリスの南西部)の騎士・トリスタンとその主君の妃となったアイルランド王女・イゾルデの悲恋を描いています。
ワーグナーがオペラに仕立てたこの「トリスタン」のプログラムは、先ほども書いたように全三幕、幕間には約一時間の休憩が挟んであります。
ポスターを見て分かるように、服も舞台も現代風(下手したら近未来風)に演出されています。詳しくは書けませんが、内容も現代風にしたのか大幅な変更があったりしました。せっかくWikipedia先生で原作の物語の流れを予習してきた私にしては、ドイツ語も分からないのに話の流れまで読めないのはなかなか悲しいものではありましたが。
それでも、やはりさすがはバイロイト祝祭劇場、オーケストラの音の響きは最高でした!私の席は安い方ではあるものの、劇場の構造上音が反響して、一番音の響きがいいとされる席だったそうで、オーケストラについてはほとんど知識のない私でも鳥肌がたつかと思うほど美しい旋律でした。
休憩時間が終わる前に少し早く劇場に入ると、中に戻っているお客さんが少なくて、心置きなく劇場内の撮影が出来ました。ぶれてますけど。
座席です。ワーグナーは、自分のオペラの上演中に観客が眠ってしまわないように、座り心地の悪い、固い木の椅子にしたと言われています。現在は、受付でクッションを借りることが出来ますのでご安心を。その時には、チップとして一ユーロほど払うのが暗黙のルールです。
カーテンコールです。この時だけは撮影オッケーで、上から下からフラッシュの光が飛び交っていました。舞台からは遠い席なので、ズームにしたらボケました。
こうして、めくるめくワーグナーの世界は夜十時半に終演を迎え、私達は劇場を後にしました。第一章を中で見られなかったのは残念ですが、テレビの生中継で見るというなかなかない体験もできたので、私的にはとても満足でした。楽しかったです。貴重でいい体験でした。
帰り際に、同年代の友人二人とケバブを食べました。ドイツに来てから、大学生らしいことたくさんしました。ちょっと遅すぎる大学生生活エンジョイ。
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そんなこんなでドイツ留学の最後の思い出も無事に出来、何も思い残すこともなくなった私は、三日後の二十九日、ミュンヘン発の飛行機でドイツを発ちました。そして三十日に、日本に帰国しました。
ドイツでの最後の晩餐。
最後の朝食。
ミュンヘンから、乗り継ぎ地のヘルシンキまで。約三時間半の空の旅。
ヘルシンキ空港内。ここで入国審査を受けたのですが、学業を終えた証書など「ドイツで勉強していた証明書」を出せと言われました。そんな質問を全く考慮していなかった自分は、大学関連の資料は全部預けたスーツケースの方に入れてしまっていて、危うく搭乗の許可が下りなくなる事態に陥りかけました。私の必死の(ある意味悲惨な)訴えと学生証、そして審査員の方のご厚意で何とか飛行機には乗れましたが、最後の最後で肝を冷やしました。皆さんは、このような失態は犯さないように、帰国の下調べはきっちりしていく事をお勧めします。
日本への帰国便。
機内食!さすが日本の飛行機、美味しい。
日本に帰るまでの約九時間、映画四本をぶっ通しで見続けて貫徹したのは、ここだけの話です(笑)だって面白かったんだもの…w
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さて、これにて私のドイツ・バイロイトの留学記は完結となります。
最初は、一人暮らしから滞在するための手続きなど生涯で一度もしたことのなかった体験に戸惑ってはその対処に追われ、心身ともに余裕のない日々でしたが、ドイツでの生活の感覚をつかみ始めてからは、とても楽しかったです。良い仲間や優しい先生方・街の方に何度も救われながら、ここまで無事走り抜けられました。語学力の向上や異文化体験といった留学お決まりの利点も勿論感じましたが、それ以上に私は人同士の繋がりの温かさを再認識しました。日本に戻ったら、今まで以上に人間関係を大事にしてみたいと心の底から思いました。人と出会い、関わり、繋がりを深め、広げる。そうして新たに開かれる己の知らない世界をこの目で見てみたい。今のところ、これが私の野望です。
私の心の中にあった願望に気づかせてくれたバイロイトに感謝を。バイロイトでこんな私と親交を深めてくれた仲間たちに感謝を。留学中ずっと遠くから私を支え続けてくれた家族に感謝を。
そして、この留学記を読んで下さった皆様に感謝を。
このブログを読んで、少しでもドイツ留学に興味を持っていただけたなら幸いです。
それでは、これにて。もうお目にかかることはないかもしれませんが、未来のドイツ留学生が楽しく幸せな留学生活を送れることを祈っています。
T.Y 16.08.2017 21:50