ドイツ情報満載 - YOUNG GERMANY by ドイツ大使館

九州 第一部

© Hans Carl von Werthern

九州 第一部

九州の旅は、まずは友人宅を訪ねることから始まりました。最初の二日間、私たちは彼らの住む福岡近郊で過ごしました。日本人の自宅に、しかも宿泊を兼ねて招待されるというのは、それだけでも特別なことです。ですが今回は、更に格別なことに、いわゆる普通の日本の住居にお邪魔したのではなく、多くの部屋や長い廊下、木の床、日本特有の戸や窓をしつらえた、築100年ほどの伝統的な木造日本家屋に滞在することになったのです。2月ですので、家の中は凍てつく寒さだったということでもあります。私たちが寝泊りしていた――暖房の効いた――客室から、――同じく暖房の効いた――この一家の居間へ行き着くまでの間、風邪を引いてしまわないように上着とマフラーをして行くほどでした。家主の書斎には掘りコタツがありましたが、ここで暖を取るのも乙なものでした。掘りコタツとは、床に炉を設けた上に、大きく厚みのある布団をかけたテーブルを置き、その布団の中に足と体のできるだけ大部分を奥まで入れるものです。そこでお茶を一杯飲んだり、新聞や本を読んだり、あるいはノートパソコンを眺め、またはみんなで歓談したりすれば、もう最高です。

© Hans Carl von Werthern

© Hans Carl von Werthern



同時にこの際、私が日本に来てから抱いており、それを言葉にしても日本人の皆様はおそらく礼儀正しさのあまり、誰も反論しなかった印象が一つ変わりました。つまり、これまで私は、日本人とヨーロッパの人々は、温度に対する体感がいわば相反するのではないかと思っていました。日本人は、私たちにとっては耐え難い熱さの温泉に、眉一つ動かさずにつかっていますが、他方で、私たちには丁度良く涼しい時に、ずいぶん厚着をします。今回、こうした印象が違っていることが分かりました。日本では、本当に寒い家や、お寺や神社等にも、もちろん靴を脱いであがりますが、冬の場合は一瞬にして足が冷えます。そのような時には、上半身を暖かく着込んでいれば良いので、寒さに弱いと言うことでは全くないのです。しかも、熱い温泉から出た後は、寒くても長い間平気なのです。

そしてもう一点:私たちドイツ人は、日本の家の断熱性が非常に低いために、恐らく多くのエネルギーを浪費していることに首を傾げます。ですが、日本では、一日中部屋を暖房しておくわけではなく、その都度暖房の効いた部屋へ行くか、適宜厚着をするので、実際に外へ漏れる熱はさほど多くないのです。これを考えると、便座ヒーターの持つ意味にも改めて納得できます。

家主の先祖は、実業家として成功しました。受け継いだ家を元の姿で保存し続けただけでなく、私たちにもその伝統的な生活を経験させてくれたことは本当にすばらしく、とても嬉しく思いました。また、夕食や朝食時には、日本の伝統や生活様式、政治についても多くを学ぶことができ、お蔭でこのすばらしい国にも、これまでよりも一層馴染むことができました。

友人達は私たちのために本当に多くの時間を取ってくれ、彼らがいなくては到底見ることのできなかったようなものも沢山見せてくれました。特に家族経営の小さなレストランでは、お料理の美味しさに感激するだけでなく、女将さんの心温まるおもてなしにも感銘を受けました。

© Hans Carl von Werthern

© Hans Carl von Werthern



観光地として最初に向かったのは、太宰府天満宮でした。そこは、全国各地に何千とある、千年以上も前の漢詩人及び学者であり、現在では学問の神としてあがめられている菅原道真をまつる神社です。

道真は漢詩だけでなく、和歌も書きましたが、中でも特に有名なものは、京都の梅の木を詠ったものであり、藤原一族との争いから京都を去るよう命じられ、愛する梅の木を二度と見ることができなくなるのではないかという思いにかられた際に書いたといわれています。伝説によると、梅の木はその和歌にあまりにも感動し、道真を追って太宰府まで飛んでいったために、今では「飛梅」と呼ばれるようになったということです。こうしたことにより、また、道真が太宰府に葬られているために、太宰府天満宮は京都にならび、日本各地の天満宮の中で最も重要なものとなっています。全国の梅の中で、飛梅が一番早く花を咲かせるといわれていますが、私たちが訪れた時も、まだ2月初頭だったにもかかわらず、すでにほぼ満開でした。

また、小石原訪問もすばらしかったです。ここでは、16世紀に朝鮮から伝来し、以来伝統的な窯で陶器が作られています。イギリス南西部にある、私たちが愛好するマチェルニーのリーチ・ポタリーの創設者であるバーナード・リーチも、20世紀初頭に数年間を日本で過ごしましたが、数々の旅の中で、もちろん幾度となくこの地にもやってきました。その際、日本の陶芸家に影響を受けたにとどまらず、逆に数々の日本人陶芸家の育成にも携わったのです。

© Hans Carl von Werthern

© Hans Carl von Werthern



また、友人には131415代目が揃って運営する陶芸家一族の高取八仙窯も案内してもらいました。祖父・父・息子の3世代がともに揃ってお茶と和菓子で出迎えてくださり、私たちそれぞれにお皿と器の絵付けもさせていただきました。十三代高取八仙―すなわち御祖父様―の茶碗は、クリスティーズのオークションにおいて10002000ドルの値打ちで販売されたことを後になって知りました。このようなことを知らずとも、高取焼きの形、色合いそして何よりも陶器自体や釉薬の繊細さに感銘を受け、当初予定していたよりも、しかも持ち帰りにできるよりも多くの陶器を買ってしまいました。帰宅すると、購入したその品物は見事に梱包され無地に輸送された状態ですでに私たちを待っており、今では私たちを毎日楽しませてくれています。

今度は、私たちが芸術の製作を試みた陶器が焼きあがった後に送られてくるのを楽しみに待っているところです。

© Hans Carl von Werthern

© Hans Carl von Werthern

Hans Carl von Werthern

1953年8月4日 ドイツ・ビューデスハイム生まれ。既婚、娘3人。 1984年にドイツ外務省に入省。 以来「日本におけるドイツ年2005/2006」外務省準備室長をはじめ、外務省東アジア課長、在中国大使館公使、外務省中央局(第一局)長などを歴任。 2014年3月から、駐日ドイツ連邦共和国大使として東京に赴任。

Hans Carl von Werthern