年末年始の事
こんばんは。初めて海外で年越しをしたことに驚きを隠せないでいるT.Yです。皆さま年末年始をいかがお過ごしでしょうか。世間的にもお休みでしょうから、皆さんゆっくりしているのでしょうね。
こちらドイツでも年を越え、2017年を迎えました。ドイツ語で年末はdas Jahresende、年始はder Jahresfangと言います。まんまですね!しかし、年末年始関連のドイツ語単語で一番使われるものといえば、やはり大晦日der Silvesterでしょう。ドイツ人は大晦日と年越しの瞬間に全力を注ぐと言われています。クリスマスは家族だけで静かに過ごし、大晦日は友達も呼んでにぎやかに過ごす、というパターン分けもあるらしいですね。バイロイトでも、どこかのパブで大晦日のパーティーが催されていたようです。
さて、私はドイツの大晦日に何をしていたのかというと、
実はバイロイトにいませんでした!
では、どこにいたのか?
ベルリンです!
……\(^o^)/(トップ画のくまさんのポーズ)
「ああ、T.Yは馬鹿なのか」と言っている読者の方々の反応が目に見えますね。そうですね。ベルリンは、今とても危険な都市になっています。皆さまの記憶にも新しいと思いますが、先月の終わりごろにベルリンでクリスマスマーケットに大型トラックがつっこむというテロがありました。まだその恐怖が薄れていない中その現場にわざわざ飛び込もうなど、命知らずと言われても仕方ないほど危険な行為だと思います。
けれど、もともとベルリン行はテロが起こる前から決めていたことで、しかもこれは私の上智での仲良しグループ八人が一挙に集まる最初で最後の貴重な機会でした。その話を聞いた後はその旅行にかなりの不安と恐怖がありましたが、有名なベルリンの年越しを目の当たりにしたい、そして皆で一緒に異国の年越しを体験したいという思いが強く、思い切って行ってみることにしました。
ベルリンに着いたのは、12月30日の午後です。
東ドイツの名物、アンペルマンくんもお出迎えしてくれました。
ベルリンの中央駅へ向かう電車の中です。日本の鉄道に似ていたのでちょっと感動しました。
中央駅です。やはりの首都です、大きくてかっこいいです。クリスマスの飾りがまだ残ってますね。
アンペルマンショップです!その名の通り、アンペルマンのグッズがたくさんありました。この店は中央駅だけでなく、街の中にも数店あるらしいですよ。現に私もこのほかにもう一店見ました。
この日は全員で集まり、駅構内のイタリア料理屋さんで談笑してました。
夜に少し周りを散策してきました。
連邦議会議事堂です。メルケル首相もここにいるのでしょうか。
ブランデンブルク門の近くまで行ってみたところ、厳重な警備体制が敷かれていて通行禁止になっていました! テレビ局の車も止まったりしていて、明日の年越しイベントの用意が着々と進んでいるようでした。
通り抜けることは残念ながらできませんでしたが、正面からの撮影には成功しました。
教科書で見たまま!すごい!
写真からも分かるように、前方はイベントのための設備や車で埋め尽くされていました。
ライトが時間ごとに様々な色に変化して綺麗でした!
ちなみに、私がこの写真を撮った場所の近くに数多くのキャンドルと花が置いてありました。恐らく、この前のテロの犠牲者への追悼の意を表しているのでしょう。不謹慎なので写真は撮りませんでしたが、犠牲者の方々の冥福をお祈りしておきました。
さて、日にちも変わり、12月31日の午前午後は、ベルリンを離れてポツダムに行きました!
ポツダムと言えば、これですね!サンスーシ宮殿!!
ドイツの基となったとされるプロイセン王国で一番有名な王、フリードリヒ二世(大王)の居城です。「サンスーシ」とは、フランス語で「憂いなし」という意味です。彼は当時のフランスの哲学に精通し、宮殿でもドイツ語よりフランス語を使っていたという話ですから、名前もフランス語になるのは当然ですね。
私はフリードリヒ二世のころのヨーロッパ史が大好きなので、テンションがひどいことになっていました(笑)それにこの話は以前したと思いますが、留学先のバイロイトで一番有名な辺境伯夫妻の奥さんがそのフリードリヒ二世のお姉さんですから、大王は私にとっても関りの深い人物なのです!(何様(笑))
中も入りたかったのですが、開いていませんでした…orz ショックです。悲しすぎです。
新宮殿です。
次に、ツェツィーリエンホーフ宮殿に向かいました。最後のドイツ皇太子、ヴィルヘルム二世と家族のために1917年に建てられた宮殿です。
ここは終戦前、かの有名なポツダム会談が行われた場所として有名です。アメリカ、イギリス、ソ連の三か国が話し合いをした会議場も、三か国の元首が待機していた部屋もそのまま残っています。
会議場です。分かりにくいと思いますが、一番大きな三つの椅子が元首の席で、国旗の指し示す方向にその国の元首が座っていたそうです。
さて、夜になり、いよいよ年越しの瞬間を見にいきます。
十時頃、ブランデンブルク門に行こうとしましたが、警察官がすでにそこまで向かう道をすべて封鎖していました。聞いてみると、「夜の七時で、ブランデンブルク門周辺は満杯になった」との事。まだ年越しまで五時間もあるのに…ドイツ人の本気恐ろしや。
そこで行先を変更し、門に一番近いポツダム広場に行くことにしました。
皆考えることは一緒のようで、ポツダム広場に向かう電車には多くの人が乗っていました。
ポツダム広場に着くと、もう…すごかった。ボキャ貧ですが、すごかったんです。
そこかしこで花火がパンパンボンボンあがっているんです。道路の上で、一般の人が好きなだけ打ち上げているんです。しかも、その花火は日本のとは全く違って、音が大きいし、飛距離もそこまでありません。おまけになぜか斜めに飛んでいくものまであって、もう…もう(笑)
言ってしまうと、危ない!危ないの一言です!花火と人の距離が近すぎ!情緒もひったくれもない!ただあげりゃいいってもんじゃないんだろ、花火は!…と、日本の花火大会を知っている私は心の中で叫んでいました。日本の花火は最高ですよ、やはり。帰ったら、花火見ます。
そんなこんなで、場所を確保し、二十分ほど前から待機し始めました。一体どんな年越しなのだろう、カウントダウンはドイツ語かな英語かな、どれで叫ぼうかな…そんなことを考えながら、年越しの時を待ちます。
そしてついに十秒前!緊張はマックス!カウントダウンは…始まらない!あれ!?どういうことだ!後五秒?え、カウントダウンは!?何かざわめきが大きくなってきて
パ――――――――――ン!!!!!
「フ―――――――ッ!!!!!(←年越しを喜ぶ周囲の人の歓喜の声)」
えーーーーー!?カウントダウンはーーーーー!?
も、もういいや!Gutes neues Jahr-----!!!
こんな感じで年越ししました(笑) いやはや、何ともしまりがありませんでした(笑)(笑)
ちなみに、テレビ中継ではきちんとカウントダウンしてたらしいです。ホテルに残っていた友人が言っていました。
この花火は、二分ほど打ちあがり続けていました。
こうして、何事も無く無事に年越しを迎え、私達はホテルへ帰ることにしたのですが…はっきり言って、この時が一番スリリングでした。
行きの時以上に花火が打ちあがっていて、それがビルに当たってすごい音を立てていて、人混みもさらにひどくなっていて、阿鼻叫喚でした。爆音の中、皆ではぐれないように手をつなぎ、急いで地下鉄駅まで向かいました。気分は、さながらハリウッドのアクション映画で逃げ出すモブでした。歩いているすぐそばで花火打ち上げられ始めた時には、もう死ぬかと思いました!(笑) 刺激的で面白かったですけどね!
友達と一緒に、異国の年越しを体験することが出来て、とても嬉しかったし最高の思い出になりました。きっとこの体験は一生忘れません。次の日もベルリン観光をするのに、就寝時間が三時になったことも全く後悔していません(笑)
そして、年が変わった1月1日。ベルリン観光です。
年越し後の朝は、とても静かで、そして花火やごみなど騒ぎの残骸があちらこちらで見受けられました。いや、全部片付けてから帰ろうよ、皆さん…。ビンを道路で割ってそのままって危険でしょう…。
皆と中央駅で待ち合わせ、向かうはイーストサイドギャラリー。ベルリンの壁がアート作品になって生まれ変わった有名な観光スポットです。
全長1.3キロメートル。様々な芸術家の平和への願いが込められた作品が並んでいました。
何故か、日本の絵がありました。描いていたのは外国人のようでしたが。
有名なキスの絵もありましたよ!写真撮影する人だかりがここだけ全然違いました。
戻って、市内観光です。
マリエン教会。森鴎外の「舞姫」にて、主人公とヒロインが初めて出会う場所とされています。中が見たかったのに、開いていませんでした…(2回目)
テレビ塔と教会。
ベルリン大聖堂です。
この観光の後、数人とお別れし、残ったメンバーで名所を巡りました。
チェックポイント・チャーリー。壁があったころ、アメリカとソ連の関門所だった場所です。ここで両国の軍服を着た人と写真をとることが出来ます。
ソニーセンター。ネオンが日本を彷彿とさせます。
これにて、ベルリン年末年始旅行は終了。昨日、バイロイトに戻ってきました。
今回の旅は、いままでの旅行の中でも一番素晴らしく心に残るものだったと思います。友達と過ごせることの大切さ、ちょっと踏み込んでみる勇気と度胸、自国との違いを知る興奮、色々と感じるものがありました。
私がそんな楽しい年末を過ごしていた一方で、トルコの方では銃乱射のテロ事件が起こったそうですね。ベルリンで起こらなくて本当に良かったと思ってしまうところもありますが、別の場所とはいえ同じ時間帯に命を落とした人は確実にいたわけなんですよね。やはり他人事と思ってはいけないでしょう。トルコの犠牲者の方々のご冥福をお祈りしたいと思います。
それでは、今回はここで締めます。久々に書いたせいで、こんなに長文になってしまいすみません。ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
改めまして、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
T.Y 02017.01.02 21:42