「嫌い」という気持ちとの付き合い方
日本とドイツを比べると、様々な分野で色んな「違い」があるのだけれど、
やっぱり私は人間関係的な部分だとか、人の「気持ち」に注目することが多いかな。
長年、日本人とドイツ人の両方と仕事やプライベートで付き合っていて、
感じることが一つ。
それは、ドイツ人と日本人とでは「嫌い」という感情との付き合い方がかなり違う、ということ。
日本人の場合は「嫌い」という感情を持っても、あまりそれを周りに見せない。
ましてや口に出して「あの人、嫌い」なんてやってしまうのは一般的には大人気ないことだとされている。
特に仕事の場においては、その傾向が強く、たとえ仕事仲間や仕事相手に嫌いな人がいたとしても、そこは自分の「気持ち」には蓋をして(または蓋をする努力をして)仕事を優先し、人間関係を上手くやっていこう、と考える人が多いように思う。
そもそも日本の場合、子供の教育からして学校で「みんなと仲良くしましょう」という教育が行われることが多いし、「誰かを嫌う」という感情を持つこと自体が、「あまりよろしくないこと」だとされている雰囲気がある。
で、この雰囲気、私は嫌いじゃないのだ。
というのは、いくら白黒ハッキリが良い!(←ドイツは基本、「白黒ハッキリ」が多い)といったところで、相手は人間なので、ネガティブな感情をぶつけても何もいいことはないと思うからだ。
で、ドイツ人。
(人にもよる、というのは、もちろんあるのだけれど)一般的に「嫌い」という感情を見せる人の多いこと、多いこと!
ドイツ人の中には「嫌い」という感情が丸見えの人がけっこういたりする。「誰々さんが嫌い」という感情を隠そうとせず、相手や周囲に伝わる形で発信してしまう人は日本人よりもドイツ人に多い気が。
ちょっと残念だな、と思うのが、「嫌い」の理由が「自分とは趣味が違うから」という理由であることが少なくないこと。
例を挙げると、「あんな色の服を着るなんて信じられない。センスが悪い。」という理由で「自分とは違う」と早合点し、「あの人は私と違うから嫌」というスタンスを周りに見せちゃう人、意外と多いんだよなあ。
ちなみに、お洋服に関しては、ドイツで「センスが良い」とされている服は黒やブルー、グレーや茶色等の服がメインであり、柄物や女の子らしいデザインの服(ヒラヒラや模様)を着ていると、即、「何あの人センスが悪い」、「移民の人のセンスみたい」(←本当にこういう事を言う人がいる)と言ってしまうドイツ人もいたりして、微妙な気持ちにさせられる。
日本のbeziehungsorientierte Kultur(人間関係を重視する文化)とは違い、一般的にドイツはsachorientierte Kultur (事実関係を重視する文化)であると言われているが、時に、仕事という本来は感情の上でニュートラルさが求められる場でさえも、「嫌い」の感情が先行してしまう人もいる。自分の服のセンスへの自信からか、仕事仲間について「なにあの人センス悪い。。嫌い。」とやってしまう人もいたり。そうなってくると、果たしてドイツって本当にsachorientierte Kultur(事実関係を重視する文化)なのか??と疑問に思うこともしばしば。
ドイツにありがちな「誰かを嫌うこと」を堂々とやってしまうのって、あまりsachorientiert(事実関係を重視する文化)だと私には思えないんですよね。モロ感情丸出しじゃん!みたいな。
人によっては“Den mag ich nicht.“(「誰々さんのことは俺は(私は)嫌いだよ」)とか言ってしまう人もいたりして。なにも「誰々さんが嫌い」だということをそんなに偉そうに言うこともないのに…と思う次第。
それにしてもドイツではsich damit brüsten jemanden nicht zu mögen つまり「誰かを嫌う」ということを堂々とやっている人が日本よりも多い印象。(もちろんドイツ人といっても、色々な人がいるので一概に言えないところはあるのだけれど、そういう傾向はあるかと。)
ぶっちゃけ、「あの人は嫌い」と言った側の人間が(人間関係において)「優位に立てる」と思われているフシもあって、「嫌い」と言ったもの勝ちみたいな風潮が(ドイツの一部に)あるような気がしますが、これは私の気のせいでしょうか。
一般的にドイツ人は理性的だというイメージが日本ではあるようですけど、上に書いてあるようなことを考慮すると果たしてそうなのかな、と思うことも。
それにしても、先ほど上に書いたような「服のセンス」で相手を判断して、「合う!合わない!」「好き!嫌い!」とやっちゃうのって、微妙だなと改めて思う次第。難民が大量に押し寄せているドイツにおいて、この手の好き嫌いの激しさをナントカしないと、長期的に自分達とは違う文化圏の人を「心から受け入れる」って難しいんじゃないかなあ・・・・なんて偉そうなことを思ってみたりしたのでした。
話を「ドイツと日本」に戻すと。日本とドイツの根本的な違いに、日本では「『人や物を嫌う』という感情をおおっぴらに出すのは人間的に未熟」だとされているところがあるのに対し、ドイツには「好き嫌いがあるのはあたりまえ。それを見せるのも当たり前」とされている雰囲気があるのは確か。もっと言ってしまうと、「好き嫌いを見せるのは普通。俺(私)の好き嫌いに耐えられないのなら、それは相手の弱さであり、俺(私)には関係ない」というハードな感覚の人にもドイツでは遭遇することがよくある。
日本滞在歴がもうすぐ20年になろうとしている私としては、日本の感覚に慣れているのもあって、なかなか難しいところ。
私が日本に長いからそう思うのかもしれないけど、仕事で一緒に何かを進めていかなければいけない相手に対して、「その人のことを、自分は好きか・それとも嫌いか」って考える必要は必ずしもないんじゃないかなあ。もっとニュートラルな感じで入っていけば、そこから見えてくることもあると思うし。って、何だか抽象的な言い方になってしまったが、時間の流れととともに見えてくることだってあるので、気持ちの上で誰かのことを<好きか・嫌いか>と答えを急ぐ必要性を私は感じないのですね。
最初にネガティブな感情を持ってそれを相手に見せたところで、何も良いことは生まれない気がするし。そういうところ、私はやっぱり日本人的になったんでしょうか。
そういえば先日ドイツ人に「あなた何考えてるのかわからない」と言われました(笑)
日本(の一部)にありがちな、「こんな意見もあって、あんな意見もあって、誰が正しいというわけではなくて、でも、ああであって、そして、こうでもあって・・・・」というような、白黒ハッキリ!どころかグレーゾーンが延々と続く事態や、なかなか話が進まない優柔不断さも、決断を迫られる時などは困ることがあるが、逆に、仕事という場において、個人の「好き!」「嫌い!」の気持ちを持ち込み過ぎるのも考えものだよなあ、、、なんて思うのでした。
自分の気持ちに蓋をし過ぎて人間関係においてガマンにガマンを重ね胃潰瘍になってしまうのもかわいそうだけど、逆に、自分の気持ちを周囲に撒き散らすのもダレトクにもならないですからね(誰も得しない)。・・・やっぱり、ここでも「ほどほどに」がよいのかもしれません。
私?私はなるべくポーカーフェースで本心を悟られないように努めているつもりですが、全部バレバレでしたら、すみません。