第5回 目指すは聖なる丘の黒ビール
南ドイツを走るサンティアゴ巡礼路のひとつ、ミュンヒナー・ヤコブスヴェーク(参照:Münchner Jakobsweg)を歩く旅はまだまだ続きます。
本日の起点であるシュタルンベルク湖(Starnberger See)に背を向け、車道に沿って小高い丘を登っていきます。朝9時半現在の気温は16℃で、11月下旬のドイツにしては異常なあたたかさ。まるで秋が最後の身震いをしているかのようです。
■軍の演習地域を通る「王の道」
住宅街を抜けていくと、おなじみのホタテの道しるべと並んで、青い「K」のマークが現れました。これは「ケーニヒ・ルートヴィヒ・ヴェーク(König-Ludwig-Weg)」つまり、「ルートヴィヒ王の道」と名付けられた道につけられた目印。「ルートヴィヒ王の道」は、ルートヴィヒ2世が愛した景観や彼の軌跡をたどる道として1977年に設定。シュタルンベルク湖から出発、次なるアマー湖を船でわたり、さらに南下してノイシュバンシュタイン城、そして古都・フュッセンに至る、約120kmのハイキングコースです。
私が歩いているヤコブスヴェークとこの「ルードヴィヒ王の道」は今回から3、4回分ほどにわたって重なる予定です。ヤコブスヴェークはノイシュバンシュタイン城の手前約40kmにして西にそれ、残念ながら城の姿を拝むことはできないのですが……いや、少し寄り道して足を伸ばしてもいいかもしれません。そのときが来たら考えましょう。
さて、1時間ほど黙々と歩いて行くと小川が流れる雑木林に入りました。人気はなく、妙に生ぬるい風が流れる場所で、薄気味悪いような気持ちになったところで目にしたのは「Militärischer Bereich」の看板。直訳すると「軍事上の領域」です。どうやらここは、軍事演習用にも使われているエリアのようで、言われてみれば兵士たちが隠れるのによさそうな岩や倒木がごろごろしています。もちろん実際に訓練が行われるときには一帯は封鎖されると説明書きがありますが、なんとなく速足になり、ようやく林を抜ければそこは「マイジング(Maising)」というのどかな田舎町。来るクリスマスマーケットの案内板にほっとするような気持ちになります。
■「グーテン・ターク」と言わない南ドイツ式の挨拶
道端には枯れススキが揺れ、ちょっと郷愁をそそられます(ススキは日本の風景のほうが似合うと思うのは私だけでしょうか)。さらに30分ほど行くと湖、と呼ぶには少し小さい池が現れました。水上をわたってくる風が案外強く冷たく、水筒に入れてきた熱いお茶を飲んでひと休み。
続いて開けた場所を歩いていると、後ろからぽくぽくと蹄の音が。脇によると、どうやら乗馬の練習中らしいおじいさんと、その先生であろう若い女性のふたり(と2匹)連れが私を追い越していきます。
おじいさんのほうは「Servus(ゼルブス)!」と、女性のほうは「Grüß Gott(グリュース・ゴット)!」と挨拶をしてくれました。どちらも南ドイツ独特の挨拶で「こんにちは」の意味。ドイツ語の挨拶として知られる「Guten Tag」と挨拶をする人にはこのあたりではまず出会いません。私も倣って、「Servus」より少し丁寧な響きのある「Grüß Gott!」で挨拶を返します。
右に左に、苦労して馬あやつるおじいさんの背中を追いかけながら、さらに歩を進めます。ここからはずっと私の好きな牧草地帯が広がり、気分も上々。道々には、牛や馬、羊、ポニーなどの家畜たちの姿が次々と現れ、若干足は疲れてきても、一向に飽きることがありません。
■修道士たちが作ったビール
ヨーロッパの秋冬らしく、太陽が上がりきることなく、東から西へとすうっと空を滑っていきます。このあたりからちらほらとハイカーの姿が現れはじめたのは、私も今日のゴールに設定している「アンデックス修道院(Kloster Andechs)」が近いからでしょう。1000年以上の歴史があるアンデックス修道院は、「聖なる丘」と呼ばれる標高700mの小高い丘の上に建ち、キリスト教徒にとっての特別な聖地なのです。
ほかの観光客たちにまざって息を切らしながら丘をのぼれば、木立の間から教会の塔が見えてきました。出発から5時間、20km弱の道のりを経て、本日の目的地に到着です。ここアンデックスに来たら、教会内部の装飾の美しさや見晴らしを楽しむのはもちろんなのですが、忘れてはいけないもうひとつのもの……それは、ビール、なんです。
アンデックスでは、1455年にはすでに修道士たちの手によってビールが作られていたといいます。「修道士がビールを?」と驚くかもしれませんが、復活祭前の断食期の栄養補給や、訪れた人々への施しのため、修道院でビールが作られていた例はドイツでは珍しくありません。ミュンヘンの有名な醸造所であるパウラーナーやアウグスティーナーなども、もとはといえばやはり修道士たちのビール作りに端を発しているそうです。
ということで、飲みましょう!せっかくなので修道士たちが飲んでいたものにより近いであろう、栄養価もアルコール度数も高い黒ビール「ドッペルボック・ドゥンケル(Doppelbock dunkel)」と、お腹がぺこぺこだったので「豚バラのグリル(Gegrilltes Wammerl)」を注文。眼下に広がる景色を眺めながら、ビアガーデンに座っていただきます。ビールは香ばしい苦みとハチミツのような自然な甘みがあり、とても美味しい。豚バラのグリルのほうは、この料理の特徴であるカリッカリに焼かれた皮のうまみが最高です!
ほかの客たちのなごやかな談笑も耳に心地よく、しっかりした黒ビールを飲み干したら、すっかり立ち上がる気力がなくなってしまいました。ミュンヘン市内に戻るため、最寄り駅のヘルシング(Herrsching)までバスを使ってしまったことは……小さい声で付け加えておきます。まあ、かつての修道士たちもビールでへべれけになっていたなんて記録もあるそうですから、ね?
著者プロフィール:溝口 シュテルツ 真帆
2004 年に講談社入社。編集者として、『FRIDAY』『週刊現代』『おとなの週末』各誌を中心に、食分野のルポルタージュ、コミック、ガイドブックなどの単行 本編集に携わる。2014年にミュンヘンにわたり、以降フリーランスとして活動。南ドイツの情報サイト『am Wochenende』を運営中。http://www.am-wochenende.com/