作家ギュンター・グラス氏 死去
作家でノーベル文学賞受賞者のギュンター・グラスが、この月曜(4月13日)ドイツ・リューベック市で亡くなりました。享年87歳でした。訃報はゲッティンゲン市のシュタイドル出版が伝えました。グラスは今日ポーランド領グダニスクとなっているダンツィヒの出身で、国際的に最も著名なドイツの現代 作家でした。
ギュンター・グラスは、生涯にわたり、社会問題・政治問題について積極的な発言を行ってきました。1959年発表の最初の長編小説「ブリキの太鼓」で早くも世界的成功を収め、その40年後、グラスの全作品に対してノーベル文学賞が贈られました。
国際的飛躍の契機となった「ブリキの太鼓」は、ドイツ戦後文学において最も重要な長編小説のひとつであり、20世紀を代表する作品に数えられます。ノーベル賞委員会もこの作品を「20世紀におけるドイツ長編小説(ロマーン)の再生」と形容しました。作品は、3歳でそれ以上の成長を拒んだオスカル・マツェ ラートというダンツィヒに暮らす小人を主人公とする物語です。
教養小説・悪漢小説に分類される「ブリキの太鼓」ですが、一部過激な性的描写を含んでいたことから、発表当初は公序良俗にもとるという批判をかなり浴びました。トーマス・マンの「ブッデンブローク家」以来、これほど世間を騒がせた処女作品はなかったとノーベル賞委員会も述べています。この作品はドイツの映画監督フォルカー・シュレンドルフによって映画化され、1980年、アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。
ギュンター・グラスは、戦後、石工としての職業訓練を受け、デュッセルドルフとベルリンで美術学校に通い、彫刻家・版画家となりましたが、素描を描き、詩も作りました。「ブリキの太鼓」、短編「猫と鼠」(1961年)、長編「犬の年」はダンツィヒを舞台とするダンツィヒ三部作と呼ばれています。晩年はリューベック近郊のベーレンドルフで過ごしました。
そのほかの代表作品には、短編「蝸牛の日記から」、長編の「ひらめ」(1977年)と 「女ねずみ」(1986年)、物議をかもした「はてしなき荒野」 (1995年)、短編「蟹の横歩き」(2002年)があります。そしてダンツィヒ三部作からほぼ半世紀を経て、「三部作の記憶」という三作からなる自伝的な作品にとりかかりました。
その第一作目である「玉ねぎの皮をむきながら」は発表された2006年、一部痛烈な批判が巻き起こしました。 この作品でグラスは、第二次世界大戦の終わりごろ17歳であったとき、ナチスの親衛隊に所属していた過去を明らかにして世間を驚かせたのです。他人については過去のナチスとの結びつきをたびたび批判してきたにも拘わらず、自分の過去についてはあまりにも長く沈黙してきたとの批判が上がりました。
グラスは旧西ドイツにおいて1960年代 から、積極的に社会批判を行ってきました。また、1960年代にドイツ社会民主党の選挙活動への支援活動を行いました。1992年、同党の難民政策に抗議して離党しましたが、最後まで社民党寄りの立場をとり続けました。グラスはまた、ドイツとポーランドの相互理解なら びにドイツによる旧ドイツ領の放棄(ドイツによるオーデル=ナイセ線の承認)のために尽力しました。最近では2012年に反イスラエル的な詩を発表するな ど、グラスはその生涯を通じてたびたび物議をかもしました。
グラス全集はゲッティンゲンのシュタイドル出版から出版されています。
(dpa より 訳文)
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