「親日家」という概念
ドイツで育った私が日本って不思議だな、ドイツと全然違うんだな、と思うこと。それは、日本のメディアなどで頻繁に登場する「親日家」という言葉です。「親日家」という言葉があることも不思議なら、その使われ方もまた不思議。
日本の雑誌を読んでいると、「海外の●●(←世界的に有名な歌手や女優さんや著名人の名前)は親日家!」と書かれている記事をよく見かけます。テレビでも、「●●(←有名な外国人の名前)は日本が好きなんですね!」といった具合に「●●は親日家である」と報道されることが多いですよね。
つまり、日本人から見て「外国の●●さん(←著名人)って、どんな人なのかな?」と判断する時に、「親日家であるかどうか」が、ある種一つの判断基準になっているようなのです。親日家であれば安心して応援できる人、そうでなければちょっぴり残念な人、というふうに。
まあ日本が嫌いな人に日本に来てもらっても、来るほうも来られるほうも楽しくないっていうのは確かにあるので、そういう意味では親日家であるか・否かで判断するのも分からなくはないのですが・・・それにしてもこの言葉「親日家」が登場する頻度にちょっとビックリします。
私がそう感じる背景には、ドイツでは日本の「親日家」に該当する言葉が使われない、という点が大きいかと思います。ドイツが好きな人の事を日本語で「親独家」と言うこともできるのでしょうが、あまり聞かない言葉ですし、ドイツ語訳である“deutschfreundliche Person / Deutschlandfreund“という言葉も、ドイツ国内で一度も聞いたことがありません。つまり、使われていないのですね。使われていない、ということは、多くのドイツ人にとって、「外国の人がドイツを好きか否か」は言葉は悪いですが、比較的どうでもよいテーマなのかもしれません。あまりそこにはこだわらないのですね。
余談ですが、私のパソコンに「しんにち」と入力するとスグに「親日」と変換されるのですが、「しんどく」と入力しましたら、なんと「真読」「死んどく」と変換されてしまい、とうとう「親独」の変換は最後まで出ませんでした。なので、本コラムを執筆の際も「親」と「独」と別々に入力し漢字を出した次第です。それぐらい「親独」または「親独家」という言葉は使われていない、ということなのだと思います。「親米」のほうがまだ聞きますね。スグに漢字変換でも出てきましたし。
さて、ドイツに話を戻すと・・・
ドイツには「●●という外国人スターはドイツが好き!よって●●さんは信用できる人だ。良い人だ」という価値観は基本ありません。ですので、ドイツのメディアに「●●という外国人スターはドイツが好きな親独家」という旨の記事が載ることはほとんどありません。ドイツ人にとって、海外のセレブや著名人がドイツをどう思っていようと比較的どうでもいい話のようです。もちろん、過去にはかの有名なケネディがベルリンを訪れた際の“Ich bin ein Berliner“という発言が有名になったりはしましたが、この発言に「ドイツ人が好き、ベルリンの人が好き」という意味が含まれていることも否定はしませんが、どちらかというと、アメリカとして「西ベルリンは絶対にソ連に渡さないぞ」という意味も含めての発言であったようです。
さて、現在、ドイツのメディアでは「海外セレブの誰々さんはドイツが好き」というようなことが全く話題にならないとは言わないけれど、人々の関心は基本はそこではなく、そのせいか「●●という外国の著名人はドイツが好き」ということが報道されることはあまりないのですね。
こんなことを書くとドイツ人がとてもドライであるかのような印象を与えてしまうかもしれませんが、「親独」や「親独家」という言葉が使われないことは悪いことばかりではありません。
ドイツに実はあまり興味のない外国人スターがいても、「あの人はドイツが嫌い!」とマスコミが叩くことはまずありませんし、あまり「国」という概念にとらわれていない分むしろリベラルなのかもしれません。ドイツが好きな人に良い人もいれば、悪い人もいる。ドイツが嫌いな人に良い人もいれば、悪い人もいる。そもそもドイツ人の多くは「ひねくれ屋さん」ですから、ある外国人が「ドイツが好き!」と言ったところで、ドイツの「どの部分」を指して「好き」と言っているのか詳細を踏み込んで聞かないと納得しない人も多いですしね。
日本人の場合は、外国人が「日本が好き!」と言ったら素直に嬉しい気持ちになりますし、「日本が嫌い」と言ったら複雑な気持ちになるのではないでしょうか。多くの日本人にとっては、「親日家」というのはある種の「情緒的」なテーマなのですね。
さてさて、私も日本は大好きですので(←でなければ17年も日本にいません)、日本が好きな人がいるとやっぱり嬉しくなりますが、その一方で、日本の報道機関が頻繁に「海外セレブの●●は日本が大好き」とやってしまうことに違和感をおぼえることもあります。
親日家であることがその人の人柄を判断する際の判断基準に果たしてなりうるのか?と思う部分もあるからです。
怖い話ですが、そして極端な例で恐縮ですが、「移民反対!」「外国人は出て行け!」という(一部の)排他的かつ右翼的な白人の中には「日本が好き」という人もいるのが実情だからです。驚くべきことに、その理由が「日本は移民を受け入れていないから素晴らしい。ボクは日本が好き」なのです。そんな代表的な存在にBreivik受刑者がいます。2011年にノルウエーにて69人が犠牲になったテロ事件の実行犯ですが、彼は日本が移民を受け入れていないからという理由で「日本が好き」だと話しています。
そういったことをふまえると、上記はもちろん極端な例ではあるのですが、親日家=良い人、親日家ではない=悪い人、という単純な話でもないようです。
日本のメディアで行われている「アメリカ人俳優の●●は大の親日家!」報道には社交辞令的な部分も含まれていますし、単なる芸能ネタといえば、それまでですし、そんなに深く考える必要もないのかもしれないですけどね。
色々と書いてしまいましたが、「親日家」という言葉を見ても分かるように、日本においては「外にいる外国人から、日本人がどのように見られているのか。よく思われているのか、悪く思われているのか」といった点について関心が非常に高いのですね。それを受けてメディアも「●●は親日家」という報道をするのだと思います。
「なぜ『外国人から好かれているか否か』が気になるのか」と理由を探れば、日本はつい162年前まで鎖国であった、島国である、移民が少ない、植民地にされたことがない、など様々な理由がその背景にあるのだと想像しますが、その点に関してドイツはおそらくその立地も関係して「外国人がドイツ人を好きか嫌いか」については比較的ドライというか無関心なことが多いです。日本人が「海外の人に、どう思われているか」ということに敏感過ぎるならば、ドイツ人は鈍感過ぎるのかもしれません。
みなさんは「親日家」そして「親独家」(←この言葉、今回、初めて使いました!)についてどう思われますでしょうか。
サンドラ・ヘフェリン