時が止まった場所-ベルリンからバンコクへ-アトランタホテル
私が立っているのは、バンコクのアトランタホテルのロビー。 まわりを見回すと、色々な物があります。それらの物は、私を1950年代への素晴らしいタイムトラベルに誘います。レセプション、談話コーナー、案内板など全てのインテリアが、ここでは時を経てもそのままです。背後に流れる音楽さえもが、当時のままのように思えます。全てのものが歴史を語り、当時の姿のままで残っています。このロビーはそのため、バンコクで最も写真に撮られる場所となっています。
このホテルの創業者はベルリン出身のマックス・ヘン博士で、彼の精神は至る所に感じられます。壁には彼と夫人の肖像画があり、友人からの手紙が歴史を物語っています。レストランで使われるコースターにも、創業者の言葉が書かれています。ホテルのガレージには、今も創業者の車が保存されていて、フロントガラスにはベルリン市の紋章がついたシールが残っています。
ベルリンから来たマックス・ヘン博士、若き日の創業者の肖像画
マックス・ヘン博士は、インド経由でバンコクにやって来ました。薬学の専門家だったヘン博士は、蛇を材料とした薬品を製造して収入を得ました。ビジネスは好調で、間もなく彼は、当時バンコクの中でも静かだった場所にホテルを建てました。そしてこのホテルで、ヨーロッパ文化を花咲かせたのです。インテリアは全て、アール・デコ様式や、当時ヨーロッパで流行ったスタイルでまとめられています。スピーカーからはヨーロッパの音楽が流れ、「ラインテラス」と名付けられたレストランでは、ドイツ料理や、ビール、ワインが出されました。また壁には、エルベ河渓谷やライン河とモーゼル河の合流地点など、故郷の風景を描いた大きな絵が掛けられていました。
このホテルには、タイで初めてホテルに造られたプールがあり、さらに映画スクリーンも設置され、宿泊客は客室のバルコニーから、スクリーンに映し出された映画を見ることができました。
このホテルはすぐに流行の中心地になり、エリートが集まる場所となりました。タイの国王も、白手袋のウエイターがゲストに食事を運ぶ、ホテルのおしゃれなレストランをよく利用しました。
ベトナム戦争中、ホテルは将校や兵士が集まる場所でしたが、その後70年代に、ヒッピー運動に強い影響を受けるようになりました。その後、創業者の息子が経営に参加すると、麻薬や売春など対して厳しい規定を導入し、風紀の乱れに対抗しました。
そして今、このホテルは再び、芸術家、文学者、家族連れ、そしてもちろん旅行者も、その歴史と美しさに魅かれて訪れる場所になりました。
私は、数十年の時を経た細部が気に入っています。読書や書き物に使う机にある照明器具は、光の種類が選べるようになっています(暖かい光、クールな光)。地図がついたスタンディングテーブル、そして、とても美しいアール・デコ様式の飾り棚も好きです。
ロビーやレストランは、クーラーなしでは暑いし、客室にはテレビもありません。それでも、あるいはそれだからこそ、このホテルで過ごし、宿泊するのは、楽しいことです。時を刻んだ空間は、良い夢を見せてくれます。蒸し暑くせわしない、消耗する大都会の中で、この場所はオアシスです。過去の時間に浸り、白手袋のウエイターがどんな風に王様に給仕をしたのか、プールサイドでカクテルを手にした宿泊客が、どんな風に最新の映画を見たのか、想像してみます。ここだけの特別な旅は、何とも楽しいものです。