旧世代ドイツミステリの逆襲!【沈黙の果て】Byシャルロッテ・リンク
以前本稿にて、「北欧ミステリ上陸以前」の旧世代ドイツミステリの類型としてシャルロッテ・リンクの『姉妹の家』を取り上げて、というかおもいっきり厳しい評価をしたことがあります。
ノイハウスやクッチャーに代表される新世代の作家たちが台頭する中、彼女の作品も今後それなりに売れ続けるかもしれない。が、内容的に注目に値する存在としてピックアップすることはまず無いだろう。それではアディオス!
…などと勝手に決め付けていたら、先般、そのリンク先生の新刊が東京創元社から突然出たのでビックリしました。創元といえば翻訳ミステリの老舗、それも最高に目利きな出版社のひとつじゃありませんか! そこがいま敢えてリンクの作品を出す、これはいったいどういうことだ? と読んでみたところ…
やばい。これは面白凄い!
そうか! こういう展開がありえたのか!
と驚嘆しました。
なので、今回は『沈黙の果て』のご紹介です。一般的でまっとうな概要説明は上記版元ページをご参照ください。
本作、英国を舞台になぜかドイツ人がうじゃうじゃ出てくるお屋敷小説という図式こそ例の『姉妹の家』とまるで同じですけど、あるポイントが決定的に違うのです。
『姉妹の家』で目立った「お上品」さ、妙に気取ったハーレクイン的なキラキラ感が影を潜め、その代わり、現代ドイツ人が溜め込んでいる各種欲求とストレス…支配欲、権威欲、完璧主義、そしてそれらと表裏一体な卑屈さ、「満ち足りた日常」をアピールするための精神生活の歪み…といったドロドロしたものどもが、実に赤裸々にドババッと噴き出しているのです。ええ、言ってみればそれだけの相違。しかし、それで圧倒的に面白くなっているのですよ!
これぞ「負のドイツ心理」リアルライフ版。で、もちろんそれが事件の…おおっととと、これ以上は口を滑らせてはいけない!(笑)、が、とにかく最後まで飽きさせません。クライマックスの置きどころの妙もあって、長い割には冗長でない点も(もちろん好みはあるだろうけど)良し、です。
しかし、この変化はいったい何なのか?
本作についていえば、リンクがノイハウスのように進化したというよりは、元来の持ちネタを気取らずにフル活用したことが「突破」につながったように見受けられます。
適切な喩えかどうかわかりませんけど、この『沈黙の果て』の開き直り的な凄さは、ビンス・マクマホン・ジュニアによるアメリカンプロレスの変革&ブレイクに似ている気がします。
プロレス業界にくすぶり続けていた「リアルか八百長か?」という議論。そのまさに八百長な部分、世間から揶揄されがちな舞台裏的な要素を、隠すのではなくむしろ徹底的にショーアップして「見せる」という逆転発想で成功したWWEの快挙とどこか通じると思うのですよ。この本音メタフィクション的な原理は興味深い。
しかも…そう、本作はただ赤裸々にどぎつくドイツ人の欲求を表現しているだけではない。「どうでもいいことに大騒ぎする一方、真に重要な問題には目をつぶる」とか、「みんな知らなかった。しかし実は誰もが知っていた」といった、ドイツのアッパーミドル社会の精神的暗部を的確に突いている点が見のがせません。
もうお察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、これらの特質は、まさにドイツ教養層がナチス勃興やユダヤ人迫害を傍観するだけに終わったことのひそかな要因であり、それは戦前も、戦中も、そして戦後もあまり変わっていないのだ、ということが実感的によくわかるのです。
というわけで、すみません。私は今回シャルロッテ・リンクという作家を大いに見直しました。
確かに、特に原書で読むと、いわゆるソープオペラ的なベタっぽさや結末のヌルさといったツッコミどころが以前と変わらず目に付くのも事実です。しかし上記したように、そんな上から目線で片付けるわけにはいかない強力なサムシングがこの小説にはあります。上品ぶって硬直化したドイツのインテリ的価値観に風穴を開ける予想外の一撃とも申せましょう。まさに「リンク様の妙技を味わいな!」という感じでしょうか(爆)
「ドイツ文芸と知的良識」といえば、一般的にはハインリヒ・ベルやハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーの名が念頭に浮かびますけど、実は存外、リンクのような存在が社会的良識の最終防衛線を担っていたりするのかもしれません。
大衆文化(そう、サブカルというのとはちょっと違うんですドイツの場合)が、ハイカルチャーを意味ある形で補完したり牽制したりするにはどのような形が考えられるか、というテーマに対する大きなヒントがここにあるようにも感じられます。
シャルロッテ・リンク。未訳の近作ではどんな按配なのだろう? これはチェックしてみねばなるまい…
【余談】
私が何故アメリカンプロレスを知っているのかという点について。
私のギムナジウム時代がちょうどWWE(当時はWWFという名だった)の全盛期で、あまり深く考えずに自宅TVでよく見ていたのです。ちなみに私の父は「インテリごっこ」に全く興味の無い超理系人間で、私と一緒に喜んでプロレスを観ていました。
「インテリごっこ」が好きな人は、本音と無関係にプロレスを軽視蔑視しがちなんですよね。しかしその行動様式は、往々にして「見せかけの幸福」への近道なのです。
ではでは、今回はこれにて Tschüss!
(2014.11.05)
マライ・メントライン
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。
まあ、それもなかなかオツなものですが。