『沈黙を破る者』は、実際には何を「破った」のか?
酒寄進一さんの超人的な(いや、彼は実際に超人なので「的」は不要だ!)翻訳活動の成果というべきか、最近は「ドイツミステリ」という言葉がけっこう文芸界に浸透してきたようで、新刊のオビにも大書されていたりします。
今回はそんなタイミングで刊行された、「ドイツ・ミステリ大賞第一位」受賞作品、メヒティルト・ボルマン(赤坂桃子訳)の『沈黙を破る者』(原題:Wer das Schweigen bricht)を取り上げてみます。
本作はずばりナチものです。そして訳者あとがきに記されているように、ドイツ・ミステリ大賞(2012年度)受賞のほか、信頼度の高い(私も実際けっこう参考にしている)ドイツのミステリ書評サイト「Krimi-Couch」で圧倒的な高評価を得た実績があります。
つまり、スペック的に最強を誇るわけです。
ちなみに早川書房『ミステリマガジン』の新刊レビューでは、「謎解きは小粒だがドラマ面で読ませる」と評価されていました。
以上のあれこれから、「純ミステリというよりは文芸寄りの重厚な作品」なのだろうなと予測出来ますね。実際、そのように話を持っていくことは可能です。しかし実際に読んでみると、思った以上にいろいろなことに気づいてしまう。それが今回のお話の主眼です。
ひょっとして、私の書きっぷりはネタバレに見えるかもしれません。
なので、そのへんが気になる方は、小説本編をお読みになってからこの先をお読みください。恐縮ですがどうぞよろしくお願い致します。
『沈黙を破る者』は、現代ドイツで死去したある老人の遺品をきっかけとして、封印された過去の因縁を探ってゆく話です。物語内の過去パートでは、ナチ暗黒時代を生きることになった仲良し青年6人組の運命の交錯、そして悲劇が描かれます。
ストーリー上のひとつの焦点は、その6人組のうちの1人がナチス親衛隊に入り、結果的に戦争犯罪を犯してしまうところです。で、その直接的な原因が、仲良しメンバー内の愛憎のもつれだったりするのが大きなポイントですね。
そう、本書について、作品の文芸性やミステリ性以上に興味深く、価値を感じさせるのが、
ドイツ人のナチ加害者意識をソフトランディングさせるにはこの方法なのか!
とピンと来るアレコレが、随所に垣間見える点です。
これは名作といわれるベルンハルト・シュリンクの『朗読者』にも共通する特徴で、その核心は、いわゆるナチ的な非人道行為が、個人的な特殊事情によって誘発(あるいは促進)されるように描かれる、という点につきます。
実際にはそうではなく、つまり、本作のヴィルヘルムや『朗読者』のハンナみたいな葛藤や屈折を抱えることなく、淡々と悪の作業をこなしていたケースのほうがおそらく多くて、ハンナ・アーレントはそれを「悪の凡庸さ」と名づけて問題視したのだけれど。
しかし…否、だからこそ、『沈黙を破る者』はドイツで高評価、圧倒的な支持を受けたのだろうという気はします。親しい人が「ナチ」であったことに、できればドラマチックな根拠があってほしい。それはある意味、深層心理的な本音アクションです。まさに、自分でかさぶたを剥がす微妙な感触を極大化させたものといえるでしょう。
日本の読者が本書に深く共感するとしたら、それはひょっとして、ドイツ人(またはドイツ社会)と、何らかの意味で内的な問題意識が共通していることを意味するのかもしれません。
上記のような「ソフトランディング」を是とするか非とするか、完全な二択を迫るのはちょっと厳しい。「非」を唱えすぎると過去のナチ関係者に係累を持つドイツ人から完全に内的救済の機会を奪うことになりかねないし、かといって「是」を唱えすぎると、それは免罪符おっけー的な考え方を認めることになりかねません。
極論に吸い寄せられないバランス感覚が重要でしょう。
さて、人によっては今回の事象について、
「エンタメだからソフトランディングになってしまうんだ!」
という解釈をするかもしれません。実は私が中長期的にいちばん問題意識をかき立てられたのはこの点です。
果たして、一級品のエンタメで、かつ歴史心理の暗黒面の核心を突きまくるような作品は有りうるのか、あるいはすでに有るのか?
この点を引き続き追ってみたいと思います。
ではでは、今回はこれにて Tschüss!
(2014.8.4)
マライ・メントライン
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。
まあ、それもなかなかオツなものですが。