ひとつの節目に、ふりかえってみる!
『マライ・de・ミステリ』を書き始めてからもう2年以上経ちます。最初すぐにネタ切れするかと思ったら意外とそうでもない。しかも実はまだまだ続けられるみたいなので、自分でも恐ろしくなってきたところです。
さて、2年もこの世界にいれば見える景色も違ってきます。
すなわち、認識や問題意識の変化です。
Young Germanyのリニューアルを機に、今回は状況整理というか、そのあたりを振り返りつつ今後の展望を見てみたいと思います。ちなみに、振り返りすぎるとこんな感じになって健康によくないので注意しましょう。
当初私は、「英米の一流どころ」の作品群を100点とした場合にドイツの最先端ミステリが何点ぐらいか、という観点でものを見ていました。もうこれなら北欧ミステリの水準に達したのではないか、みたいな。
しかしだんだんそれでは飽き足らなくなってくる。というか、そもそも価値基準の持ち方に問題があるのではないか? という居心地の悪さが足元に打ち寄せてくる。その原因となった大きなポイントのひとつに、
「狭義のミステリ」
「広義のミステリ」
という概念区分があります。
狭義のミステリというのは、要するに「謎解き」そのものが主題・目的となっている作品のこと。そして広義のミステリというのは、謎解きが要素として存在しても、決してそれが主題・目的となっているわけでない作品のことです。
実は、ドイツの大人向けミステリだとこの概念が無いんですね。
ちょっと乱暴に言ってしまうと、「狭義のミステリ」と「ブンガク」だけが存在し、後者がそもそも前者を同族と認めていない感じなのです。
マンケルの登場が、そしてシーラッハの活躍がドイツにおけるブンガクとエンタメの距離感を縮めてきたとはいえ、読者の脳の奥底に存在する読書習慣や思考フォーマットを変化させるには、まだまだ越えるべき何かが必要なのだ、と感じる瞬間です。
ドイツ的な分類で何が問題かといえば、それは、基本的に「減点法」の意識に基づくこと、そして、ジャンルクロスオーバー的な発想の受け皿となりにくい…もしやるとしたらそれは完全に作家個人の「価値基準の創造」能力に任せられる…ことでしょう。
ゆえに、現状のドイツからは、真に「面白い」メタ文学が誕生しにくい、という気がします。もちろんドイツにもメタ文学は存在します。しかしそれらはあくまでメタ文学の「定型」の枠内で設計され、減点法で評価されるシロモノという感じになりがちです。文学の冒険となるはずが、自分で勝手に檻に入って権威従属に安住してしまう。これで面白みが加速するはずがない…少なくとも外国の読者の目にとっては。
皮肉なことに、メタ文学的な要素を潜ませた真に面白いドイツ語文芸を書けるのは、外国系・移民系作家が多い気がします。『帰ってきたヒトラー』を著したティムール・ヴェルメシュなんかはその代表格ですね。
ドイツ人でも居ないことはなかった。ヴォルフガング・ヘルンドルフは明らかにその手の巨大なポテンシャルを有した作家だった…が、若くして病死してしまった。
こんなことに気づいてしまって、だから何かをどうできるわけでもないが、現代ドイツ文芸の、王道を進んでいるようでいながら何か足踏みしているもどかしさの解消の手がかりみたいなものがあれば掴み取ってやりたいと考えているのです。
そして、先ほど挙げた「広義のミステリ」というニホンゴの概念が、そこに至るきっかけとなるかもしれない。そんなことを考えている日本の初夏です。
ではでは、今回はこれにて Tschüss!
(2014.7.2)
マライ・メントライン
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。
まあ、それもなかなかオツなものですが。