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ドリス・デリエのインタビュー

ドリス・デリエのインタビュー

「また日本で映画を撮れたら一番撮りたいところは福島」

ドリス・デリエと日本、それは長い友情の物語だ。彼女はすでにいくつもの映画を日本で撮った。今回、彼女は3ヵ月にわたる京都滞在中、もう一度日本との関係を強めることができた。彼女は、まず双子を探し始めた。

デリエさん、日本への愛情をどのようにして学んだのですか?

デリエ:学ぶなんてことはありませんでした。日本が私に襲いかかって来たという感じです。大抵の人にっとっても同じだと思います。

それはいつのことですか?

1984年です。私の最初の映画ができたばかりのとき、東京映画祭に招待されました。ずっと映画館に座っているつもりはなかったので、電車に乗って当ても なく出かけました。それがすっかり気に入ったので、自分がどこにいるかわからなくなるまで乗り続けました。もちろん人々と話すことはできませんでした。何 があっても戻れるように、日本語で「東京」と書かれた一枚の厚紙だけを持っていました。それでも意思疎通はうまくいったのです。それは目が覚めるような体 験でした。自分が全然言葉に頼っていないことに気づいたのです。それ以後、繰り返し日本に行きたいと思うようになりました。

日本では何が特別なのですか?

珍しいブレンドです。一つは日本人の細やかな気配りがいつも私の心を捉えることです。他人に向けられた細心の視線です。ドイツではまさに逆です。西洋では 誰もが「自分にとって良いことは何か」を自問するようになってしまいました。日本では出発点にはあるのは自分ではなく、他の人々なのです。日本に行くたび に私を魅了するのが、この見方、考え方、感じ方の違いです。私が興味を覚えるもう一つのことは、美的評価への強い欲求です。世界を整理し、美しくすること への憧れです。初めて日本に来ると、一種の美の衝撃とでも言うべきもののとりこになってしまいます 。

最初の訪問から、日本はとても変わったと思いますか?

はい。当時、日本と西洋との接点はまだそんなに強くありませんでした。実際、田舎では子どもたちが私のほうにやってきて、じっと見つめたものです。その後、西洋に向けて大きく開かれました。ところが今再び揺り戻し後退の局面を経験しています。

(...)

インタビューの続きは東京ドイツ文化センターのホームページをご覧ください

ドリス・デリエは映画監督、作家、プロデューサーである。現在59歳の同監督は1980年代、「男たち(Männer)」のヒットで有名に なった。日本では彼女の作品のうち、「MON-ZEN」、「漁師と妻」、「HANAMI」が上映された。2013年10月から12月にかけて、ドリス・デ リエはヴィラ鴨川に滞在した。ゲーテ・インスティトゥートは年3回、それぞれ4人の芸術家を鴨川のほとりにあるレジデンスでの3ヵ月の滞在に招聘してい る。センターでは数多くの滞在の形に対応していて、異なるターゲットグループを設定している。共通の目的は、プロジェクトがローカルなシーンに定着するこ とである。

 

 

大使館スタッフ

ドイツ大使館 広報部の職員による投稿です。

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