災害で見えた「日本人とドイツ人の違い」
今、東京でこの連載を書いています。地震と津波のあの日から約 1ヶ月経ちました。この連載は月に 1度の更新のため、お見舞いを申し上げるのがだいぶ遅くなってしまいました。 3月 11日の東北地方太平洋沖地震において、被害に遭われた皆様に、謹んでお見舞い申し上げますとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。 1日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。
本当は今回の連載、前回に引き続き「ハーフの名前のつけ方」について書く予定だったのですが、変更させていただきます。ハーフの名前についてはまたこの連載で取り上げていきますので、もう少しお待ちください。今回は 3月11日の震災で考えさせられた事について書こうと思います。もちろん“ハーフの視点”で。
今回の地震で実感したこと。それは、人間は自然を前に全く無力であるのだということ。
そして改めて考えさせられたこと。それは今回のような災害時、非常事態の際には「お国柄の違い」や「文化の違い」が特にハッキリおもてに出るということだ。
地震が起きた次の日に福島の原子力発電所の問題が報道されたけれど、その報道のあった日から 2、3日以内で、私の周りのドイツ人の友達や日独ハーフの友達はみんな東京からいなくなってしまった。みんなドイツへ一時帰国をしたり、第三国へ行ったり、または日本国内でも大阪や神戸、広島など「南のほう」へ移動したのです。
原子力発電所に関しては不確かな部分が多く「次の何日間で、どう原発が悪い方へ変化するか分からないから」というのが多くの「脱出組」の見解だった。
実際、ドイツ大使館を含む多くの欧米諸国の大使館が、日本にいる自国民に被災地はもちろん、関東からも離れるように案内していた。私自身はドイツへは行かなかったけれど、3月15日に新幹線で大阪へ向かい、関西で仕事をしながら Atomkraftwerk(原子力発電所) 関連のニュースを毎日追っていた。
さて、今回とても気になったこと…。
それはこの「原発問題」で日本とドイツの違いが、ハッキリおもてに出たこと。政治の面でもそうだが、ここでは民間レベルの話をしたい。
最初気のせいかなと思ったのだが、日本を脱出する人達 (外国人が多かったように思うがハーフや日本人もいた)に対して一部の人は彼らの事を「裏切り者」のように感じたようだ。実際「何故、東京を離れるの ?」といった質問も多く、その質問をしている時の声のトーンから「結局アナタ達 (外国人、ハーフ、欧米育ちの日本人など) はイザとなったら日本を捨てて、出て行くのね」と言いたいのが聞いて取れた。
地震が起きて、津波が来て、原発の問題が起きて、誰もが不安だったのだと思う。どの情報が正しいのか分からないから、自分とは違う判断をする人に否定的になりがちだった人も多かったように感じる。
私自身は日本に留まったものの、あの時に即日本を離れた人達を責めることはできないし、これを機に日本を長く離れる人がいたとしても、それを責めることはできないと思っている。なぜなら危険を察知して場所を移動することは本人の「自由」だからだ。
日本の雑誌を読んでいると「この時期に日本を離れる人は裏切り者」的な書き方 (直接、裏切り者とは書いていないのだが、書き方のニュアンスとしてそう言いたげな書き方をしている)をしていた雑誌もあり、これには「 ??? 」と思っている私。
上にも書いたように、場所を移動することは本人の「自由」だし、それをアレコレ言うのは危険な事だと思う。まるで旧共産圏の監視社会のようではないか。
さて、私の周りの日独の家庭では「文化の違い」を象徴するような様々な「ドラマ」があった。
関東に住むある一家。お父さん (ドイツ人) と娘 (日独ハーフ) は原発を恐れて日本を出国しドイツへ行ったが、お母さん (日本人) は日本 (関東)に留まった。お父さんと娘が「一時的にドイツに避難しよう」と説得しようとしたが、お母さんは自分で日本に残ると決めたという。ドイツに着いたお父さん (ドイツ人) と娘 (日独ハーフ) は現地のドイツ人に「なぜお母さんを、あんな危険な場所 (※一番下で説明) に置いてきたの? なぜ一緒にドイツに避難させなかったの ?」と聞かれ、説明をするのに苦労したという。
日本は自分の国だからと日本に留まりたいお母さん (日本人)。お母さんには「ドイツを含む欧米のメディアは今回の原発に関して大袈裟」という気持ちもある。
そして自分と自分の家族である娘や奥さんを一時的にでも安全な場所へと移動させたいお父さん (ドイツ人)。
そして選択を迫られる娘 (日独ハーフ)。私の周りでは日本を一時的に出国した日独ハーフが多かったが、出国するまでに上記のようなお父さん (ドイツ人) とお母さん (日本人) の喧嘩を見ているので、みんな胸の内はかなり複雑だったようだ。
こういう危機的状況の中、日本とドイツの違いがハッキリと出てしまった。下手をすると人間関係を壊しかねないような気持ち悪さを伴って表に出てしまった。日本とドイツのハーフの私にとって、それはとても悲しいことだ。今年は日独交流150周年の記念すべき年なのに…。
原発自体も心配だが、この原発に対する考え方の違いが理由で、今後、日本人とドイツ人の間に解決できない「わだかまり」が残ってしまうのだとしたら…こんなに悲しいことはありません。
どうか長い目でこの問題が日本とドイツの関係に暗い影を落としませんように。これからも日本とドイツが交流できますように。良い関係が築けますように。
日本を訪れるドイツ人が、ドイツで「どうして日本なんかに行くの ?!」と言われませんように。
ドイツを訪れる日本人が、ドイツで「あなた、体から放射線を放ってるんじゃないの ?」等というイジメを受けることがありませんように。
逆に日本を離れるドイツ人や日独ハーフが、周りの日本人から「どうせイザとなったら日本より外国がいいんでしょ? どうせ逃げるんでしょ?」などと責められることがありませんように。
日本を出国する日本人が周りの人から「こんな時に日本を出るなんて!」と、批判されることがありませんように。
災害を乗り越えた時に、相手を受け入れるような優しい社会になっていますように。
※補足の説明: ドイツでは連日、地震や津波の被害の状況より、日本の原発と放射能の危険性が報道されていたため、ドイツに住む多くの人の間では「日本」イコール「あんな危険な場所」となっていたのです。
サンドラ・ヘフェリン
ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴 13年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社) など 5冊。自らが日独ハーフであることから「ハーフ」について詳しい。ちなみにハーフに関する連載は月刊誌に続き今回が 2回目である。趣味は執筆と散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。