ハーフは都合がいい時に日本人になって、都合がいい時に外国人になる
先日、友達の日独ハーフの女性と話していたら、
「親」の話になったのだけれど。
彼女の母親(日本人)は娘に不満がある時に
「あなたは自分が調子がいい時に日本人になって、自分が調子がいい時にドイツ人になるんだから!まったくもう!」と言うのだそうです。
実は、これ「デジャヴ」ではないけれど、私も言われたことがあります。 (親ではないですけどね)
私や友達に限らず、色んなハーフの話を聞くと、ハーフは (自分に近い) 純ジャパから、このフレーズ「あなたは調子がいい時に日本人になって、調子がいい時に外国人になるのね」を言われることがけっこうあるようです。直接言われたり、遠まわしに言われたり、など様々ですが。ちなみに「自分に近い純ジャパ」とはつまり、親や家族など身近にいる人物のことですね。
言うほうにも色々と感じるところ、思うところがあっての発言なのだと想像しますが、「親」が子供 (ハーフ) にこのフレーズ「あなたは都合がいい時に日本人になって、都合がいい時にドイツ人になるのね」を言ってしまうのは、いかがなものかと私は思うのですね。
というのは、「ハーフ」を産んで、その子に両方の言語と両方の文化を教えながら育てれば、そりゃ「いつでもどこでもドイツ人」または「いつでもどこでも何がなんでも日本人」というアイデンティティーの子が育つ事は「まれ」だからです。むしろ、両方の国を知っているからこそ、 (アイデンティティーの面で)「ある時は日本人になったり」「ある時はドイツ人になったり」するのです。それを身近な人から「調子がいい」と言われてしまうのは、何とも理不尽だなと思うわけです。
たしかに傍から見て (いえ、親から見ても)、「それって両方の国のいいとこ取りじゃない!」と感じる事もあるのだと思います。
しかし「親」に関して言えば、親はハーフにとって「世間一般」ではなく、もっとも身近な、そして味方になってくれるべく存在だと思うので、「都合がいい」「調子がいい」などといった言い方はキツイな、と。実際、「ハーフ」を産んだのは親の決断。「日本人として誇りを持って、いつでもどこでも日本人として生きていてほしい」という「人間として『一つ』のアイデンティティーを持つ」事に、それほどまでに親がこだわるのなら、悪いけれど、親として他の選択肢もあったのではないかと思ってしまったりします。(他の選択肢とは、つまり、国際結婚をしないで、国内の人と結婚をし、ずっと国内に留まる、という選択肢。)
人間、色んな知識が増えれば、それは選択肢も広がりますので、自分の「そのときそのとき」の人生に合わせて、臨機応変に、「私は今ドイツ人、私は今日本人」などとやっていたりします。傍から見れば、それは時に「それって調子がいい」と映るのですが、それはハーフを否定しているようで、私達ハーフとしてはちょっと悲しかったりするわけです。
多様性のある人間は、アイデンティティーを「私は、いつでもどこでも日本人」のように、「一つにしぼる」ことがそもそも難しかったりするのです。
だからハーフの子供を持つ親は、そのあたりの事を理解してほしいなって思っています。
ところで、ハーフの子を持つ親でなくても「ハーフって、なんか都合がいい」と思っている人はけっこういるみたいです。
実際に、私も一昨年の東日本大震災の後の放射能問題の際に、「ハーフの人達って、日本が好きとか言いながら、こういう日本が大変な時にはちゃっかり外国に行ったりして調子がいいよね」という意味の事を遠まわしに言われた事があります。まあこの件に関しては意見が分かれるのでしょうが…。
では、普段の日常生活において、本当にハーフってそんなに都合がいいのか?そんなに得な思いをしているのか?まいにちオイシイ思いばかりしているのか?・・・その真相に迫るには、ぜひ私&ヒラマツオさんのコミックエッセイ「ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ」を読んでいただきたいです!
原作が私で、漫画家さんのヒラマツオさんが絵をコミカルなタッチで描いてくださっていますので、きっと楽しく読んでいただけるかと思います。
・・・・最後は宣伝になってしまいました。これからも、いっぱい書いていきますので、皆さんこれからもどうぞ宜しくお願い致します。
サンドラ・ヘフェリン
ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴15年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社)、近著「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) など6冊。自らの日独ハーフとしての経験も含め「ハーフ」について執筆している。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、執筆、散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。
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