ハーフは逆境に強い?!
今まで「ハーフといじめ」について書いてきた。ハーフは目立つので色んな国でイジメのターゲットにされやすいが、精神面でハーフなりの強みというかハーフならではの「よかったこと」が全くないのかというと違うと思う。では、「ハーフの強み」とは何かと言うと、ずばり「逆境に強い」ことだと私は思っている。
もちろんハーフといえども人にもよるのだろうし様々なのだろうけど。それでも。国籍や語学面、交友関係において二つの国とつながっている人には二つの選択肢があるわけで、そこで人間関係や仕事の面でつまずいても、それに呑まれない精神力が身についていると感じる。
簡単な例。
私は「発言小町」を読むのが好きなのだが、そこで所謂OLさんが「会社の同期女子社員の中で私だけランチに誘ってもらえず寂しい思いをしています。」という相談があった。そこで誰かが「ランチに誘ってもらえないとのことですが、それが業務に支障をきたしたり、社内でいじめにあったりしているのですか。」と質問をしたところ、とくに仕事に差し支えたりいじめられたりしているわけではないらしい。でも「同期の女子同士で楽しそうに連れ立ってランチをするのに自分だけに誘いが来ないのは寂しいし、誘ってもらえないなんて何か自分に原因があるのでは、と悩んでいます」というような相談内容だった。
この手の悩み(「みんなは一緒なのに、私は一人」)って、日本では多い気がするのですが、私からしてみると、ぶっちゃけ何に悩んでいるのかよくわからなかったりする。元々というかベースが最初からみんなと違うから。
たとえば、私は子供の頃、ドイツで長年に渡って、平日の月曜日から金曜日は毎日ドイツの現地校、土曜日は日本人学校、という生活スタイルだった。でも私のドイツ人の友達は全員、土曜日は山に出かけたり、スキーに行ったり、昼間バーベーキューをしていたわけで。つまり「みんなは土曜日はレジャー。でもサンドラは土曜日は日本人学校」と、最初から生活パターンが「みんなと違う」わけですよ。
同時に、土曜日の日本人学校(ミュンヘンの日本人学校)では私は邦人クラスにいたのだが、だからといって、ハーフの私が同じクラスにいる日本人の女の子と同じかというとそうではないわけで。基本、当時邦人クラスにいた日本人の子女というのは、「父親が駐在員」であるため、少なくともドイツにいる何年間かは会社から色んな手当てが出ており、一家はいわゆる「駐在員としてのそれなりの生活」ができるわけである。そこは現地採用のドイツ人パパである我が家とは明らかな経済格差があった。(もっともこの手の話は、必ずしもハーフだからという話でもなく、親の経済事情で子供間に出る格差というのはよくある話ですよね。)
言いたいのは、そんな、色んな面での「違い」を小さい時から経験済みなので、他の人が悩みがちな「周りは『みんな一緒』なのに、自分だけが違う」「周りはみんないつも一緒にランチなのに私だけ違う」という類の事に私はあまり悩まない傾向があるということだ。
そして、ハーフは幼い頃から色んな面で部外者扱いされてきたので、今更ランチ仲間に入れてもらえないぐらいで悩みはしないということだ。既にマイペースっぷりが板についているというか。少なくとも私の場合はそうだ。
そういう意味で両方の国と常に接点を持っているハーフに限っては逆境に強いというか精神的に強いと感じる。ずっと部外者扱いだったから今更、仲間外れにされても精神的にこたえない。今更「変!」と言われたってこたえない。ずっと両方の国で言われ続けてきたから。
ハーフの多くは幼少期から、容姿にはじまり生活スタイルも「周りのみんな」と違ったりするので、大人になってからの「違い」にハーフはあまりとまどわないのかもしれない。
もしも私がハーフではなく純ジャパで、日本で育ち、小さい頃から周りのみんなと同じぐらいの背の高さで、家庭環境や生活パターンも他の子達とずっと同じだったなら、結果、人生においても「みんなと同じ。みんなといつも一緒」の状態が自分にとって普通だったのかもしれない。しかし、そういう場合は、たとえば私は現在30代で独身なのだが、「他の同年代の友達のみんなは結婚しているのに!」と周りを気にして悩むことになったのだと想像する。しかしそこが「みんなもそうだし、私も!」とならないところが、単に私自身の性格なのかもしれないけれど、自分が「ハーフ」であることとも深く関係していると思えてならない。
独身に関してはこういう開き直りがあまりよくないと見る人もいるのだろうけど(笑)
さて、話をもとに戻すと・・・
「ハーフの強み」は、周りのみんなと違っても今更気にならないこと、と書いたが、国籍を両方持っていたり、両方の国の言語ができたり、両方の国に友達がいる場合、精神的な「逃げ場」が用意されているのもまた事実なのである。つまり追い詰められた時「こっち(の国)で上手くいかなくても、あっち(の国)があるさ。」という逃げ道である。これを、「逃げている」と言われればそれまでだけれど、世の中(とくに日本においては)多くの人が自殺するのは精神的な逃げ場がないからであって。だからこういう「逃げ」もありだと思うのだ。
たとえば、ヨーロッパの生活も知っている日・欧ハーフの場合、何かの間違いでニッポンのブラック企業に入社してしまい、あり得ない働かされ方(安月給で毎日が終電。残業代は出ない。有休もあってないようなもの、有休を使わせてもらえない)をさせられ上から変な暴言(「オマエは人間としてなってない」など)を吐かれても、過労死や自殺まで追い込まれる可能性は低い。それは間違いなく、ヨーロッパ風の考え方(有休をとらせないのは違法行為だという認識。ヨーロッパは堂々と有休をとるのは当たり前)が頭の片隅にあるからにほかならない。そういう考え方を知っていれば、たかが変な会社のために体調をくずすほど長く居たり挙句の果てには会社というものに追い詰められ自殺するのがバカバカしく思えてくるというものだ。
外国語が出来るとか外国に住んだ事があるとか、外国に友達がいる、ということは全てをつなげると「色んな場所の色んな考え方の人を既に知っている」という強みであり、それがいわばハーフの強さでもあるのだ。
そして、そのことが逃げ道になっている部分がある。
両方の国の言語が達者なハーフには「フラフラ」の問題がついてまわったりするが、いっそ、その「中途半端」を貫いてみるのもいいと思う。ハーフは実質「どっちつかず」かもしれないけど「どっち(の国)にも実質いけるもんね」という。中途半端もそこまで極めれば、いっそのことそういうふうに開き直るのもアリだと思う今日この頃である。
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サンドラ・ヘフェリン
ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴15年、著書に「浪費が止まるドイツ節約生活の楽しみ」(光文社)、近著「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ) など6冊。自らの日独ハーフとしての経験も含め「ハーフ」について執筆している。趣味は時事トピックについてディベートすること、カラオケ、執筆、散歩。目黒川沿いや碑文谷をよく散歩している。
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