ドイツ情報満載 - YOUNG GERMANY by ドイツ大使館

「黒船」は極北の地から!

「黒船」は極北の地から!

「黒船」は極北の地から!

前回 はドイツ文芸史にて、ミステリ小説が、あまりハッピーとはいえない道のりを歩みながら1990年代を迎えたところまでを書きました。
そのように分析してみると、ドイツミステリ史というのは、戦後ドイツ人のいろいろな精神的矛盾や屈折をみごとに集約・反映した存在だったのだな、と感じずにいられません。論文のテーマにもできそうです。

ということで、続きです!

ドイツミステリを取り巻く永年の「屈折の構図」に変化をもたらしたのは、ドイツ人自身ではなく北欧からのパワーでした。
ケネス・ブラナー主演でのドラマ化により、日本でもいくらか知名度が高くなった『ヴァランダー警部』シリーズ・・・スウェーデンの作家ヘニング・マンケルの手になる警察小説は、90年代初頭、圧倒的な勢いでドイツの読書界を席巻しました。マンケルの登場によって、ドイツではミステリ小説が「他人に対するプレゼントにふさわしい」クオリティグッズになったと言われます。私は今も、あのころドイツの実家近所の読書好きたちを包んだ「静かな熱狂」とでもいうべき雰囲気を覚えています。

マンケルの作品は世界中で高く評価されていますが、その中でも、ドイツでの歓迎ぶりは特別でした。なぜそこまでドイツ人にウケたのか・・・? それはおそらく、エンタメと文学をリンクするような作品世界の魅力もさることながら、英米作品にありがちなドイツ人に対する偏見描写の度合が低いことも大きく作用していると思われます。つまり、戦後ドイツを覆っていた「引け目」からのひとつの解放です。

YG_JA_2141[2]マンケルのブレイクを起点に、ドイツには数多くの上質な北欧諸国産のミステリ・サスペンス小説が流入し、それらは堂々と英米作品に匹敵する立場と存在感を獲得しました。
そして、ドイツでの北欧ミステリ人気は今も続いています。スティーグ・ラーソンのご存知『ミレニアム』三部作と並んで、マンケルの初期作品が今日もハンブルクの書店店頭の平積み棚に並んでいる、といえば、ドイツ読者からのリスペクトぶりがよくわかるでしょう。

ちなみにマンケルを含め、北欧ミステリでもナチ時代の問題を取り上げることはあります。が、ドイツ人を敵視するよりも、「当時、身内でナチ側に転んでしまった者たちをめぐる葛藤」がメインテーマとなることが多いです。
とはいえ、北欧の人々がドイツ人に根っから好意的なのかといえば、歴史的経緯を見るにそんな単純な話ではないのもまた事実で・・・出版市場の「お得意様」をあまり悪くは書けないからねえ、という現実的な理由もいくらか作用している気がしなくもないです。率直なところ^^

と、まあ背景事情はともかく、北欧ミステリはドイツ人にとって、英米作品以上に知的エンタメの魅力を満喫させてくれる「黒船」となりました。そのムーブメントは、読者レベルの底上げにもつながったような気がします。
そして北欧作品の流入・定着によって点火されたというべきか、90年代末以降、ドイツの作家のミステリ・サスペンス創造力の回路が活性化します。最初はぎこちなく試行錯誤を展開しながら、やがて大胆に興味深い内容の作品を世に放ちはじめたのです。

ドイツミステリ業界は発展途上の存在で、いまこの瞬間、英米・北欧の厚い作家層に真正面から挑めるほどの力はありません。しかし、弁護士業界から彗星のごとく出現したフォン・シーラッハの『犯罪』『罪悪』が、予想外の華麗な個人技でドイツの、そして世界の読書界を魅了する瞬間もあったりするわけです。
サッカーで言えば、ついにワールドカップ本大会に手が届いたころの日本代表みたいな感じでしょうか。ダメかもしれないが、ひょっとしてイケるかもしれない! ポテンシャルはある「はず」なんだから・・・・・
実は、見守っていていちばん萌える、いちばんサポーターとして応援する甲斐のあるシーンに、いまドイツミステリは居るような気がします。

次回以降はそんなドイツミステリをとりまくあれこれ・・・・・作品、著者、翻訳者、編集者、読者、出版事情などについて、自分の「そこそこドイツ的な視点」から意味をつまんでいきたいと思います。

それではまた、Tschüss!

(2012.03.01)

YG_JA_1937[1]マライ・メントライン

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州キール出身。NHK教育 『テレビでドイツ語』 出演。早川書房『ミステリマガジン』誌で「洋書案内」などコラム、エッセイを執筆。最初から日本語で書く、翻訳の手間がかからないお得な存在。しかし、いかにも日本語は話せなさそうな外見のため、お店では英語メニューが出されてしまうという宿命に。
まあ、それもなかなかオツなものですが。

マライ・メントライン

翻訳(日→独、独→日)・通訳・よろず物書き業 ドイツ最北部、Uボート基地の町キール出身。実家から半日で北欧ミステリの傑作『ヴァランダー警部』シリーズの舞台、イースタに行けるのに気づいたことをきっかけにミステリ業界に入る。ドイツミステリ案内人として紹介される場合が多いが、自国の身贔屓はしない主義。好きなもの:猫&犬。コーヒー。カメラ。昭和のあれこれ。牛。

Twitter : https://twitter.com/marei_de_pon

マライ・メントライン