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役目を終えても人々と生きる給水塔

リーケ通りから見た給水塔。

リーケ通りから見た給水塔。

役目を終えても人々と生きる給水塔

こんにちは。ベルリン在住ライターの久保田由希です。今回も私のホーム・ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区をご案内していきますよ。

ところで唐突ですが、私、あの、塔が好きなんです。中世の市壁にある塔や灯台、それに給水塔も。なぜ好きなのか自分でもわからないのですが、塔があると、なんだか気になるんです。

プレンツラウアー・ベルクにも古い給水塔があります。今日はその塔をぜひご覧に入れたいんです。では行きましょう。

人々の憩いの場は元給水施設

給水塔があるのはクナアクシュトラーセ(Knaackstraße=クナアク通り)の23番地

ですが、コルマーラー・シュトラーセ(Kolmarer Straße=コルマール通り)、ベルフォルター・シュトラーセ(Belforter Straße=ベルフォルト通り)、ディーデンホーファー通り(Diedenhofer Straße=ディーデンホーフェン通り)に囲まれた一帯が元給水施設で、現在は公園になっています。芝生に寝転んだり、公園内の卓球台で遊んだりと、人々の憩いの場になっています。

貯水槽の上の丘は、憩いの場所(現在は工事中で入れません)。

貯水槽の上の丘は、憩いの場所(現在は工事中で入れません)。



 

 

丘の上からテレビ塔も見られます。

丘の上からテレビ塔も見られます。



私は、いちばん上の写真のように、まっすぐに伸びたリーケシュトラーセ(Rykestraße=リーケ通り)から見る給水塔が好き。左右に並んだ街路樹の真ん中に給水塔が立っていて、左の背後にテレビ塔もチラッと見えて……。「ベルリンだなぁ」と思うのです。

そもそも給水塔とは?

そもそも給水塔って何なのでしょうか。

まずは塔という形を考えてみると、その特徴は「高さ」。高い場所だと何ができるかというと、例えば遠くまで見渡せるので見張るのに有利です。その目的でできたのが市壁などについている塔です。
高い場所から光で合図を送れば、間に障害物がないので遠くまで届きます。これが灯台。

では給水塔は?
水は高い場所から低い場所へと流れるもの。給水塔の上部に水を貯めることで、給水塔内にある管を通って水が下に落ち、各家庭に水を供給するのです。給水塔は住まいよりも高い必要があり、どこからでも見える高い塔となったわけです。

給水塔については、ベルリンにある「ドイツ技術博物館」(Deutsches Technikmuseum Berlin)に詳しい展示があるほか、敷地内に古い給水塔も残っているので、ご興味のある方はぜひそちらも訪れてみてください。

現在ベルリン市内には30以上の給水塔が現存しているようですが、現在は技術の進歩によって、給水塔はその役割を終えています。しかし、多くが文化財として保護され、給水塔のある風景は生き続けています

日本の団地などでも以前は給水塔はつきものでしたが、やはりこちらも役割を終えて減り続けています。

ベルリンで最初の中央給水施設

プレンツラウアー・ベルクの給水施設は1852年から1875年にかけて造られました。
最初の給水塔は写真のものではなく、施設真ん中にある細い塔。施設の向かい側にある地域図書館・博物館の外壁には、この塔の絵が飾られています。

地域図書館・博物館の外壁にある絵。

地域図書館・博物館の外壁にある絵。



 

 

 

給水施設の向かい側にある地域図書館・博物館。

給水施設の向かい側にある地域図書館・博物館。



絵の説明書きによれば、この絵が描かれたのは1856年頃。つまり、その当時には最初の塔が完成していたことになります。塔の下には貯水槽があり、風車が2基立っています。約160年前は、こんな風景だったのですね。こんなふうに、建物や資料で昔を体験する瞬間が、私にはたまらなく楽しいんです。

その後、いちばん上の写真にある大きな給水塔が1877年にできました。ベルリン東部のトレプトウ(Treptow)からシュプレー川を通って、ここまで水を引いてきたそうです。最初の塔に比べてはるかに大きいので、「太っちょヘルマン」(Dicker Hermann)という愛称で親しまれています。

「太っちょヘルマン」内の住居を見学してみたいです。

「太っちょヘルマン」内の住居を見学してみたいです。



この給水塔は上部が受水槽で、その下はなんと住居。1952年に給水塔としては使われなくなったものの、住居部分にはいまでも人々が暮らしています。なんでも、円形のケーキを切ったような住居なのだとか。なんとかしてこの住まいを見学するのが、私の小さな夢です。

強制収容所としての過去も

リーケシュトラーセから「太っちょヘルマン」の下まで行ってみましょう。 入り口階段付近に、何やらプレートが立っていますね。

2つのプレートがあります。

2つのプレートがあります。



じつはこの給水施設内にあった発電施設の建物は、かつてナチスの強制収容所として使われていた過去があります。時代は1933年。ヒトラーが権力を取り、全権委任法が発足したときです。
ナチスの体制に反対する者やユダヤ人たちが捕らえられ、ここに収容され拷問を受けたのでした。

この建物は1935年6月に取り壊されており、現在はもうありません。しかし過去を忘れないための警告碑として、現在2つのプレートに歴史が刻まれています。

ベルリンのみならず、ドイツのどこにいても歴史を意識せざるを得ません。それは過去から学び、過ちを繰り返さないためのこうした警告碑が至るところにあるから。私は、ドイツという国から学ぶべきものはたくさんあると思いますが、こうした姿勢もその一つです。

ですが、過去の出来事から、現代に生きるドイツ人が萎縮しているわけでないと思います。自分が責められていると考えるのではなく、歴史から学び、同じ間違いを繰り返さないという意識です。そうした考え方を、私はドイツに来て学びました。

貯水槽ではたまにイベントも

小高い丘の下は貯水槽。もちろんここも現在では使われていませんが、10年前頃までは定期的に音の展覧会が開かれていました。私はとにかく建物内部に入ってみたかったので、この展覧会にも足を運びました。いまでもたまにイベント会場して使われています。

2008年に貯水槽で開かれた音の展覧会。ドラムの音が響いて不思議な空間でした。

2008年に貯水槽で開かれた音の展覧会。ドラムの音が響いて不思議な空間でした。



給水施設としては役目を終えたこの一帯は、新たな役割を得て人々から愛されています。私も給水塔とその周辺をよく散歩しています。ここは、私にとってのベルリンです。

ではまた次回、プレンツラウアー・ベルクのとっておきの場所をご案内しますよ。お楽しみに。

 

久保田 由希

東京都出身。小学6年生のとき、父親の仕事の関係で1年間だけルール地方のボーフムに滞在。ドイツ語がまったくできないにもかかわらず現地の学校に通い、カルチャーショックを受け帰国。大学卒業後、出版社で編集の仕事をしたのち、フリーライターとなる。ただ単に住んでみたいと、2002年にベルリンへ渡り、そのまま在住。書籍や雑誌を通じて、日本にベルリン・ドイツの魅力を伝えている。『ベルリンの大人の部屋』(辰巳出版)、『歩いてまわる小さなベルリン』『心がラクになる ドイツのシンプル家事』(大和書房)、『かわいいドイツに、会いに行く』(清流出版)、『きらめくドイツ クリスマスマーケットの旅』(マイナビ出版)ほか著書多数。新刊『ドイツ人が教えてくれたストレスを溜めない生き方』(産業編集センター)。散歩、写真、ビールが大好き。

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久保田 由希