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わたしのDDR〜東ドイツ時代から変わらないバウムクーヘン、コルネリアさん

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わたしのDDR〜東ドイツ時代から変わらないバウムクーヘン、コルネリアさん

来年、2019年はベルリンの壁崩壊から30周年。 壁の崩壊から東西ドイツ再統一を経て、なくなってしまった国、東ドイツ。 東ドイツで暮らした、いろいろな人たちに話を聞く企画「わたしのDDR(東ドイツ)」!

第2回目は、コルネリア・ミュッツェさん。

1967年、ドレスデン生まれ。ドレスデン市内で人気のケーキ屋のオーナーです。


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創業110年の歴史を持つ「コンディトライ・ミュラー」で、80年代後半から毎日店に立っているコルネリアさん。
初めてお会いしたのは、バウムクーヘンの取材でした。ここのバウムクーヘンは口どけがよくて美味しくて、よく買いに行くのですが、実はこの創業当時から変わらぬレシピで作り続けているバウムクーヘン、ドレスデン子は東ドイツがなくなって初めて、口にすることができたと聞いて驚きました。


東ドイツのバウムクーヘンは、西ドイツ側への贈り物


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1986年に4代目のマティアスさんと知り合い、大学に進学したものの妊娠で中退。経営の勉強をしなおして、1988年からケーキ屋で働き始めたコルネリアさん。
「バウムクーヘンの販売は当時1週間に1回、水曜日の15時からと決まっていました。12時から長い行列ができて、新米の私が、いつも店の外で人数を数える役に回されました。作れる数が4段リングのものが50個と決まっていて、行列に並んだ51人目の人から、謝って帰ってもらわないといけなかったから(笑)」
(下の写真は当時のコンディトライ・ミュラー。
左にある入り口から、角を曲がって道の向こうまで行列が続いていたそう)

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でもそんな大人気のバウムクーヘンなのに、なぜドレスデン子の口に入らなかったんでしょうか?
それは、バウムクーヘンが西ドイツへの贈り物として人気だったからなのです。
「皆、買ったらその足で郵便局に直行して、西側の親戚や知り合いに送ったんですよ。その代わりに、西ドイツからせっけんやコーヒーだの、東で手に入らないものを送ってもらうための、貴重な物々交換の手段だったんです」

東西ドイツ再統一後、やっとバウムクーヘンが東ドイツの人たちの口に


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そして1989年11月、ベルリンの壁が崩壊。コルネリアさんの義父である3代目(上写真)は、職人には西ドイツ側に行くための有休を出しながらも自らは工房に立ち、4代目やコルネリアさんとともに店を開け続けました。
しかし89年から90年は、売り上げが下がって苦戦したと言います。
「東ドイツでは手に入らなかったバナナやオレンジといった南国のフルーツ、チョコやフルーツ入りのヨーグルトといった新しい商品にみんな飛びついて。東ドイツ時代からある店なんて、つまらないでしょう?」 東西ドイツが再統一するまでの間には西ドイツ側に行った人も多く、そもそも街に人がいなかったとか。
「90年冬くらいから、徐々にお客さんが戻って来ました。パンやケーキは、西側から来た大型チェーン店の大量生産のものは美味しくないって、違いに気づいてくれたんです。」
その頃「ドイツが統一して、やっとこのバウムクーヘンを自分で食べることができるようになった!」と、お客さんに何度となく言われたそうです。


卵白をわけてもらいに、牛乳缶を持って車で卵リキュール工場に行ったDDR時代


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そんな美味しいバウムクーヘン、でもこの食感を作るためには卵白をたっぷり使わなければいけません。いくら限定販売とはいえ、DDR時代に作るのは大変だったのではないでしょうか?
「100kmほど離れた街に、卵リキュールを作っている工場があったんです。そこでは卵黄しか使わないから、残った卵白を分けてもらえることになって、夫が週に2回、牛乳缶を大量に持って車で往復したんです。いまでは考えられないですよね(笑)シュトレンを作るためのドライフルーツは、西ドイツ側の同業者から分けてもらったり。ものがないから、皆で助け合っていたんですよ。」
当時、東ドイツ国営商店「HO」の中にもチェーンのパン屋がありましたが、従業員数が20人以下の小規模な家族経営のパン屋やケーキ屋も国営化されず、個人経営のままで存在することができました。しかし、商品の価格や量に関しては、東独政府が決めた表に沿って決めなければいけなかったのです。
その当時の価格表を見せてもらいました。

ライ麦全粒粉パン   1kg 0,34 マルク
ブレートヒェン    1個 0,05 マルク
天板ケーキ    42x 85cm 1,10 マルク
ドレスデン名物のアイアーシェッケやフルーツをのせたケーキも同様のサイズで 1,25 マルク。

安!安すぎ!
職人さんの手作りで、このお値段?
実は東ドイツでは、パンなどの食品、住居、公共交通といった「暮らしに必要なもの」に関しては、値段は安く抑えられ全国一律でした。そのため給料がそれほど高くなくても、十分な暮らしができたのです。パン屋に関しては補助金が出ていたはずだと、4代目のマティアスさんは言います。
ただしバウムクーヘンは「贅沢品」の範疇なので高価だったそう。

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「いまはどんな材料も手に入るし、量もいくらでも作れる。商品の値段は自分たちで決める。いまとDDR時代、どちらが良かったとは簡単に言えないけれど、いまの方が格段に創造の自由はあるわ!」とコルネリアさん。
当時、ケーキの種類は3〜5種類。いまは20種類以上が常時店のガラスケースに並びます。店がある地区に若い家族が増えたので、夏場はアイスを出すようにしたら、新しいお客が増えたと嬉しそう。
現在は息子のパウル君がマイスター試験の準備中で、後継者難も免れました。

「私たちはベルリンの壁が崩壊しても、東西ドイツが統一しても、変わらずに店の裏の工房でパンやケーキを作っていました。今年で110年、これからも職人が手作りする味へのこだわりは変りませんよ!バウムクーヘン、シュトレン、ぜひ食べに来てください!」

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★★★バウムクーヘン(特に、私のお気に入りは一口サイズのビターチョコがけ、Baumkuchenspitze!)は、Konditorei Müller
本店 Gohliser Strasse 1-4, 01159 Dresden
支店のNürnberger Str. 28b, 01187 Dresden で量り売りで購入可能。
ベルリンのデパートKaDeWeで、今年12月2週目の週末、ドレスデン名物のシュトレンとバウムクーヘンの限定販売を行う予定です。
営業時間などはサイトでご確認ください>Konditorei Müller

河内 秀子

東京都出身。2000年からベルリン在住。ベルリン美術大学在学中からライターとして活動。雑誌『Pen』『derdiedas 』などでもベルリンやドイツの情報を発信させて頂いています。
趣味は漫画と東ドイツとフォークの刺さったケーキの収集、食べ歩き。蚤の市やマンホール、コンクリ建築も大好物。
Twitterで『一日一独』ドイツの風景を1日1枚、アップしています。@berlinbau

河内 秀子